第93話:歩く死体、忘却の森の異響
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黄金の都エルドラドを後にし、次なる目的地を目指す枢たち一行。
しかし、彼らが迷い込んだのは、地図にも載っていない、昼なお暗い「霧の深淵」でした。
そこで目にしたのは、死んでいるはずの肉体が、意志を失ったまま労働を続ける異様な光景。
命の尊厳を根底から覆す「死の賢者」の洗礼が、聖鍼師を待ち受けます。
本日最後の更新です。物語は、より深く、より残酷な闇へと沈んでいきます。
黄金の都エルドラドに別れを告げ、北の大地へと足を踏み入れた枢たちを待っていたのは、極彩色に輝く新大陸のイメージとは対極にある、灰色の世界だった。
「忘却の森」と呼ばれるその場所は、周囲数キロにわたって深い霧が立ち込め、鳥の声一つ聞こえない死の静寂に支配されている。立ち並ぶ樹木は葉を落とし、まるで苦悶に喘ぐ巨人の指のように、捻じ曲がった枝を空へと突き立てていた。
「……枢さん、ここ……。なんだか、空気がとても重いです。……聖なる光を灯しても、すぐに霧に飲み込まれてしまう……」
リナが不安げに杖を抱きしめる。カザンもまた、鼻を低く鳴らして周囲を警戒していた。
「……チッ、……嫌な匂いだぜ。……腐臭じゃねえが、……何かが『滞っている』匂いだ。……枢、……見てみろ。……霧の向こうに、……何か動いている奴がいるぞ」
カザンが指差す先、霧の奥から不自然な足音が聞こえてきた。
ズルッ、ズルッ、と、重い何かを引きずるような、等間隔の響き。
現れたのは、ボロボロの作業着を纏った数人の男たちだった。彼らは手にした斧を機械的に振り下ろし、枯れた大木を切り倒している。しかし、その動きには一切の迷いも、そして「生気」も感じられない。
「……お待ちください。……あの方たち、……様子がおかしい」
枢が翡翠眼を凝らすと、絶句した。
男たちの身体には、一本の気の流れも存在しなかった。心臓は止まり、肺は動かず、体温すらも周囲の霧と同化している。にもかかわらず、彼らの筋肉だけは、背中に埋め込まれた「小さな銀の針」から供給される魔力によって、不自然な収縮を繰り返していた。
「……死んでいる。……なのに、動かされているのか……?」
枢の声が震えた。
それはかつてヘイズ博士が目指した「死からの復活」などという生温いものではなかった。死者の尊厳を奪い、その肉体をただの「朽ちない歯車」として再利用する、医学への冒涜そのものだった。
「……誰だ。……我が『管理区』に足を踏み入れる不心得者は」
頭上から、冷徹な声が降ってきた。
枯れ木の上に立っていたのは、眼鏡をかけ、白衣を纏った一人の痩身の男だった。彼の周囲には、数多のメスが浮遊し、銀の糸で操られている。その瞳には、人間を人間として見ていない、標本を眺めるような冷たい光が宿っていた。
蛇の秤が誇る上位医師、通称「死体管理官・ゼノ」。
「……君が、……ミダスを負かしたという例の鍼師か。……なるほど、……確かに特異な気を持っている。……だが、……私の『死者兵』に、……君の治療とやらは届かないよ。……なぜなら、……彼らにはもう、……『治すべき命』が残っていないのだからね」
ゼノが指を鳴らすと、木を伐っていた死者たちが一斉に斧を構え、枢たちに向かって突撃してきた。
痛みを感じず、恐怖を抱かず、ただ命令に従って筋肉を動かし続ける死の軍勢。カザンの槍が彼らの胸を貫き、リナの光が彼らを焼き払うが、死者たちは欠損した肉体を不気味に蠢かせ、なおも立ち上がってくる。
「……カザン! 止めを刺してはいけません! ……彼らは、……ただ動かされているだけなのです! ……本体は背中の銀の針……、あれが彼らの神経系を乗っ取っている!」
枢は往診バッグから、かつてないほど細い「霊糸鍼」を取り出した。敵の攻撃を避けながら、枢の脳内では凄まじい速度で計算が行われていた。
命がない身体を動かすには、必ず「気の模倣」が必要だ。ならば、その偽りの信号が流れる「バイパス」を遮断すればいい。
枢が狙いを定めたのは、死者の首の後ろ、第七頸椎の下にある**『大椎』**。
ツボとしての『大椎』は、全ての陽の経絡が交わる「気の交差点」だ。生身の人間であれば熱を下げたり、意識をはっきりさせたりする場所だが、死体においては、この点が「魔力信号の分配所」として利用されているはずだ。
「……聖鍼流、鎮魂術――『大椎・永久なる静寂』!」
枢は襲いかかる死者の斧を紙一重でかわし、その背後に回ると、目にも止まらぬ速さで霊糸鍼を打ち込んだ。
ピシリ、という音が響き、死者の身体から銀の針が弾き飛ばされた。
次の瞬間、それまで狂ったように動いていた肉体が、糸の切れた人形のように静かに地面へと伏した。その顔には、死者としての当然の権利……「安らかな眠り」が戻っていた。
「……ほう。……死体の信号回路を、鍼一本で読み解き、遮断したか。……君の技術、……思っていた以上に興味深い。……死者を再び『死なせる』技術、か」
ゼノが冷ややかに笑い、浮遊するメスを一箇所に集約させた。
「……だが、……数千の死者を抱えるこの森で、……君の一刺しがどこまで間に合うかな? ……さあ、……夜は長い。……君たちが、……私の新しい『コレクション』に加わるまで、……じっくりと解剖させてもらうよ」
森の奥から、さらなる死者の軍勢が、呻き声を上げながら這い出してきた。
新大陸編、最大の禁忌「死者の行軍」。
枢の鍼は、死者たちの魂を救い出し、この地獄に終わりを告げることができるのか。
聖鍼師の物語は、命なき者たちの悲鳴に導かれ、最奥の「大蛇の塔」へと加速していく。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
新章「忘却の森」編、スタートです。
死者を労働力として扱うという、医学の倫理を完全に無視した組織「蛇の秤」の恐ろしさ。
そして、それに対抗するために枢さんが見せた、死者に「安らかな死」を返すための鍼。
今回登場した**『大椎』**。
首の付け根にあるこのツボは、全身のエネルギーのバランスを司る要です。枢さんはここに干渉することで、死体を動かしていた偽りの信号を遮断しました。
敵のゼノが繰り出す「死者の軍勢」に対し、絶体絶命の枢たち。
次回、第94話は明日3月6日(金)08:00に更新予定です!
森の霧が晴れる時、明かされるサロメの過去。
そして、枢が放つ、森全体を浄化する「神鳴の鍼」とは!?
「死体が動く描写、怖すぎ……」
「ゼノのキャラ、ヘイズ以上に冷徹そうでゾクっとした」
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明日の朝も、どうぞお見逃しなく!




