第92話:黄金の瓦礫、更生への一歩
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黄金の翼が砕け散り、エルドラドに本当の太陽が昇りました。
呪縛から解き放たれた民たちの涙と、力なく横たわるミダス王。
激闘の余韻の中で、枢は一人の「元・敵」から、この大陸を支配する真の絶望について聞かされることになります。
改革の光と、忍び寄る影。
木曜日の夕方、物語の転換点となる一話をどうぞ。
黄金の砂塵が舞う中、エルドラドの街にはこれまでにない「音」が満ちていた。それは金属が擦れ合う不気味な軋み音ではなく、人々が互いの無事を確かめ合い、安堵の溜息を漏らし、そして静かに流す涙の音だった。
中心部の広場では、リナが聖なる光を絶やさず、金化の後遺症で衰弱した人々の元を回っている。カザンは、重い黄金の甲冑を脱ぎ捨てて動けなくなっている元騎士たちを、その太い腕で抱え上げ、安全な宿営地へと運んでいた。
崩落した「太陽の玉座」の片隅で、枢は一人の老人の傍らに座っていた。
かつての威厳を失い、皺だらけの貧相な姿に戻ったミダス王は、焦点の定まらない瞳で、瓦礫の間から差し込む夕陽を眺めていた。彼の身体からは黄金の魔力が完全に抜け落ち、今や一歩も歩くことすらままならない、ただの瀕死の老人となっていた。
「……枢、殿……。……私は、……間違っていたのか。……永遠を、……この手に掴もうとしたことは……。……愛する妻が、……息子が、……砂のように消えていくのを……私は、……ただ……」
ミダスの掠れた声に、枢は静かに首を振った。
「……大切な人を失いたくないと願う心に、正解も間違いもありません。……ですが、ミダス王。……あなたが施した『黄金病』は、彼らを救ったのではなく、彼らの時間を無理やり止めて、死んだまま飾っておくだけの残酷な牢獄でした。……形は変わっても、想いは繋がる。……それこそが、命の正しい形なのです」
枢はミダスの痩せこけた腕を取り、脈を診る。
「……心音は安定しました。……黄金に蝕まれた内臓も、……私の鍼で気の流れを整えれば、……余生を静かに過ごす程度には回復するでしょう。……ミダス王。……これからは、……王としてではなく、……一人の贖罪者として、……この都の復興を見守ってください」
「……あ、……ありがとう。……君は、……恐ろしい男だ……。……私の、……魂の震えまでも……止めてしまうのだから……」
ミダスは安らかな表情で、深い眠りへと落ちていった。
「……相変わらず、……お人好しね。……自分を殺そうとした相手に、……そんなに優しくしてどうするの?」
背後から、皮肉めいた声がした。
振り返ると、そこにはボロボロのナース服を脱ぎ捨て、質素な布を纏ったサロメが立っていた。彼女のトレードマークだった巨大な注射器は、もはや影も形もない。
「……サロメさん。……患者が助けを求めているなら、……その背景がどうあれ、……私は手を差し伸べる。……それが鍼師としての私の矜持です。……それより、……あなたはどうするのですか?」
サロメは自嘲気味に笑い、地面に落ちていた黄金の欠片を爪先で弾いた。
「……どうするもこうするもないわよ。……私は『蛇の秤』を裏切った。……組織のやり方に疑問を持っていたのは事実だけど、……まさか、あんな細い針一本でミダス様が負けるなんて思わなかったもの。……もう、私の帰る場所なんてどこにもないわ」
「……ならば、……ここで償ってください。……この都の人々は、……あなたの『黄金薬』で傷ついた。……なら、……今度はあなたの知識で、……彼らの後遺症を治す手伝いをするべきだ」
「……私が? ……笑わせないで。……私は、人を救うための医学なんて学んでいないわよ。……学んだのは、いかに効率よく命を資源に変えるかだけ」
「……教本なら、ここにあります」
枢は往診バッグから、かつてバルトスに渡したのと同じ、ツボと経絡の基本を記した手書きの冊子をサロメに差し出した。
「……あなたの指先の感覚は、……実は非常に鋭い。……魔導注射器で狙いを定める技術は、……そのまま、……ツボを正確に捉える技術に転用できます。……毒を扱う者が、……最も優れた薬師になれる。……私はそう信じています」
サロメは呆然と枢の顔を見つめ、やがて乱暴に冊子をひったくった。
「……本当に、……変な男。……いいわよ。……暇つぶしくらいにはなるでしょう。……でも、一つだけ言っておくわ。……あなたは、……あの方……『蛇の秤』の真の支配者のことを、何も分かっていない」
サロメの瞳に、一瞬だけ深い絶望の色が走った。
「……ヘイズ様? ……あんなのは、ただの先駆者に過ぎないわ。……今の組織を率いているのは、……『慈悲なき賢者』と呼ばれる、……人の感情を一切持たない怪物。……あの方は、……病を作るのが目的じゃない。……この世界の『死』そのものを管理し、……神の座に座ろうとしているのよ」
「……慈悲なき賢者……」
枢の脳裏に、以前見かけた「蛇と秤」の紋章が浮かぶ。
ヘイズ博士が遺した狂気は、新大陸でさらに洗練され、冷徹なシステムへと進化していた。
「……枢さん、そろそろ炊き出しの準備ができましたよ!」
リナの明るい声が、崩落した宮殿に響く。
その声を聞き、枢は立ち上がった。
「……サロメさん。……どんな怪物であっても、……生きて、鼓動を刻んでいる限り、……必ず弱点となるツボは存在します。……私は、……この大陸に蔓延る『死のシステム』を、……根こそぎ治療してみせるつもりですよ」
夕闇が迫る中、枢は広場で待つリナとカザンの元へ歩き出した。
黄金の都エルドラド。
その輝きは失われたが、人々の肌には、血の通った確かな温もりが戻っていた。
だが、その夜。
エルドラドの北、雲を突き抜けるほど高い「大蛇の塔」の最上階では、一人の男がチェスの駒を静かに動かしていた。
「……ミダスが敗れたか。……黄金病のデータは十分に取れた。……次は、……もっと『感情』に訴える病が必要だな」
無機質な声が、冷たく響く。
聖鍼師の旅は、エルドラドの解放という一つの山場を越え、さらに過酷な「死の賢者」との知恵比べへと突入していく。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
激闘の後の穏やかなひととき。
ミダス王のその後と、サロメの「更生」への第一歩を描きました。
枢さんが渡した冊子が、また新しい医者の道を切り拓く……。こういう「繋がっていく」展開、書いていて心が温まります。
ですが、最後に現れた謎の男「慈悲なき賢者」。
ヘイズ博士以上の知能と、一切の情を持たない敵に対し、枢はどう立ち向かうのか。
黄金病の騒動すら、彼にとってはただの「実験データ」に過ぎなかったようです。
次回、第93話は本日21:00に更新予定です。
新たな舞台は、霧に閉ざされた「死者の森」。
そこで枢たちが目撃したのは、死んだはずの者が歩き続ける、異様な光景でした。
「サロメさん、ツンデレな感じが可愛い!」
「蛇の秤のトップ、めちゃくちゃ強そう……」
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