第85話:微睡(まどろみ)の村、幸福な死の旋律
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精霊族の少女に導かれ、霧の奥に隠された「眠れる村」へと足を踏み入れた枢たち。
そこで彼らを目にしたのは、幸せそうな微笑みを浮かべたまま、死の淵へと歩み続ける人々の異様な光景でした。
魔法も薬も効かない「幸福な死」。
聖鍼師の眼が捉えた、美しき泉に隠された残酷な真実とは。
本日最後の更新、どうぞお楽しみください!
精霊族の少女、ルネに導かれて霧の森を抜けた先には、お伽話に出てくるような美しい村が広がっていた。新大陸特有の巨大なシダ植物が家々を包み込み、中央には水晶のように透き通った「聖なる泉」が、月光を浴びて淡く発光している。しかし、その静謐な美しさとは裏腹に、村全体を支配しているのは、粘りつくような異様な「静寂」だった。
「……見てください。……あそこで寝ているのは、私の父様です。……もう三日も、……こうして笑ったまま、……何も食べずに眠り続けているんです」
ルネが指し示した家の軒先では、一人の男が草の上に横たわっていた。その顔には、最高に幸せな夢でも見ているかのような、穏やかで深い微笑が浮かんでいる。だが、枢の翡翠眼が捉えたのは、男の肉体から「生命の気」が、目に見えない細い糸となって泉の方へと吸い上げられ、枯れ果てようとしている残酷な現実だった。
「……これは、ひどい。……リナ、カザン、鼻を塞いでください。……この村に満ちているのは、……単なる霧ではありません。……極限まで希釈された『幻惑の胞子』です。……吸い込むだけで脳の報酬系を麻痺させ、強制的に幸福な夢を見せる……。まさに、生きたまま魂を削り取る『甘い毒』だ」
枢は往診バッグから、解毒の効果を持つ「銀砂の粉」を取り出し、自分たちの周囲に薄く撒いた。リナが慌てて杖を構え、聖なる風を呼び起こして周囲の空気を循環させる。
「……枢さん、この胞子……。どこかで感じたことがあります。……あの帝都の宮殿で戦った、フローラの毒に近い。……でも、もっと根が深くて、……大地の力そのものを利用しているような……」
「……その通りです、リナ。……フローラの毒は人造のものでしたが、これはこの土地の地脈そのものが変質させられた結果だ。……ルネ、あの泉。……以前と何か変わったことはありませんか?」
枢の問いに、ルネは泉を怯えた目で見つめながら答えた。
「……はい。……一ヶ月前、……大きな地震があった後、……泉の底から黒い石の柱が突き出してきたんです。……それから、……泉の水が甘い匂いに変わって、……村のみんなが、……泉を囲んで踊りながら、……そのまま崩れるように眠り始めて……」
枢は無言で泉へと近づいた。
水面を覗き込むと、底の方で怪しく明滅する漆黒の結晶体が、無数の血管のような根を地中に張り巡らせているのが見えた。その結晶体こそが、かつてヘイズ博士がこの地に廃棄した、失敗作の「魔導増幅核」であった。
「……見つけましたよ。……病の正体は、大地に突き刺さった『巨大な棘』です。……ヘイズはここで、人々の夢をエネルギーに変換する実験を行っていたのでしょう。……地震によってその装置が再起動し、今は村人全員の精神を燃料にして、何かを召喚しようとしている」
その時、眠っていたはずの村人たちが、一斉にムクリと起き上がった。
しかし、その瞳には光がなく、虚空を見つめたまま、壊れた人形のような足取りで枢たちの方へと歩み寄ってくる。
「……あ、……あぁ、……素晴らしい……。……光が、……私を呼んでいる……」
「……苦しみがない……。……ここが、……私たちの約束の地……」
うわ言のように幸福な言葉を吐き出しながら、村人たちはその手に農具や石を持ち、枢たちの進路を塞いだ。彼らは自分たちの「幸福な夢」を邪魔する者を排除しようとする、無意識の防衛本能に支配されていた。
「……カザン! ……彼らを傷つけずに無力化できますか?」
「……無茶を言うな、枢! ……これだけの数を相手に、手加減しろだと!? ……だが、……あいにく俺は、眠っている奴を叩き切るような趣味は持ち合わせていないんでな! ……ぬぉぉぉぉぉぉ!」
カザンが槍の石突きで地面を叩き、凄まじい衝撃波で村人たちの足を止めさせる。リナも「催眠を和らげる光」を放ち、少しでも村人たちの意識を現実に繋ぎ止めようと奮闘する。
「……皆さん、目を覚ましてください! ……ここは、本当の楽園ではありません! ……あなたたちの命が、……食べられているんです!」
リナの叫びも、夢の深淵に沈んだ彼らには届かない。
枢は一人、荒れ狂う村人たちの間を縫うようにして、泉の畔へと突き進んだ。彼の手には、虹色の輝きを放つ「神鍼」が握られている。
「……このままでは、……今夜中に全員の経絡が焼き切れる。……ならば、……私がその『夢の回路』を強引に遮断するまで。……聖鍼流、鎮静術――『神門の閉鎖』!」
枢は泉の畔に立つ、最も大きなシダの木……村全体の地脈の中枢となっている場所へと、神鍼を深々と突き立てた。
ツボとしての『神門』は、手首の小指側に位置し、精神を安定させ、不眠や焦燥を鎮める「心」への入り口。枢は、村という巨大な生命体における『神門』を特定し、そこを封じることで、泉から流れてくる幻惑の気の供給を、根こそぎ断ち切ろうとしたのだ。
キィィィィィィィン!!
神鍼が放つ翡翠色の光が、黒い結晶体から伸びる触手を一本ずつ焼き切り、泉の甘い匂いを清浄な大気で上書きしていく。
「……ぐ、……あ……あぁっ……!!」
村人たちが一斉に頭を押さえ、その場にうずくまった。幸福な夢が強制的に剥がされ、現実の疲労と苦しみが一気に彼らの肉体を襲う。だが、それは「生きている」ことの証でもあった。
だが、安堵したのも束の間。
泉の底の黒い結晶体が、枢の介入に怒るかのように激しく振動し、水柱と共に巨大な「影」を形作り始めた。
「……おのれ、……我が収穫を邪魔するのは……誰だ……。……私は、……夢を司る医師……、ヘイズ様の影……」
ヘイズ博士が遺した自律型の魔導プログラムが、異形の怪物となってその姿を現した。
新大陸編、最初の強敵。
聖鍼師の物語は、夢と現実の境界線での死闘へと突入する。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
新大陸での最初の事件、通称「眠れる村の怪」。
幸せな夢を見せながら命を奪うという、ヘイズ博士の残したあまりにも残酷な遺産の正体が明らかになりました。
枢さんの機転で一時の猶予はできましたが、泉から現れた「影」の正体とは……?
今回登場した**『神門』**。
手首にあるこのツボは、現代でも不眠症やイライラ、動悸などを鎮めるために使われる非常にポピュラーな場所です。村全体の「興奮(夢)」を鎮めるために、枢さんはこの場所を応用しました。
次回、第86話は明日3月4日(水)08:00に更新予定です!
夢を喰らう怪物に対し、枢が放つ「覚醒の一刺し」とは!?
「幸せな夢を見ながら死ぬなんて、怖すぎる……」
「枢さんの神鍼が今日も冴え渡る!」
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