第518話「深淵の藍色!命門の火と枢の究極銀鍼」
哭先生の漆黒の巨鍼による劇的な瀉法によって、『委中』の関門を穿たれ、大量の凍水を吐き出しながら崩壊を始めた寒魔の本体。
しかし、一時的に凍結が解除されたのも束の間、氷山の最奥からは、すべてを無に帰すような藍色の真の深淵――『寒邪』の源流がその姿を現しました。
次なる一撃でこの極限の冷えを根本から消滅させるため、枢先生が往診鞄から、かつてない陽気を宿した究極の銀鍼を抜き放ちます。
哭の放った巨鍼が氷山の核心を貫き、滝のように噴き出した黒い凍水が海面を激しく叩いていた。
一時的に大気の絶対零度の圧迫は和らいだものの、崩れゆく氷壁のさらに奥底から、周囲の光をすべて吸い込むような、不気味なほど深い「藍色の空間」が姿を現した。
それは、白霧島の泥霧よりも遥かに密度の高い、純粋な冷気の結晶体そのものであり、触れるものすべての時間を停止させるかのような絶対的な静寂を纏っていた。
「……チッ、やはり標治だけでは、この大寒の源流を完全に枯らすには至らんか」
崩落する巨大な氷塊を軽やかな身のこなしで次々と飛びのき、魔導船のデッキへと帰還した哭が、激しく息を吐き出しながら巨鍼をケースへと収めた。
彼の衣服は一切濡れていなかったが、外套の裾が冷気の圧力でバリバリと不気味な音を立てて強張っている。その卓越した技量をもってしても、自然界の底に眠る「真の冷え」を完全に消滅させることは叶わなかったのだ。
「哭先生、素晴らしい時間を稼いでいただきました。あなたが開けてくれたその悪水の出口こそが、この怪異を内側から温めるための唯一の侵入路です」
枢が哭の横を通り抜け、デッキの最前方へと進み出た。
吹き付ける藍色の冷気が彼の長い髪を白く染め、視界を遮るほどの吹雪となって襲いかかるが、その白銀の瞳は、寒邪の源流を真っ向から見見据えて揺るぎない。
「ハクさん、あの藍色の中心部、最もエネルギーが濃縮されている『命の根源』の位置を教えてください」
操舵室の窓から、ハクが半分凍りついた天球儀を必死に覗き込み、自身の体力を振り絞るように声を枯らして叫んだ。
「あの藍色の渦のちょうど真ん中、海面から数メートルの位置だ! そこに、この海域全体の熱を奪い去っている、巨大な『負のエネルギーの核』がある! あそこに近づくだけで、魔導船の防御障壁すら一瞬で凍結して砕け散るぞ!」
「わかりました。あそこが、この大寒の海域における『命門』ですね」
枢が静かに両手を広げると、彼の往診鞄の奥底から、これまで一度も使われたことのない、眩いばかりの金色を帯びた、極太の特製銀鍼がゆっくりと浮き上がってきた。
東洋医学において『命門の火』とは、人間の生命活動の根本となる、腎の中に宿る原始の熱エネルギーのことを指す。ここが冷え切ってしまうと、人間は五臓六腑のすべての機能を失い、死に至る。それは、世界という巨大な肉体にとっても同じことだった。
「寒邪がこの世界の命門の火を消そうとしているのなら、私の正気(生命力)を全て注ぎ込んででも、その火をもう一度点火させてみせます。シオンさん、魔力の増幅を!」
「はい、先生! ――我が魔力よ、枢先生の清らかななる陽気の盾となれ!」
シオンが魔導書を高く掲げ、枢の身体を包み込むように、黄金色の巨大な魔法陣を展開した。
藍色の冷気がその結界に触れて激しい火花を散らす中、枢は一歩、また一歩と、極寒の深淵に向かって確実な足取りで歩みを進める。
その時、空間の冷気がさらに密度を増し、枢の足元から氷のトゲが急速に伸びて彼の衣服を捉えようとした。
だが、その氷のトゲが枢に届くより早く、一筋の黒い閃光がそれを粉砕した。
「……ふん、命門の火を人工的に呼び覚ますか。己の命を削りかねん、どこまでも clinical に狂った男だ。余計な冷気に邪魔をされるな、枢」
哭が腕を組みながら、周囲に迫る寒邪の触手を予備の黒鍼で正確に撃ち落としていく。彼の口調は冷淡だったが、その行動は枢の行く道を完璧に護るためのものだった。
「感謝します、哭先生!」
枢の気合と共に、手にした金色の銀鍼が、藍色の深淵の中心へと向かって力強く突き出された。
「――『白燕・陽気回生』!」
鍼の先端から、まるで小さな太陽が生まれたかのような、圧倒的な熱と光の波動が放たれ、まっすぐに藍色の渦の核心部へと吸い込まれていく。
ジジジ……と、冷気と熱気が衝突する凄まじい大気の悲鳴が響き渡る。
枢の銀鍼が『命門』の核に触れた瞬間、海域全体を満たしていた藍色の闇が、内側から黄金色の光によってパキパキとひび割れていった。
それは、凍てついた大自然の肉体に、もう一度「命の温もり」を吹き込む、究極の本治(根本治療)だった。
藍色の深淵は光に呑まれ、魔導船を阻んでいた巨大な氷山の残骸も、内側から生じた熱によってみるみるうちに解け、ただの温かい水へと還っていくのだった。
第518話「深淵の藍色!命門の火と枢の究極銀鍼」を最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
哭先生の瀉法によって開かれた突破口へ、枢先生が生命の根本たる『命門』の火を点火させる究極の銀鍼を打ち込む、緊迫の臨床をお届けいたしました。
今回は、枢先生が寒邪の源流を消滅させるために用いた概念「命門の火」の病理について解説いたします。
東洋医学において「命門」は、生き物が生きていくための根本的な熱エネルギー(原陽・げんよう)が蓄えられている、いわば「身体の中のボイラー室」のような場所です。
自然界でも人間の身体でも、外からの強い「寒邪」がこの命門の火にまで到達してこれを冷やしきってしまうと、全ての代謝が停止し、修復不可能なダメージを受けてしまいます。枢先生が施した治療は、外側から一時的に温めるだけでなく、大自然が本来持っている「自ら温まる力(正気)」を内側から爆発的に呼び覚ます、まさに「本治(根本治療)」の極致です。
哭先生の標治と枢先生の本治が合わさることで、この極寒の怪異もいよいよ終焉へと向かいます。
お昼休みのひととき、午後からの仕事や作業に向けて準備をされている時間帯かと存じます。
「冷房の風が一日中当たって、お腹や腰の芯まで冷え切ってしまった」「下半身が冷えて、消化不良や下痢を起こしやすい」という方は、体内のこの「命門の火」が弱まり始めているサインです。
そんな時は、おへその真後ろ、ちょうど背骨の上にあるくぼみ(命門の周辺)や、その少し下にある骨の周辺を、手のひらでじわーっと円を描くようにこすって温めてみてください。内臓のボイラー室が再起動し、お腹の底からじわじわと温かい血が全身を巡り、午後からの集中力と活力が驚くほど回復しますよ。冷えを感じたら、まずは腰の後ろを温めることを意識してみてくださいね。
命門の火によって内側から崩壊を始める寒魔の深淵。往診チームは、この極寒の海域を無事に突破することができるのか――。
次なる第519話は、本日水曜日(6/24)の【21:00】に更新予定です。夜のゆったりとしたリラックスタイムに、さらに clinical に加速する物語の続きをどうぞお楽しみに!




