第506話「赤砂のオアシス!渇きの街と覇道の銀鍼」
木曜日のお昼休み、新しい章の幕開けとなる記念すべき第506話をお届けいたします。
前回までの『黒岩島編』で大地の熱毒を退け、見事に清流を取り戻した往診チーム。
本日より開幕する新章の舞台は、広大な赤砂漠のただ中に佇む、美しくも乾ききったオアシスの街『流砂の琥珀街』。
そこで人々を苦しめていたのは、五臓の「肺」を脅かす未知の乾燥性疫病と――そして、この街の医療を力で支配する、冷酷無比な「もう一人の凄腕医師」でした。
枢先生の前に立ちはだかる、生涯の宿敵にして、これから始まる長い旅路の運命を共にするライバルとの衝撃の邂逅。
お昼のひとときにどうぞじっくりとお楽しみください。
魔導船の船首が捉えたのは、見渡す限りの赤茶けた砂の海と、その中央に奇跡のように浮かび上がる、緑の木々に囲まれた石造りの美しい街並みだった。
木曜日、正午。往診チームが新たに到達したのは、砂漠地帯の交易の要衝であるオアシス都市『流砂の琥珀街』。
しかし、接岸した船から一歩外へ踏み出した瞬間、一行を襲ったのは、これまでの海の旅では経験したことのない、肌がパリパリと音を立ててひび割れるような、極限の「乾燥」だった。
「……う、うわぁ。息を吸うだけで、喉の奥がカラカラになって痛いよ。サン・バルサ島の海風が恋しいな……」
ネネが自身の喉を押さえながら、小さく声を漏らした。
「気をつけて。この大気、ただの砂漠の乾燥じゃないわ。空気中の水分(湿気)が、何らかの異常な力によって根こそぎ吸い尽くされている。魔導銃の冷却機構も、周囲の乾燥のせいで結露すら作れない状態よ」
リナが愛用の魔導銃を腰に収め、警戒を強めながら周囲を見回す。
「ええ。五行において、この圧倒的な乾燥は『燥邪』と呼ばれます」
枢が往診鞄を手に、静かに石畳を進む。
「燥邪は五臓の『肺』を最も激しく傷つけます。肺は瑞々しさを好み、乾燥を嫌う臓器。ここを傷つけられれば、人々は激しい乾咳に襲われ、体内の冷却水である『陰液』を急速に失っていくのです」
枢の言葉を証明するかのように、通りを行き交う街民たちの様子は異常だった。
皆、一様に衣服で深く顔を覆っているが、その隙間から聞こえるのは、痰の絡まない、コンコンという乾いた、苦しげな咳の音。路傍に座り込む人々の肌は、まるでひび割れた粘土細工のように白く粉を吹き、中には乾燥が行き着くところまで行き、皮膚が裂けて血を滲ませている者さえいた。
「ひでえ有り様だな。水が出ないわけじゃなさそうなのに、なんでどいつもこいつもこんなに干からびてやがるんだ?」
ガストンが太い腕を組み、怪訝そうに眉を顰める。街の中央には、確かに豊かな水を湛えたオアシスの大泉が見えているのだ。
「……いいえ、違います。街民たちの魔力の流れを見てください」
シオンが魔導書を掲げ、街の医療所に集まる人々のエネルギーを解析して、驚愕の声を発した。
「彼らの体内の水分が失われているのは、燥邪のせいだけではありません。何者かによって……体内の気血の巡りを『強制的に爆発』させられ、その代償として、本来なら数年かけて使うはずの体液(精気)を、一瞬で蒸発させられているんです!」
「何だって……!?」
ハクが片眼鏡を抑え、その視線の先にある街の中央医療所を見据えた。
そこからは、すすり泣くような悲鳴と、冷酷なまでに鋭い、魔力の駆動音が響いていた。
「――静かにしろ。お前の五臓が乾いているのは、単に気血の巡りが滞っているからだ。ならば、その滞りを『力』で抉り開ければいい。命を惜しむな、今この瞬間を生き延びたいのだろう?」
低く、地を這うような、だが氷のように冷徹な男の声。
枢たちは吸い寄せられるように、その医療所の扉を開け放った。
そこにいたのは、漆黒の医師衣を纏った、一人の若き術者だった。
長い黒髪を無造作に後ろで結び、その瞳は、すべてを見透かすような不気味な「深紅」の色をしている。彼の右手には、枢先生が使うものと同じ、だが禍々しい黒色の光を放つ『黒銀の長鍼』が握られていた。
男は、ベッドで乾燥性の高熱にうわ言を言っている老人の胸元へ、目にも留らぬ速さでその黒鍼を突き立てた。
ザク、ザク、ザク――ッ!!
「あ、があぁぁぁっ!?」
老人が狂ったように身体を仰け反らせ、絶叫する。
だが次の瞬間、老人の皮膚のひび割れが、みるみるうちに塞がり、あれほど激しかった乾咳がピタリと止まった。老人は、まるで何事もなかったかのようにベッドの上にすくと立ち上がり、「治った……? 身体が、軽いぞ!」と歓声をあげたのだ。
周囲にいた街民たちが、一斉にその黒衣の医師に向かって膝をつき、神を崇めるように頭を垂れる。
「さすがは『哭』先生だ……!」
「本土の生ぬるい医者どもとは違う、哭先生の『覇道の医術』だけが、俺たちの命を繋いでくれる!」
しかし、その劇的な光景を見たシオンとネネは、あまりの凄惨さに顔を青くして絶句した。
「……ひどい。あの患者の老人の脈、表面上は力強く見えますが、内側の『腎精』の貯蔵庫が完全に空っぽになっています。あの方は……一週間後の命を前借りして、今、無理やり立たされているだけです!」
シオンの悲痛な叫びに、黒衣の医師――哭は、ゆっくりと首を巡らせた。
その深紅の瞳が、往診鞄を下げた枢の姿を捉える。
「ふん……。外から来たネズミが、他人の医術に口を挟むな。私は今、この瞬間、目の前の患者を『生かして』みせた。それがすべてだ。一週間後に死のうが、今ここで咳き込んで窒息死するよりは遥かにマシだろう?」
哭は黒銀の鍼を指先で弄びながら、不敵に鼻で笑った。その佇まい、そして放つ気の圧倒的な鋭さは、かつて枢が対峙した暗黒医療組織の伝説「骸」に、あまりにも酷似していた。
「……あなたの技術が、私と同等か、あるいはそれ以上であることは認めます」
枢が一歩前へ出た。その白銀の瞳が、哭の深紅の瞳と、大気中でバチバチと火花を散らすように激しく激突する。
「ですが、あなたの行っていることは医療ではありません。それは、枯れかけた木に強い油を注いで一瞬だけ激しく燃え上がらせ、根を完全に腐らせる『虐殺』です。東洋医学の王道は、五臓の調和を保ち、患者がこれから先も生きていくための『治癒力』を育むことにあります」
「王道、だと?」
哭の口元が、冷酷な嘲笑の形に変形した。
「笑わせるな、偽善者が。この極限の乾燥が支配する砂漠で、そんな悠長な調和などを唱えていては、全員が明日には干からびて塵になる。この街を救うのは、私の『覇道』の医術だけだ。お前たちの生ぬるい鍼など、何の役にも立たん」
「ならば、証明するまでです」
枢が往診鞄の取っ手を強く握り締め、静かに、だが絶対の覚悟を込めて告げた。
「どちらの医術が、本当にこの街の人々を、そしてこの『大地の渇き』を救うことができるのか。あなたの覇道か、私たちの王道か。ここで、お見せしましょう」
「いいだろう。その思い上がり、私の黒鍼で木っ端微塵に粉砕してやる。せいぜい、砂漠の塵になるのを楽しむがいい」
哭が黒衣を翻し、医療所の奥へと消えていく。
未知の乾燥性疫病『燥邪』が渦巻く、流砂の琥珀街。
そこへ足を踏み入れた往診チームの前に現れたのは、枢先生と全く同じレベルの医術を操りながら、真逆の信念を持つ最悪の宿敵だった。
時に激しくぶつかり合い、時に背中を預け合うことになる、生涯のライバルとの果てしなき医療闘争の火蓋が、この灼熱の砂漠の地で、今ここに切って落とされるのだった――。
第506話「赤砂のオアシス!渇きの街と覇道の銀鍼」を最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
今回は、新章の幕開けとして、哭先生が行った「覇道の医術」の病理と、東洋医学における『燥邪』の本質について解説いたします。
東洋医学において、乾燥を司る「燥邪」は、五臓の「肺」を激しく攻撃し、体内の水分や津液を干からびさせます。これに対して哭先生が用いた手法は、東洋医学で言う『強刺激の瀉法』を極限まで悪用したものです。
体内の残されたわずかなエネルギー(精気や陰液)を、鍼の強い刺激によって局所に一気に爆発・集中させることで、表面上は一時的に症状が「治った」ように見せかけることができます。しかし、これはシオンが指摘した通り、本来なら将来のために蓄えられている五臓の「腎」の精気を前借りして燃やしているに過ぎず、効果が切れた後は、患者は以前よりも激しく衰弱し、最悪の場合はそのまま枯れ果てるように命を落とします。
これに対して、枢先生が掲げる「王道」の医療は、足りない水分を補い(滋陰潤燥:じいんじゅんそう)、身体が本来持っている自然治癒力を呼び覚ます治療です。この二つの正反対の思想の衝突が、これからの新章を clinical に熱く動かしていくことになります。
現代の皆様にとっても、木曜日の疲れが溜まるお昼休みや日中の時間帯、冷房の効いたオフィスや乾燥した環境に長くいると、喉がイガイガしたり、肌のかゆみ(気の滞り)が生じやすくなります。
お昼休みには、ぜひ冷たすぎないお水や梨のジュースなど、五臓の「肺」を内側から潤してくれる水分をこまめに摂り、体内の潤いシステムを健やかに保つ養生を意識してみてください。
ついに始まった、枢先生と宿敵・哭先生による前代未聞の医療闘争。次なる対決の行方は――。
次なる第507話は、本日木曜日の【21:00】に更新予定です。
一日の仕事を終えた夜のリラックスタイムに、さらにヒリヒリとする clinical バトルの続きをどうぞお楽しみに!




