第242話:追憶の断罪、白銀の剣先が告げる「拒絶」
本日も、夕方の更新をお読みいただき、心より感謝申し上げます。
第四章:忘却の聖者と翡翠の巡礼、第三話。
王都・聖アルカディアの喧騒を離れ、街道を北へと急ぐ枢。
彼の手を引く仲間も、その名を呼ぶ友の声も、今の彼にはありません。
あるのは、孤独な足音と、自身の存在が世界から削り取られていく、静かな虚無感だけでした。
しかし、運命はあまりにも残酷に、彼をかつての「絆」へと引き戻します。
「……止まりなさい。……そこの、……盲目の男」
街道の行く手を塞いだのは、王都を守護する白銀の甲冑。
かつて共に死線を潜り抜け、枢を「先生」と慕ったシエラが率いる聖騎士団。
しかし、彼女の翡翠の瞳に宿っているのは、信頼ではなく、正体不明の「不純物」に対する冷徹な正義の剣でした。
「……顔を見せなさい。……貴殿の放つ『因果の気』は、……あまりに……異質です」
かつての友による、容赦なき「狩り」。
名前を失ったが故の、最も残酷な再会が始まります。
夕刻の街道は、血のような朱色に染まっていた。
枢は、自身の竹杖が発する乾いた音だけを頼りに、緩やかな坂道を登っていた。
視覚を失った彼の心眼には、前方の空気が、刃物のように鋭い「殺気」で切り裂かれているのが見えた。
――ガシャンッ、……ガシャンッ。
等間隔に響く、重厚な金属の擦れる音。
それは、王都が誇る「白銀の聖騎士団」が、獲物を包囲する際の完璧な行軍の響き。
「……止まりなさい、……旅人。……これより先は、……聖騎士団の封鎖区域です」
凛とした、しかし氷のように冷たい声。
枢の足が、その場で凍りついたように止まった。
その声の主を、枢が忘れるはずがなかった。
シエラ。
かつて王都の地下で、彼女の命と心を救うために、枢が自らの右腕を犠牲にした……その人だった。
「……シエラ、……さん……」
枢の唇が、無意識にその名を紡いだ。
だが、その微かな囁きを聞いたシエラの反応は、枢の心を粉々に打ち砕いた。
「……なぜ、……私の名を知っている。……怪しい男。……貴殿は、……王都のエネルギーシステムを崩壊させた、……反逆者の残党か?」
シエラの瞳には、一片の「記憶」の揺らぎもなかった。
彼女にとって、目の前に立つ盲目の男は、ただの「因果の法を犯す可能性のある容疑者」に過ぎない。
枢は、自身の左手で、自身の胸にある**『神蔵』**を、自身の指をめり込ませるように強く圧迫した。
激痛。
それは、彼女を救ったという事実さえも、今の世界では「罪」として認識されていることの証明。
(……あはは、……おじさん。……ほらね、……言ったでしょ。……あの女にとって、……おじさんはもう……ただの『ゴミ』だよ)
脳内で、少年の声が狂喜に満ちて響く。
枢の右腕にある『翡翠の芽』が、持ち主の悲しみに共鳴するように、熱く脈動を始めた。
「……失礼いたしました。……聖騎士団の……シエラ様。……私は、……ただの……旅の……鍼灸師です」
「……虚偽を言うな。……旅の治療師が、……なぜ……王都の最高機密である私の名を……正確に呼べる?」
シエラが、腰の長剣を抜いた。
抜き放たれた白銀の刃が、夕日に反射し、枢の光なき瞳の奥を焼く。
「……王都を襲ったあの『黒い災厄』……その残滓が、……貴殿の右腕から……微かに漂っている。……大人しく……同行してもらう。……拒否するならば、……力ずくで……拘束する」
枢は、自身の左指を、自身の右腕にある**『外関』**に添えた。
外の世界との因果を調整するツボ。
今ここで、彼女と争えば、彼女を傷つけることになる。
だが、捕らえられれば、新政府の「心臓」を止めた反逆者として、処刑は免れない。
「……シエラさん。……あなたは、……以前……言いましたね。……『正しい道を行く者を、……私は必ず助ける』と……」
「……貴殿が、……なぜ……その誓いを知っている……!!」
シエラの剣先が、枢の喉元に突きつけられた。
枢は、自身の左手で、自身の額にある**『印堂』**を、自身の覚悟を決めるように深く突いた。
そして、ゆっくりと右腕を掲げた。
そこから溢れ出したのは、かつての漆黒の闇ではなく、淡く、瑞々しい「翡翠の光」。
「……これは、……攻撃ではありません。……あなたの、……凍りついた……記憶を……少しだけ……」
枢が、一歩、踏み出した。
シエラの剣が枢の肩を掠め、鮮血が舞う。
だが、枢は止まらない。
彼は、自身の指先で、シエラの剣の平に触れ、そこから自身の気を流し込んだ。
狙ったのは、シエラの脳幹にある**『風府』**に対応する、因果の伝導路。
「……っ、……な、……何を……!!」
シエラの脳裏に、一瞬だけ、断片的な光景が奔走した。
地下の暗闇。
自分を抱きかかえる、温かな腕。
翡翠の光を放つ、優しい指先。
「……枢、……せん、……せ……?」
シエラの唇から、微かにその名が漏れた。
だが、その瞬間。
世界そのものが発する「忘却の力」が、強力な電磁波のようにシエラの脳を貫いた。
枢という存在を、この世界に記述させないための、強烈な拒絶反応。
「……あ、……あぁぁぁぁぁぁッ!!!」
シエラが頭を抱えて膝を突いた。
枢の名前を思い出そうとする行為そのものが、彼女の精神を崩壊させようとしている。
「……いけません、……シエラさん……!! ……思い出しては、……ならないのです……!!」
枢は、咄嗟にシエラの首の付け根にある**『大椎』**を、自身の翡翠の鍼で軽く突いた。
無理やり記憶を呼び起こすのを止め、彼女の精神を深い「忘却」へと戻すための、哀しき鎮静。
シエラの瞳から光が消え、彼女は崩れるように枢の腕の中へと倒れ込んだ。
「……申し訳……ありません。……私の……エゴでした。……あなたは、……私のことなど……忘れていて……いいのです……」
枢は、気を失ったシエラを街道の傍らに静かに寝かせた。
追っ手の騎士たちが近づいてくる足音が聞こえる。
第242話。
かつての友との再会は、思い出そうとするだけで彼女を壊しかけるという、残酷な事実を突きつけた。
枢は、血に染まった肩を抑えながら、再び霧の奥へと消えていく。
誰からも愛されず。
誰からも記憶されず。
それでも彼は、明日もまた、誰かの命を繋ぐために鍼を打つ。
その背中には、もう自分という名前さえも残っていなかった。
本日も、夕方の更新を最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
第四章の第三話。
シエラとの衝撃的な再会。
しかし、彼女の記憶を無理やり呼び起こそうとすることが、逆に彼女を苦しめてしまうという「忘却の呪い」の恐ろしさが浮き彫りとなりました。
救いたい相手だからこそ、自分を忘れさせなければならない。
聖鍼師・枢が背負った孤独の深さが、伝わりましたでしょうか。
シエラを後にし、逃亡者となった枢。
次なる目的地は、因果の歪みが最も激しいとされる「棄てられた聖域」。
次回の第243話は、本日**【21:00】**に更新予定です。
夜の帷が下りる中、枢を待っていたのは、右腕の少年の「真の正体」に迫る、かつてない強敵。
「……先生、……ボクのパパに……会わせてあげるよ」
少年の歪んだ笑みが、暗闇で翡翠色の光を呑み込みます。
21時、本日最後の更新。
物語はいよいよ、第四章の核心へと迫ります。どうぞお見逃しなく。




