第237話:暗黒の迷宮、廃棄された「肉の記憶」
本日も、午後のお忙しい中お読みいただき、心より感謝申し上げます。
王都の城門を、かつての友シエラを救うことで突破した枢たち。
しかし、新政府がひた隠しにする「王都の病根」は、華やかな街並みの真下、地下迷宮の奥深くに隠されていました。
「……聴こえますか、カザン。……石壁の向こうから、……数千人の『呼吸』が……一つに混ざり合っている音が」
盲目の聖鍼師が、壁を伝う微かな振動だけで暴き出したのは、人間を「部品」として再構成した、巨大な異形の防衛システム――『肉の壁』。
光のない地下で、枢の指先が、絶望を編み込んだ肉の迷宮に挑みます。
「……大丈夫です。……どれほど形が変わっても、……あなたたちの『経絡』は……まだ、死んでいません」
恐怖と慈愛が交錯する、衝撃の地下探索編。
第237話、闇の中でこそ輝く「魂の往診」を、どうぞ最後まで見届けてください。
王都の地下に、これほど広大な「空洞」が存在することを、地上で謳歌する市民の誰が知っていただろうか。
枢は、湿り気を帯びた冷たい空気を深く吸い込んだ。
視覚を失った彼にとって、この地下迷宮は、もはや「闇」ではなかった。
壁を伝う水滴の音、床を這う虫の羽音、そして同行するカザンと骸の、緊張で強張った筋肉が発する微細な「音の波紋」。
それらすべてが、枢の脳内で精緻な三次元地図として描き出されていた。
「……おい、枢。……本当にこっちで合ってるのか? ……さっきから、……死臭がひどくなってやがるぜ」
カザンが、紅蓮槍の穂先に小さな火を灯し、周囲を照らしながら囁いた。
火の光は、壁に染み付いた黒い「血痕」と、不自然に蠢く「肉の繊維」を照らし出している。
新政府が、アルキメスの遺産を整理する過程で、制御不能となった因果の汚染者たちを、この地下に放り込み、塗り潰した痕跡。
「……はい。……この先で、……街全体の因果が……一箇所に吸い込まれています。……そこが、……この王都の『心臓』……そして、……最大の『膿』です」
枢が、一歩、前へ出た。
その瞬間、正面の通路全体が、不気味な脈動を開始した。
――ドクンッ!!
鼓動のような地響き。
石壁だと思っていたものは、実は、無数の人間の腕や足が複雑に絡み合い、因果の糸で縫い合わされた「生きた壁」だった。
『肉の壁』。
かつてアルキメスに救われ、物語の平穏を信じた者たちが、新政府によって「物理的な防衛システム」へと作り変えられた姿。
「……なんだ、……こりゃあ……!! 人間の顔が、……壁の中に……埋まってやがる……!!」
カザンが、吐き気を催したように顔を背けた。
壁からは、虚ろな目をした無数の「顔」が突き出し、一斉に意味をなさない呻き声を上げ始めた。
「……敵対者の……排除を……開始。……因果の……不純物を……分解せよ……」
壁から伸びてきた数百本の「手」が、枢たちを捕らえようと襲いかかる。
その一本一本には、かつて人々が持っていた「未練」や「後悔」が、猛毒となって宿っていた。
「……下がっていろ、枢!! ……こんなもん、……全部焼き払ってやる!!」
カザンが槍を振り上げ、業火を放とうとした。
「……待ってください!!」
枢が、カザンの腕を制した。
枢は、自身の左手で、自身の耳の後ろにある**『角孫』**を強く圧迫した。
聴覚を限界まで研ぎ澄ませる。
聞こえてきたのは、殺意ではなかった。
壁を構成する一人一人の、小さく、震えるような「助けて」という声。
彼らは、自らの意思で壁になっているのではない。
強引に編み込まれた因果によって、死ぬことさえ許されず、永遠に「門番」としての役割を強制されている患者たちだった。
「……彼らは、……まだ生きています。……カザン、……火を消してください。……彼らを焼けば、……彼らの魂は……二度と……再記述できなくなる」
枢は、漆黒に変色し、数万の怨嗟を封じ込めた「禁忌の右腕」を、無造作にその肉の壁へと突き立てた。
――ジジジジッ!!
枢の右腕から溢れ出す「少年の虚無」と、壁の「未練」が激しく衝突し、青白い火花が散る。
(……あはは、……おじさん、……優しいね。……こんな……ゴミみたいな塊を、……まだ……人間だと思ってるんだ)
脳内で少年の嘲笑が響く。
「……ええ。……私は、……鍼灸師ですから。……どれほど形が歪もうと、……経絡が流れている限り……見捨てることはできません」
枢は、自身の左手で、自身の喉元にある**『天突』**に指を添えた。
呼吸を同調させる。
壁全体の「鼓動」と、自らの「脈拍」を、一つのリズムへと重ねていく。
そして、枢は驚くべき行動に出た。
肉の壁にある無数の「顔」のうち、最も苦悶に満ちた表情を浮かべている一人の額に、一本の長い鉄鍼を打ち込んだのだ。
狙ったのは、精神の安定を司る**『神庭』**。
たった一本。
しかし、その鍼を媒介にして、枢の右腕に封じられた「万人の人生」の一部が、壁へと逆流した。
それは、攻撃ではない。
「記憶の共有」という名の、究極の鎮痛剤。
「……思い出してください。……あなたが……愛していた人の……声を。……あなたが……守りたかった……温もりを……」
枢の指先から、清冽な気が注ぎ込まれる。
その瞬間、肉の壁の脈動が、静かに、しかし確実に変化した。
襲いかかってきていた数百本の手が、力なく垂れ下がり、呻き声は静かな寝息へと変わっていく。
壁を構成していた肉の繊維が、枢の「慈悲」の気に包まれ、一時的な眠りに就いたのだ。
「……な、……寝かせちまったのか? ……この巨大な化け物を、……たった一本の鍼で……?」
骸が、信じられないものを見る目で枢を凝視した。
死の気を操る骸でさえ、これほど巨大な因果の集合体を、力ではなく「対話」で沈めた光景は、戦慄に値するものだった。
「……長くは……もちません。……急ぎましょう。……この壁の奥に、……この国を……本当の意味で……腐らせている……『元凶』がいます」
枢は、膝を突き、血を吐きながらも立ち上がった。
自身の右腕にある**『合谷』**を強く圧迫し、激痛を麻痺させる。
盲目の聖鍼師の足取りは、もはや迷いも躊躇もなかった。
闇を歩くたび、彼の黒い右腕は、周囲の壁に溜まった「毒」を吸い込み、さらに肥大化していく。
彼が救うたびに、枢自身が「怪物」へと近づいていく皮肉。
第237話。
肉の迷宮を突破した一行。
その最深部で彼らを待っていたのは、新政府の「影の支配者」であり、かつて枢が唯一……治療に失敗した、あの『死者』でした。
暗黒の往診、物語はいよいよ「死の再定義」へと足を踏み入れる。
本日、4回目の更新を最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
土日ブースト2日目、第4回。
視覚を失った枢が、闇の中で「肉の壁」と対話する、狂気と救済が混ざり合ったエピソードをお届けしました。
「目に見える恐怖」に惑わされない枢だからこそ、壁の中にある「人間性」を見つけることができたのです。
しかし、最深部で待つ『元凶』の正体。
かつて枢が救えなかった死者が、どのようにして新政府を操っているのか。
枢の失った視覚の代わりに、何が真実を照らし出すのか。
次回の第238話は、本日**【18:00】**に更新予定です。
再会した『死者』が放つ、腐敗した言葉。
「……先生、……私を……殺したのは……あなたですよ」
枢の過去の罪が、暗闇の中で牙を剥きます。
18時、物語はついに枢の「最大のトラウマ」へと直面します。
本日も、圧倒的なボリュームでお届けします。お楽しみに!




