第225話:空白の利権、泥濘(でいねい)に蠢くハイエナ共
アルキメスという絶対的な管理者が消えた王都シグルド。
平穏が戻ったのも束の間、地下水脈に溜まった「因果の結晶」という莫大な利権を巡り、周辺諸国の使者や教団の別派閥が、ハイエナのように集まり始めます。
復興作業に汗を流すカザンと骸の前に立ちはだかる、教団の執行官ゼノス。
彼らは「聖域の保護」を名目に、街の生命線である水脈の管理権を強引に奪おうと画策します。
「……力で奪うのが、あなた方の『正義』ですか? ならば、私はその歪んだ正義を瀉血します」
右腕の黄金を失い、包帯姿で現れた枢。
武力も奇跡も持たない「ただの鍼灸師」が、言葉と洞察力だけで、傲慢な権力者たちと対峙します。
英雄譚の終わり、そして「政治と医療」が交錯する重厚な戦後編、始まります。
王都シグルドの外縁、地下水脈の源流にあたる「清命の滝」。
かつては翡翠の輝きを放ち、王都の飲料水のすべてを賄っていたその場所は、今や赤黒い泥のような「因果の沈殿物」に汚れ、鼻を突く鉄錆のような異臭を放っていた。
「……ケッ、汚ねえな。これが、あの神様気取りの野郎が最後に撒き散らした『本音』ってわけか」
骸が、自身の動かない漆黒の義手をクレーンのように使い、水底に溜まった巨大な「文字の結晶」を一つずつ吊り上げていた。彼の横では、カザンが上半身裸になり、自慢の紅蓮槍をシャベル代わりに使って、汚染された土砂を掻き出している。
「……文句を言うな、骸。これが残ってると、王都の奴らがまた変な病にかかっちまうんだ。枢が……あんな体で必死に牢屋のジジイを診てんだ。俺たちがこの街の『血管』を掃除してやらねえでどうする!!」
カザンが、全身から湯気を立ち昇らせながら咆哮する。
アルキメスが消え、翡翠の心臓が沈黙したことで、王都を支えていた「奇跡の循環」は止まった。今のシグルドは、自力で毒を排出できない、巨大な「便秘状態の患者」のようなものだった。二人は、枢の指示の下、物理的な「瀉血」作業を行っていたのだ。
「……だがよ、カザン。掃除しなきゃならねえのは、このドロドロの因果だけじゃなさそうだぜ」
骸が、顔を上げ、滝の入り口へと視線を向けた。
朝霧を切り裂いて、規則正しい軍靴の音が近づいてくる。現れたのは、王都守備隊ではない。純白の法衣を纏い、背中に巨大な「天秤」の紋章を背負った、総勢五十名を超える武装集団。
「――そこまでだ、流れの傭兵諸君」
集団の先頭に立つ男が、冷徹な声を響かせた。若々しい美貌を、冷酷なまでの「正義」で塗りつぶしたような男。彼は、かつてアルキメスと対立し、教団内で「過激な浄化」を主張していた異端派閥の長――執行官ゼノスだった。
「……この地下水脈は、教団の『聖域』に指定された。これより先、汚染物の回収および因果の再調整は、我々『真理執行局』が一括して管理する」
「……あぁ? 真理執行局だか何だか知らねえが、俺たちは国王陛下とサロメお嬢様から直接頼まれてんだ。今更、教団の腰抜け共がしゃしゃり出てくるんじゃねえよ」
カザンが、槍の石突きを地面に突き立て、威嚇するように立ち塞がる。
「……国王? エドワードか。彼もまた、アルキメスの傀儡に過ぎなかった責任を問われるべき立場だ。教団は、この王都の全機能を一時的に凍結し、『再編纂』を行うことを決定した」
ゼノスが、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。そこには、教団最高会議の印章と共に、王都シグルドの「管理権移譲」の文字が踊っている。
「……アルキメスという膿が出た今、この街の利権を一部の貴族や怪しげな鍼灸師に独占させるわけにはいかないのだ。汚染された因果の結晶はすべて没収する。抵抗するなら、神への反逆と見做し処刑する」
ゼノスの合図と共に、武装した信徒たちが一斉に法力銃(魔動銃)を構えた。
「……へっ、結局は『宝の山』を横取りしに来ただけじゃねえか。因果の結晶が莫大なエネルギー源になることを知ってて言ってやがる」
骸が、漆黒の義手の指先を微かに動かした。動かないはずの義手から、ドロリとした「死の気」が漏れ出す。
「……カザン、どうする? ここでこいつらを皆殺しにしてもいいが、そうなると枢の立場が悪くなるぜ」
「……分かってる。だがな、骸。俺は、この泥にまみれて必死に働いてる奴らを嘲笑うような野郎が、一番大嫌いなんだ!!!」
カザンが、地面を蹴り、ゼノスの眼前へと一瞬で肉薄した。
「……っ!? 速い!!」
ゼノスが、法力による防壁を張ろうとしたが、それよりも早く、カザンの紅蓮槍の穂先が、彼の喉元数ミリの場所で止まった。
「……いいか、『真理』様。俺たちは、この街を奇跡から『人間』の手に取り戻したんだ。それをまた教団だか神様だかの都合で書き換えさせやしねえよ」
「……カザン君。そこまでにしておきなさい」
背後から、静かな、しかし通る声がした。
岩陰から現れたのは、右腕を吊った枢だった。彼の横には、サロメが扇子を広げ、冷ややかな笑みを浮かべて立っている。
「……枢先生。まだ安静にしていなければならないのに」
「……ミナさんから、教団の『お掃除部隊』が来たという報告を受けましたから。ゼノス執行官。お久しぶりですね」
枢が、一歩、また一歩と、銃を構えた信徒たちの間を抜けていく。彼には、武器も魔法もない。だが、彼が歩くたびに、信徒たちの指先が震え、銃口が自然と下がっていく。
「……枢、君か。黄金の腕を失ったと聞いていたが、相変わらず不気味な気配を纏っているな」
ゼノスが、苦々しげに顔を歪める。
「……今の私は、ただの不自由な鍼灸師です。ですが、この水脈に溜まった因果の病根をどのように処理すれば世界に負担をかけないか、その方法は私しか知りません」
枢が、左手で水面の汚染物を掬い上げた。
「……あなたがたが、これを回収して兵器やエネルギーに転用しようとしているのはお見通しです。ですが、それはアルキメスと同じ過ちを繰り返すことになります」
「……何だと?」
「……この結晶は、今の王都には『必要のない記憶』です。無理に抽出すれば、この大地は二度と水を生み出さなくなるでしょう」
枢の翡翠眼が、ゼノスの瞳の奥にある「私欲」を射抜く。
「……ゼノス執行官。交渉しましょう。この因果の結晶は、教団ではなく、『王都復興委員会』が管理します。代わりに、アルキメスが残した膨大な学術データのうち、医学と歴史に関する写本の一部を教団に寄贈しましょう」
「……写本だと? 原本ではなく?」
「……原本は、この街の『カルテ』です。患者本人が持っているべきものです」
枢の断固とした態度に、ゼノスは唇を噛んだ。教団にとって、アルキメスの知識は喉から手が出るほど欲しい。だが、ここで強引に武力行使をすれば、王都を救った英雄としての枢を敵に回し、民衆の支持を失うリスクがある。
「……よかろう。だが、枢。教団は君を監視し続ける。不完全な人間が歴史を弄るということが、どれほどの冒涜であるか、いずれ思い知ることになるだろう」
ゼノスが背を向け、武装集団と共に撤退していく。
カザンが、大きく息を吐き、槍を収めた。
「……助かったぜ、枢。あいつら、目がガチだったからな」
「……ええ。ですが、アルキメスという『個人の病』が終わっただけで、世界という『社会の病』は、むしろここからが本番です」
枢が、自身の震える右手を見つめた。王都を狙うハイエナたちは、教団だけではない。アルキメスが「管理」していた因果が解放されたことで、世界中の権力構造が崩れ、新たな争いの火種が各地で燻り始めていた。
第225話。
復興の第一歩は、利権に群がる人々という名の、厄介な「ウイルス」との戦いから始まった。枢は不自由な体で、新たな乱世の「ツボ」を、静かに見定めようとしていた。
王都を救った後の、現実的な対立。
黄金を失いながらも、その洞察力と「凄み」で教団を退ける枢の姿をお届けしました。
奇跡が去った後に残る、人間の欲望という病。
英雄譚を超えた、重厚な政治と医療のドラマが展開していきます。
次回、第226話は本日**【18:00】**に更新予定です。
撤退したゼノスが去り際に遺した不穏な言葉。王都の外、かつて枢たちが訪れた村で発生している「白化病」とは何か。
聖鍼師の旅は、世界の綻びを縫い合わせる「巡礼」へと変わります。




