第222話:深淵からの生還、正義という名の槍襖
4月2日、18:00。第三章・後編【因果の深淵編】をお読みいただきありがとうございます。
「……枢、……死ぬなよ。……こんな場所で、……お前を『過去の記述』になんかさせねえ!!」
天井から降り注ぐ瓦礫と、逆流する地下水。
骸は、動かなくなった自身の義手を囮に使い、枢を担いで暗闇を疾走します。
地上への出口で見えたのは、救いの手ではなく、数千本の「槍」の穂先でした。
アルキメスを、そして彼と共にいた枢たちを「世界の敵」と見做した王都軍の包囲。
「……退け、……さもなきゃ……俺の『死鍼』が……お前ら全員を……あの世へ往診するぜ!!」
正義と憎悪が渦巻く、地上への生還劇。
ボロボロになった二人の鍼灸師の前に、かつての仲間たちが立ちはだかります。
轟音が、地下空洞の静寂を暴力的に引き裂いた。
『翡翠の心臓』が岩塊と化し、それを支えていた因果の支柱が消失したことで、数千年間維持されてきた空間そのものが、その重みに耐えかねて悲鳴を上げている。
「……ハァ、……ハァ、……クソッ!! ……出口が……埋まってやがる……ッ!!」
骸が、自身の右肩に枢を担ぎ、左手でアルキメスの襟首を掴んで、崩れゆく回廊を必死に駆け抜けていた。
骸の漆黒の義手は、先ほどの『三才連環』の負荷で内部機構が焼き切れ、もはや重い鉄の塊に過ぎない。
それでも彼は、その動かない左腕を盾のように構え、降り注ぐ岩石を弾き飛ばしながら進む。
「……骸、……先生、を……」
枢が、意識の混濁した中で、か細い声を漏らした。
彼の黄金の右腕は、指先から肘にかけて不気味な黒い煤に覆われ、まるで生命を吸い尽くされた枯れ木のようになっている。
翡翠眼もまた、かつての輝きを失い、虚空を見つめたまま焦点が合っていない。
「……喋るな、枢!! ……お前の右腕の経絡は、……今、……完全に『死』に傾いてる!! ……俺が……地上まで繋いでやるから、……それまで……勝手に死ぬんじゃねえぞ!!」
骸が咆哮し、目の前の瓦礫を肩で突き破った。
ようやく、地上へと続く螺旋階段が見えた。
だが、そこから降りてきたのは、暖かな陽光だけではなかった。
「――いたぞッ!! ……逆賊アルキメスと、……その共犯者たちだ!!!」
金属鎧が擦れ合う音と共に、数十人の王都守備隊が階段を駆け下りてきた。
彼らの手には、鋭く磨かれた長槍と、因果の力を封じるための「封魔の鎖」が握られている。
「……止まれッ!! ……我々は王都治安維持局だ!! ……アルキメスをこちらへ引き渡せ!! ……そしてお前たちも、……事情聴取が終わるまで……拘束させてもらう!!」
隊長の男が、冷徹な声を響かせる。
彼らにとって、地下で何が起きたかなど関係ない。
ただ、王都を混乱に陥れた元凶を捕らえ、民衆の怒りを鎮めるための「生贄」が必要なだけだった。
「……どけ。……こいつは……今、……死にかけてんだ」
骸が、低く地を這うような声で言った。
彼の瞳には、かつての暗殺者時代を彷彿とさせる、どす黒い殺気が宿っている。
「……枢がいなきゃ、……王都は今頃……真っ白な灰になってたんだぞ!! ……その男に……槍を向けるってのか、……恩知らず共がッ!!」
「……問答無用だ!! ……アルキメスを庇う者は、……すべて反逆者と見做す!! ……やれッ!!!」
隊長の合図と共に、数本の槍が一斉に繰り出された。
骸は、枢を背負ったまま、動かない義手で槍の穂先を受け流そうとした。
だが、疲弊した彼の肉体は、思うように動かない。
ドシュッ……!!
一本の槍が、骸の太腿を深く抉った。
「……ぐ、……あぁッ……!!」
膝を突く骸。
枢の体が、地面に転がり落ちる。
「……枢!!」
王都兵たちが、獲物を囲む狼のように、倒れた枢とアルキメスに殺到する。
「――そこまでだ、……無礼者共ッ!!!!!」
その時。
階段の上から、空気を震わせるほどの怒号が飛んできた。
紅蓮の槍を手に、全身から立ち上るほどの闘気を発散させた男――カザンが、守備隊を蹴散らしながら割って入った。
「……カ、……カザン殿……!?」
「……お前ら、……誰に槍を向けてるか……分かってんのか!! ……この男は、……俺たちが……命を預けた……聖鍼師だぞッ!!!」
カザンが、自身の槍を床に叩きつけると、石畳が粉々に砕け、守備隊は後退を余儀なくされた。
さらにその後ろから、サロメとミナが、救護班を連れて駆け込んできた。
「……先生!! ……枢先生!!!」
ミナが、倒れた枢の元へ走り寄り、その黒ずんだ右腕を見て悲鳴を上げた。
「……そんな、……何、……これ……。……気が、……先生の気が……消えてる……!?」
サロメは、冷徹な瞳を守備隊の隊長に向け、扇子をパチンと閉じた。
「……治安維持局の方々。……これ以上の無作法は、……わたくしたち貴族連合に対する……宣戦布告と見做しますわ。……この方々は、……エドワード国王陛下が……直接『信頼』を預けた……王室の恩人です。……退きなさい。……さもなければ、……わたくしの氷が……あなた方の心臓を……凍てつかせることになりますわよ?」
サロメの放つ圧倒的な威圧感に、守備隊は顔を見合わせ、渋々と槍を引いた。
「……ち、……致し方ない。……だが、……アルキメスだけは……連行させてもらうぞ!!」
兵士たちが、震えているアルキメスの両腕を掴み、強引に引き立てる。
「……いい。……連れて行け」
骸が、肩で息をしながら呟いた。
「……だがな、……そいつを……裁判にかける前に……死なせるんじゃねえぞ。……そいつには、……まだ……現実(地獄)で……償ってもらわなきゃならねえ……ことが……山ほど……あるんだからな……」
アルキメスは、抵抗することなく、ただ静かに枢の背中を見つめていた。
「……枢。……私は、……あの日……少女の手を……離さなければ……。……君のように、……なれたの……だろうか……」
その言葉を最後に、アルキメスは闇の中へと連れ去られていった。
救護所のテント。
枢は、寝台の上で昏睡したままだった。
ミナが必死に、枢の左腕から気を流し、黒ずんだ右腕の浸食を止めようとしている。
「……先生、……先生!! ……起きてください!! ……王都は、……守れたんですよ!! ……みんな、……笑ってるんですよ!!」
ミナの涙が、枢の頬に落ちる。
枢の意識は、真っ黒な深淵を漂っていた。
右腕を通って入り込んできた数千年の怨嗟、没案、絶望。
それらが巨大なヘドロとなって、枢の「聖鍼師としての芯」を呑み込もうとしている。
『――救えない。――誰も、救えない。――黄金の腕は枯れ、――お前はただの、――不完全な人間だ。――』
暗闇の中で、アルキメスの声が反響する。
枢の指先が、微かに動いた。
第222話。
深淵から生還した英雄を待っていたのは、右腕の死と、民衆の疑念。
枢の黄金の右腕は、果たして再び輝きを取り戻すのか。
それとも、彼はその代償として、永遠に「鍼を握れぬ医者」へと堕ちてしまうのか。
物語は、王都の戦後処理、そして枢の「再起」を賭けた、苦渋のリハビリテーション編へと突入する。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
4月2日(木)、18:00の更新をお届けいたしました。
決戦の直後に訪れる、現実的な政治と対立。
骸の献身、カザンとサロメの加勢、そしてミナの祈り……。
枢が救った仲間たちが、今度は枢を守るために立ち上がる展開を、重厚に描写しました。
しかし、枢の右腕の状態は深刻です。黄金の光が失われた今、彼に何が残されているのか。
次回、第223話は本日**【21:00】**に更新予定です!
深い眠りの中で、枢は自身の「内なる経絡」を往診します。
黄金の腕を失ったことで見えてくる、本当の自分。
そして、目覚めた枢が最初に行う「往診」とは。




