第218話:未完の記述、深淵に蠢く「没」たちの咆哮
4月1日、18:00。第三章・後編【因果の深淵編】、真なる継続をお読みいただきありがとうございます。
「……枢、……完結しない物語など、……白紙と同じだと思わないか?」
アルキメスの身体から溢れ出した「純白の虚無」が、地下空洞の景色を次々と削り取っていきます。
しかし、それは世界を消すためだけのものではありませんでした。
白紙になった空間に、アルキメスがかつて「残酷すぎて封印した」とされる、数千年前の王都の悲劇がリライト(再記述)され始めます。
逃げ場のない「過去の再現」に閉じ込められた枢と骸。
黄金の右腕が白光に焼かれ、骸の義手が悲鳴を上げる中、二人は物語の「外側」ではなく、「中」へと引きずり込まれていきます。
後編、ここからが本番です。
白かった。
視界のすべてが、色のない、音のない、絶対的な「無」に支配されていた。
枢は、自分の足が地面に着いているのかさえ分からなくなり、激しい眩暈に襲われた。
黄金の右腕が、アルキメスの放つ白光と激しく反発し、皮膚の下で翡翠の結晶がミシミシと軋む音が脳内に直接響く。
「……枢、……意識を……手放すなよ……ッ!!」
隣で骸が、漆黒の義手を自身の胸に突き立て、強引に「死の気」を巡らせて存在を繋ぎ止めている。
彼の義手からは黒い油のような気が漏れ出し、白光に侵食されながらも、二人の周囲数メートルだけを、辛うじてこの世界の「現実」として繋ぎ止めていた。
「……アルキメス、……どこへ……行ったのですか……」
枢が翡翠眼を凝らす。
すると、真っ白だった空間に、ポツリ、ポツリと「黒いシミ」が現れ始めた。
そのシミは、急速に広がり、歪な形を成していく。
それは、建物だった。
しかし、今の王都のような美しい石造りではない。
数千年前、泥と藁で固められた粗末な民家。道には行き倒れた死体が溢れ、空はどす黒い雲に覆われている。
「……ここは、……シグルド陛下が治めていた……建国以前の……?」
「……いや、違うぜ枢。……よく見ろ。……壁画で見た歴史よりも、……ずっと『酷い』」
骸の指摘通りだった。
壁画では、シグルドが自らを犠牲にして大地を救ったとされていた。
だが、今二人の目の前で繰り広げられているのは、シグルドが絶望のあまり、生き残った民さえも自らの手で「肥料」として大地に埋めていく、救いのない虐殺の光景だった。
「……あはははは! ……驚いたかい? ……これが、……私が『美しくない』と判断して、……歴史から消し去った……『没』の物語だ!!」
空から、アルキメスの嘲笑が降り注ぐ。
白光の向こう側、巨大な筆を杖のように突いたアルキメスが、二人の頭上に浮かんでいた。
彼の肉体は既に半透明になり、周囲の「白紙」と一体化している。
「……枢、……君は『不完全な世界』を肯定した。……ならば、……この救いのない地獄も肯定してみせたまえ!! ……編纂者が救いを書き加えなかった、……放置された絶望の掃き溜めをね!!」
アルキメスが筆を振るうと、泥の家々から、皮と骨ばかりになった亡霊たちが這い出してきた。
彼らの眼窩には瞳がなく、ただ「なぜ、俺たちだけが救われなかった」という、数千年分の怨嗟の文字がびっしりと書き込まれている。
「……彼らは、……アルキメスに切り捨てられた、……歴史の欠片……」
枢が、一人の亡霊の腕を掴もうとした。
だが、その瞬間、枢の黄金の右腕に、亡霊の怨念が強烈な「毒」となって流れ込んできた。
――ズガァァァァァァァァァンッ!!!!!
枢の右腕が、内側から爆発したかのような衝撃に見舞われる。
「……ぐ、……あ、……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
黄金の光が、ドス黒い泥に染まっていく。
アルキメスが作り出したこの「白紙の回廊」では、枢の黄金の力さえも、彼のシナリオ(没案)の一部として取り込まれようとしていた。
「……枢!! ……触るなと言ったろ!! ……こいつらは『患者』じゃねえ!! ……ただの、……終わることのない『苦痛の文字列』なんだよ!!」
骸が割って入り、漆黒の義手を振るう。
だが、義手が亡霊を切り裂いても、彼らはすぐに黒い文字へと分解され、再び空中で結合して襲いかかってくる。
「……骸、……この空間全体が、……巨大な『未完の経絡』になっています!!」
枢が、痛みで震える左手で翡翠眼を抑えた。
見えた。
この地獄のような過去の光景は、ランダムに現れているのではない。
アルキメスの心臓、そして彼が突いている「筆」を起点として、血管のように「物語の脈」が地面を走っている。
「……彼が、……この過去の悲劇を『呼吸』させている。……骸、……この連中の相手をしていては、……キリがありません!! ……あの筆が地面を突いている、……あの場所……。……あそこに、……この『白紙の呪い』を中和するための、……急所があるはずです!!」
「……へっ、……言うじゃねえか。……だがよ、枢。……あそこまで行くには、……この『絶望の海』を泳ぎ切らなきゃなんねえぞ!!」
骸の背後から、さらに巨大な「没」の化け物が現れた。
それは、シグルドが愛用していたとされる伝説の聖剣と、何千人もの生贄の肉が融合した、肉塊の巨像。
「……枢、……行けッ!! ……ここは、……死を診る俺の、……独壇場だ!!!」
骸が、義手を限界まで変形させ、自身を影の鎖で地面に繋ぎ止めた。
押し寄せる亡霊の群れに対し、彼はたった一人で「死の防波堤」となって立ち塞がる。
「……骸、……無茶です!! ……あなたの経絡が持ちません!!」
「……うるせえ!! ……お前は、……あの野郎の筆を止めることだけ考えろ!! ……俺が……死を肩代わりしてやるって……言ってんだよ!!!」
骸の咆哮と共に、黒い気が爆発した。
枢は、その隙を突き、白光の中を走り出した。
右腕は、もはや感覚がないほどに黒い文字に浸食されている。
だが、枢は止まらなかった。
走る先々で、歴史の悲劇が彼を苛む。
飢えで死にゆく子供、親を殺す若者、神に唾を吐く老人。
それらすべてが、枢の肌を切り裂き、心を折りにくる。
「……これが、……あんたが捨てた……世界の『痛み』ですか、……アルキメス!!!」
枢が、地面に突き刺さった『虚構の筆』の根元へと辿り着いた。
そこには、一輪の「黒い翡翠」が咲いていた。
王都の繁栄を支える翡翠の心臓とは対照的な、すべての希望を吸い込む、絶望の結晶。
「……これか、……この物語の『核』は……!!」
枢が、往診鞄から、これまで封印していた「血濡れの銅鍼」を取り出した。
毒を持って毒を制す。
アルキメスの絶望を、さらに深い「生の渇望」で上書きするための、禁忌の一鍼。
だが、その瞬間。
枢の背後に、アルキメスが静かに降り立った。
「……おっと。……そこから先は、……私の『プライベートな領域』だ。……枢、……君は少し、……人の心の内を覗きすぎたね」
アルキメスが、枢の背中に、指先を添えた。
――ビキィィィィィィィィィィィィンッ!!!!!
枢の全身が、一瞬にして「文字」に変わるような衝撃。
第218話。
救済への道は、さらなる深淵へと閉ざされる。
アルキメスが隠し持っていた、彼自身の「人間だった頃の記憶」が、枢を飲み込んでいく。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
4月1日(水)、18:00の更新。
アルキメスが切り捨ててきた「没案の地獄」を、枢と骸がどう切り抜けるのか。
骸が体を張って枢を送り出すシーン、そして枢がアルキメスの核心に触れる瞬間……。
ここから物語は、アルキメスという個人の「病」を紐解く、内科的な精神往診へと突入します。
次回、第219話は本日**【21:00】**に更新予定です!
アルキメスの指先から流し込まれた「最古の絶望」。
枢は、物語を書く前の、ただの「記録係」だった頃のアルキメスと対峙することになります。
そこで明かされる、黄金の右腕の「真のプロトタイプ」とは。




