第204話:片腕の聖鍼師、瓦礫に咲く黒銀の旋律
3月29日、12:00。休日3回目の更新をお読みいただきありがとうございます。
王都の瓦礫の下から漏れ出したのは、編纂者たちが遺した「因果の廃液」でした。
呼吸を忘れ、肌が石英へと変質していく作業員たち。
「……枢先生、……そのお体で、……一体何を……」
周囲の制止を振り切り、枢は泥にまみれた現場へ膝を突きます。
右腕がない。バランスが取れない。鍼を支える指が足りない。
「……骸、……見ていてください。……腕が一本なら、……世界そのものを『支え』にすればいい」
枢が編み出した、片腕による新術式**『旋回刺鍼』**。
左手一本で重力と気を操り、絶望の淵に沈む命を釣り上げます。
聖鍼師の「進化」が、ここから始まります。
王都の北区、かつて職人街として賑わっていた場所は、今や巨大な翡翠の残骸が積み重なる「瓦礫の山」と化していた。
再建のために集まった作業員たちが、必死に石材を運び出していたが、その作業が突如として止まった。
地下の貯水池から漏れ出した、不気味な紫色の蒸気――編纂者たちが実験の過程で破棄した「因果の廃液」が、大気中に飛散したのだ。
「……カハッ、……あ、……呼吸が……」
「……助けてくれ、……腕が、……石になって……!!」
作業員たちが次々と地面に倒れ伏す。彼らの皮膚は、触れた先から硬い石英へと変質し、肺の機能が急速に停止していく。
そこへ、息を切らせて駆けつけたのは、ミナに支えられた枢だった。
「……先生!! ……危ない、……近寄っちゃダメだ!! ……その蒸気に触れたら、……あんたまで……!!」
現場監督の男が叫ぶが、枢の目はすでに、倒れた患者たちの経絡を捉えていた。
「……ミナさん、……ここで待っていてください。……私は、……鍼灸師です。……苦しんでいる人がいる限り、……止まるわけにはいきません」
枢は、ミナの手をそっと離し、ふらつく足取りで紫の霧の中へと進んだ。
右肩の断面が、周囲の毒気に反応してズキズキと疼く。右腕がないことで、歩く際の重心が安定せず、泥に足を取られそうになる。
だが、枢は倒れ伏した一人の若い作業員の横に膝を突くと、震える左手で往診鞄を開けた。
中から取り出したのは、骸が遺した**『黒銀の双鍼』**。
(……右腕がない。……患者さんの体を抑える手も、……鍼の刺入角度を固定する指も足りない……)
通常、鍼灸師は利き手で鍼を打ち、もう一方の手(押し手)で皮膚を圧し、気を整える。
片手だけでは、皮膚の抵抗に負けて鍼が曲がり、狙った経穴を正確に貫くことは不可能に近い。
「……ハァ、……ハァ……。……いいえ、……できるはずです。……腕がないなら、……私の『全身』を、……一本の鍼にすればいい……!!」
枢は、左手の指先に黒銀の鍼を挟むと、自身の体を深く沈め、地面に左肘を固定した。
彼は、自身の体全体の重みをレバーのように使い、左手首の「回転」だけで、鍼に爆発的な貫通力を与える新技法を、その場で編み出そうとしていた。
「……診せなさい。……あなたの肺を塞ぐ、……その『因果の詰まり』を……!!」
枢の翡翠眼が、作業員の胸部、鎖骨の下にある**『中府』**を見定めた。
紫の蒸気によって石英化しつつある皮膚は、鋼鉄のように硬い。
「……ふっ!!」
枢が左手を一閃させた。
黒銀の鍼が、独楽のように高速で回転しながら、石の皮膚を螺旋状に削り、寸分の狂いなく経穴へと吸い込まれていった。
――キィィィィィィィンッ!!
黒銀の鍼から放たれたのは、骸の「死の気」と枢の「生の気」が混ざり合った、中和の波動。
石英化していた作業員の皮膚が、パキパキと音を立てて砕け、中から瑞々しい人間の肌が再生していく。
「……ゴホッ!! ……ハァ、……ハァ……!! ……息が、……できる……!!」
作業員が劇的に回復する。だが、枢の左手には、凄まじい反動が襲いかかっていた。
片手で全ての圧力を受け止めたため、左腕の筋肉が悲鳴を上げ、指先からは血が滲んでいる。
「……先生!! ……もうやめて、……その腕まで壊れちゃうわ!!」
ミナが泣きながら駆け寄ろうとするが、枢はそれを鋭い眼光で制した。
「……まだ、……あと十一人います。……ミナさん、……私の背中を……支えていてくれますか。……揺れると、……鍼が……ズレてしまいますから」
枢の言葉に、ミナは唇を噛み締め、彼の細い背中に自身の体をぴったりと預けた。
ミナの温もりが、枢の欠落した右側の感覚を、擬似的に補完していく。
「……ありがとうございます。……これなら、……打てます」
枢は、次々と倒れた患者の元へ這いずり、左手一本での刺鍼を繰り返した。
一振りごとに、彼の左腕は内出血でどす黒く変色し、意識は朦朧としていく。
だが、その一鍼ごとに、作業員たちの絶望が希望へと書き換えられていった。
最後の一人の治療を終えた時、王都の空には、紫の霧を払い退けるような、清々しい風が吹き抜けた。
「……枢先生……。……あなたは、……本当に……」
現場監督の男が、奇跡を目の当たりにして言葉を失う。
枢は、泥にまみれた左手で、大切に黒銀の鍼を往診鞄へと戻した。
その時、彼の脳裏に、骸の声が響いた。
(……へっ、……不格好な打法だな。……だが、……一本の腕で、……世界を回したな、枢)
「……ふふ、……厳しいですね、……骸……」
枢は、力なく笑い、ミナの腕の中で、安らかな眠りに落ちた。
右腕を失ったことで、枢の鍼は、より「重く」、より「深く」進化を遂げていた。
それは、失ったからこそ手に入れた、魂の重み。
だが、安堵の時間は長くは続かなかった。
回復した作業員の一人が、瓦礫の奥を指差して震える声で言った。
「……先生、……あそこ……。……瓦礫の下に、……見たこともない『黄金の箱』が……」
そこにあったのは、編纂者たちが隠蔽し、ゼノヴィアさえも恐れたという、失われた王家の「禁忌のカルテ」。
物語は、王都の地下に眠る、さらなる因果の闇へと引き摺り込まれていく。
第204話。
片腕の聖鍼師。その不屈の意志が、王都に新たな伝説を刻み始めた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
3月29日(日)、12:00の更新、渾身のボリュームでお届けいたしました!
右腕を失いながらも、左手一本で重力と回転を利用した新技法『旋回刺鍼』を編み出した枢。
ミナとの共作とも言える今回の治療シーンは、これまでのバディものとはまた違う、新たな信頼の形を描けたと感じています。
今回登場した術理、『中府』。
肺の気が集まる場所であり、呼吸器系の疾患には欠かせない名穴です。
片手での刺鍼というハンデを、「回転」という物理的な工夫で乗り越える枢の知的な立ち回りを強調しました。
次回、第205話は本日**【15:00】**に更新予定です!
瓦礫から発見された「黄金の箱」。
その中に記されていたのは、エドワード国王の出生に関わる、恐るべき因果の歪みでした。
王都奪還の真の目的は、まだ達成されていなかった――!?
午後の更新も、さらに熱く、ボリューミーにお届けします。
引き続き、応援の評価やブックマークをよろしくお願いいたします!




