第197話:寄生の残響、宝石の奥に眠る最後の痛み
3月28日、10:00。休日2回目の更新をお読みいただきありがとうございます。
潜入した王都のメインストリート。
そこは、数千もの翡翠の彫像が立ち並ぶ、音のない墓場でした。
「……あぁ、……おじさん。……あなたの腰痛、……もうすぐ完治するはずだったのに……」
枢が再会したのは、かつての患者。
しかし、彼の体内からは、紫色の神経のような「寄生回路」が溢れ出し、周囲の建物を結晶化させて喰らい尽くそうとしていました。
「……枢、……手を出すな。……あれはもう、……『人』の器を借りた別の生き物だ」
骸の制止。
だが、枢は、自身の往診鞄から、最も熱を帯びた「朱色の火鍼」を取り出します。
「……いいえ。……彼の心臓の奥、……まだ『痛み』が残っています。……痛みが残っているなら、……それはまだ、……私の患者さんです」
聖鍼師の銀鍼が、寄生する絶望の核を焼き切ります。
王都の目抜き通りは、かつては馬車の喧騒と人々の笑い声に満ちていた。
だが、今のそこには、薄緑色の霧が低く立ち込め、陽の光さえも翡翠のドームに乱反射して、毒々しい色彩を路面に落としている。
枢たちは、自身の足音さえも不気味に響く静寂の中、王城へと続く緩やかな坂道を登っていた。
「……誰も、……動いていませんわね。……風さえも、……この都を避けているようですわ」
サロメが鼻を突き、氷の魔力で自身の周囲の「不浄な気」を凍らせていた。
彼女の感覚は、この都全体が「一つの巨大な胃袋」のように、外部からの生命エネルギーを貪欲に求めていることを察知していた。
「……待ってください」
枢が、一軒のパン屋の前で足を止めた。
そこには、大きなパンを抱えたまま、上半身が完全に結晶化した大柄な男が、彫像となって立ち尽くしていた。
「……枢、……知り合いか?」
カザンが槍を低く構え、周囲を警戒しながら尋ねた。
「……ええ。……マルクおじさんです。……万博の少し前に、……ぎっくり腰で診療所に来てくれて……。……三日後に、……最後の調整をする約束だったんです」
枢の翡翠眼が、マルクの身体を透視した。
絶句する。
マルクの脊髄に沿って、紫色のトゲを持った「外来の経絡」が、血管を食い破るようにして全身に張り巡らされていた。
それは、編纂者たちが植え付けた、生命力を強制的に結晶エネルギーへと変換する寄生生物――『因果の蝕虫』。
「……ギ、……ギギギッ……!!」
突如として、マルクの背中が不自然に盛り上がった。
結晶化した皮膚を内側から突き破り、数本の「紫色の触手」が、鞭のようにしなって枢へと襲いかかった。
「……枢!!」
嵐が影から飛び出し、漆黒の小刀でその触手を切り捨てた。
切り離された触手は、石畳の上でビチビチと跳ね回り、瞬時に周囲の石を翡翠へと変質させて同化していった。
「……枢、……よく聞け。……あのおじさんは、……もう『苗床』だ。……蝕虫が中枢神経を完全にジャックしている。……あれを刺激すれば、……王都中の彫像が一斉に、……お前を襲う怪物に変わるぞ」
骸が、自身の漆黒の鍼を数本、指の間に構えた。
「……俺の死鍼で、……身体ごと、……『無』に還してやるのが一番の慈悲だ」
「……骸、……待ってください」
枢は、自身の往診鞄から、火傷しそうなほど赤く熱を帯びた**『朱雀の火鍼』**を取り出した。
「……彼の右足。……見てください。……まだ、……結晶化に抵抗して、……筋肉が微かに震えています。……腰痛の『痛み』が、……彼の意識を、……この世界に繋ぎ止めているんです」
「……痛みだと? ……そんなものが、……何の役に立つ!」
「……痛みは、……生命の最後の防衛本能です。……私が、……その痛みという名の『火種』を増幅させれば、……内側から寄生虫を焼き出すことができる」
枢は、襲いくる紫の触手を紙一重でかわしながら、マルクの彫像へと肉薄した。
「……カザン殿、……サロメさん!! ……周囲の触手を、……十秒だけ抑えてください!!」
「……応よ!! ……パン屋のおっちゃんを、……これ以上汚させはしねえ!!」
カザンの槍が旋回し、地中から次々と生えてくる紫の根を粉砕していく。サロメの氷が、マルクの足元を凍らせ、寄生生物の活動を一時的に鈍らせた。
枢は、マルクの腰、第4腰椎の脇にある**『大腸兪』**へと、朱雀の火鍼を突き立てた。
「……鍼灸奥義、……『浄火・不知火』!!」
火鍼から放たれた極大の熱量が、マルクの腰痛の根源であった「滞り」へと直撃する。
本来なら激痛で失神するほどの刺激だが、それが今のマルクにとっては、冷たい結晶の牢獄から魂を呼び戻す「狼煙」となった。
――ヴォォォォォォォッ!!
マルクの身体から、真っ赤な炎のような「気」が噴き出した。
それは、彼が一生をかけてパンを焼き続けてきた、力強い職人の気。
内側からの爆発的な熱量に耐えきれず、寄生していた紫の蝕虫が、黒い煙を上げて蒸発していく。
バキッ、パリンッ!!
マルクの表面を覆っていた翡翠の結晶が、細かく砕け散った。
「……ガッ、……ハァ、……ハァッ……!!」
マルクが、その場に膝を突いた。
結晶化は完全に解け、彼の肌には血色が戻っていた。
「……枢……、……先生……? ……俺、……一体……」
「……マルクおじさん、……動かないでください。……まだ、……腰の調整が、……終わっていませんから」
枢は、素早く銀鍼を数本、彼の足にある**『委中』**へと打ち込み、暴走した熱量を鎮めた。
「……信じられない……。……因果の寄生を、……ただの『腰痛の治療』のついでに、……焼き払いやがった……」
骸が、呆れたように笑った。
だが、その安堵も束の間だった。
都の中央、王城の天辺に咲く「紫の花」が、一際大きく脈動した。
――ゴォォォォォォォォン……
再び響き渡る異界の鐘。
すると、大通りに立ち並ぶ数千の彫像たちの背中から、一斉に紫色の触手が伸び始め、彼らの瞳が不気味な翡翠色の光を宿した。
「……一人の救済が、……システム全体の『排除命令』に、……直結したようですわね」
サロメが、額の汗を拭いながら、押し寄せる「彫像の波」を見据えた。
「……マルクおじさん、……診療所のアンナさんのところへ走ってください!! ……ここは、……私たちが食い止めます!」
枢は、自身の往診鞄から、今度は数十本の銀鍼を一度に手に取った。
「……皆さん。……戦いではありません。……これは、……史上最大の『往診』です。……一人残らず、……その背中の寄生虫を、……引き抜きますよ!」
「……へっ、……無茶苦茶言い回しやがって。……だが、……嫌いじゃねえぜ、……その無茶!!」
カザンが吠え、嵐が影を広げる。
数千の彫像と、数人の鍼灸師チーム。
第197話。
王都の大通りは、今、命を奪い合う戦場ではなく、命を繋ぎ止めるための「修羅の治療場」へと変貌した。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
3月28日(土)、10:00の更新をお届けいたしました。
かつての患者マルクを救ったことで、王都全体の防衛システムを怒らせてしまった枢。
数千の「寄生された彫像」を相手に、殺さずに救うという、鍼灸師としての極限の試練が始まります。
今回登場した術理、『大腸兪』と『委中』。
腰痛治療の定番ポイントですが、今回は「火鍼」による熱刺激を全身に回すための起点として使用しました。
特に「委中」は腰背部の気を整える名穴であり、荒療治の後のクーリングダウンとして枢が即座に使い分けるプロの所作を描きました。
次回、第198話は本日**【12:00】**に更新予定です!
押し寄せる彫像の波。
枢は、サロメの氷とカザンの槍を「伝導体」として利用し、広範囲の敵を一気に治療する広域刺鍼を試みます。
休日の全6回更新、お昼の回も目が離せません。
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