第185話:断罪の心経、影を溶かす翡翠の涙
3月25日、12:00。お昼の更新をお読みいただきありがとうございます。
人工心臓から溢れ出す黒い雷撃を浴び、満身創痍の枢。
その眼前に、人工心臓の「触取」と化した骸が、理性を失った咆哮と共に躍り出ます。
「……枢、……死ね、……死ねぇぇ!! ……俺を、……一人にするなぁぁ!!」
骸の身体を流れるのは、最高医局が無理やり流し込んだ、膨大で濁った「因果の滓」。
枢は、迫り来る黒い銀鱗の爪を避けず、自身の胸元を開きました。
心を殺し、組織の道具に成り果てた友を救うため。
聖鍼師が放つのは、痛みを消し去る慈悲の「一閃」でした。
聖塔の最下層に、獣のような、あるいは壊れた機械のような不気味な咆哮が木霊した。
人工心臓から伸びる無数の黒い管が、骸の背中や手足に食い込み、拍動のたびに脈動している。彼の皮膚からは硬質な銀鱗が剥き出しになり、その瞳はもはや人間としての光を失い、赤黒い憎悪の色に塗り潰されていた。
「……枢、……枢ぅぅ!! ……お前さえ、……お前さえいなければ、……俺の医術は正しかったんだ!!」
骸が地面を蹴り、弾丸のような速さで枢へと肉薄した。
その右腕は巨大な「鍼の槍」へと変容しており、空間の気を切り裂きながら枢の喉元を狙う。
ドォォォォォンッ!!
枢が立っていた石床が粉砕される。
間一髪で回避した枢だったが、人工心臓から放たれる「吸命」の圧力により、膝から崩れ落ちそうになる。彼の白衣は既に自身の血で赤く染まり、翡翠眼もまた、過剰な負荷により視界が霞み始めていた。
「……枢さん!! ……下がってください!! ……あいつはもう、……人間ではありませんわ!!」
サロメが叫び、氷の魔力を放って骸の動きを封じようとする。
だが、人工心臓から供給される無限のエネルギーは、サロメの魔力さえも食らい尽くし、骸の再生を加速させていた。
「……いいえ、……サロメさん。……彼は、……まだ泣いています」
枢は、震える脚で立ち上がった。
彼の翡翠眼は、骸を覆う銀鱗の隙間に、かすかに脈動する「魂の経絡」を捉えていた。
骸は、最高医局に利用されているのではない。
自身の才能が認められない絶望を、ゼノヴィアに漬け込まれ、自分自身でその呪いを受け入れてしまったのだ。
「……骸。……あなたの鍼は、……本当は人を救いたかったはずだ。……痛みを消し去り、……静寂を与えるために……!」
「……うるさい!! ……救えなかったんだ!! ……俺の鍼じゃ、……誰も笑わなかった!!」
骸が再び跳躍し、今度は無数の黒い「気」の棘を全方位へと放った。
避ける術はない。カザンと嵐が身を挺して枢を庇おうとするが、枢はそれを手で制した。
「……三本目の鍼を、……繋ぎます」
枢は、自身の左胸――心臓の直上にある**『紫宮』**へと、黄金の長鍼を自ら刺し通した。
紫宮は、任脈に属し、胸の詰まりを解消し、真実の声を解き放つとされる場所。
自らの心臓の鼓動を、鍼を通して「人工心臓」の拍動と強制的に同調させる。
それは、枢の命そのものを、人工心臓の暴走を食い止めるための「重石」にするという狂気。
――ドクンッ!!
枢の口から大量の鮮血が溢れ出した。
だが同時に、人工心臓の激しい脈動が、一瞬だけ目に見えて減速した。
空間を支配していた「吸命」の嵐が止み、骸の動きが、糸が切れた人形のように硬直する。
「……今です、……骸。……あなたの、……本当の痛みを、……私が引き受けましょう」
枢は、硬直した骸の懐へと一歩踏み込んだ。
そして、骸の額の中央にある**『神庭』**――精神の入り口とされる場所に、最後の一本、水晶の鍼を柔らかく添えた。
「……鍼灸奥義、……『還魂・一華』」
枢の翡翠の気が、水晶の鍼を通じて骸の脳内へと流れ込む。
それは攻撃ではない。
骸がこれまでに飲み込んできた全ての「痛み」と「絶望」を、枢が自身の身体へと逆流させ、浄化するための回回路。
「……あ、……あぁぁぁぁ……!!」
骸の瞳から、赤黒い色が消え、透明な涙が溢れ出した。
彼の全身を覆っていた銀鱗が、朝露に解けるように剥がれ落ち、人工心臓と繋がっていた黒い管が、悲鳴を上げるようにして千切れていく。
「……枢……、……お前……。……どうして、……いつも、……俺の先を……」
「……先になど、……行っていません。……私たちは、……ずっと同じ、……『医の道』を歩いていたではありませんか」
骸の身体から力が抜け、枢の腕の中に崩れ落ちた。
彼の表情には、数十年ぶりに、深い安らぎの笑みが浮かんでいた。
だが、人工心臓は止まらなかった。
制御を失った「負の心臓」は、骸という依代を失ったことで、今度は周辺の全ての物質を吸い込み、自爆しようと巨大な魔力の渦を形成し始めた。
「……ふん、……小癪な玩具め。……枢、……骸は俺たちが守る。……てめえは、……あの腐った心臓の『根』を、……その鍼で引き抜いてこい!!」
カザンが骸を抱え上げ、背後の安全な場所へと退避させる。
枢は、血に塗れた黄金の鍼を抜き、目の前の巨大な人工心臓を見上げた。
ゼノヴィアは既に、塔のさらに上層へと逃げようとしている。
「……ゼノヴィア。……あなたの治療は、……まだ終わっていませんよ」
枢は、最後の一鍼を構え、光り輝く人工心臓の核へと向かって、真っ向から歩みを進めた。
偽りの世界の鼓動が、今、聖鍼師の手によって止められようとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
3月25日(水)、お昼の更新をお届けいたしました。
闇の鍼灸師・骸との悲しき決着。
枢は自らの心臓を人工心臓と同調させ、その命懸けの術理によって、友の魂を解放しました。
「痛みを引き受ける」という枢の覚悟が、外法を打ち破る最高の一幕となりました。
今回登場した術理、『紫宮』と『神庭』。
紫宮は胸郭の中央にあり、心肺の気を整える重要穴。枢はここを「人工心臓との通信ポート」として使用しました。神庭は額の生え際にあり、精神のバランスを司ります。枢は骸の暴走した意識を、この神庭から逆流させることで、彼を呪縛から解き放ちました。
次回、第186話は本日**【18:00】**に更新予定です!
自爆を始めた人工心臓。
崩落する聖塔の中で、枢が最後に向き合うのは、最高医局の「闇」そのものであるゼノヴィアとの対峙。
夕暮れの更新、物語はいよいよ最終局面へ。
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