第171話:銀の振り子、停滞を司る外科医
3月22日、10:00の更新をお読みいただきありがとうございます。
霧に包まれ、時間が凍りついた村。
その中心で枢たちを待ち受けていたのは、巨大な「銀の振り子」を操る、自称・時を計る医師、ゼノビアでした。
「余剰な時間は、世界の寿命を縮める。だから私が、彼らの時間を『間引き』してあげているのだよ」
傲慢な選別を口にする怪人に対し、枢の手の中で翡翠の鍼が、静かな怒りを持って鳴動します。
人の命を「数字」としてしか見ない外道への、聖鍼師の反撃が始まります。
霧が、一層その色を濃くしていく。
カラン、カランという規則正しい金属音は、村の中央にある広場から聞こえていた。その音を聞くたびに、枢の足元から這い上がってくるような「停滞の気」が、彼の経絡を冷たく締め付けていく。
「……枢さん、……あそこですわ! ……何ですの、あの巨大な……!」
サロメが指差した先。
村のシンボルであったはずの古びた時計塔の前に、高さ五メートルを超える、巨大な「銀の振り子」が設置されていた。それは精密な魔導回路を内蔵し、大気を震わせながら、不気味な一定の速度で左右に揺れ続けている。
その振り子の直下。
黒い、血の跡のような汚れがこびりついた法衣を纏い、片目に不自然な拡大レンズを装着した男が、一心不乱に空中の「何か」を摘み取っていた。
男が手を動かすたびに、静止した村人たちの胸元から、蛍のような淡い光の粒が吸い出され、巨大な振り子の中へと消えていく。
「……ほう。……私の『静寂のオペレーション』を邪魔する者がいるとはね。……しかも、……今の湧泉への一撃。……凍りついた腎の気を強制的に励起させるとは、……なかなかに野蛮で、……なかなかに興味深い」
男が、ゆっくりと振り返った。
その顔の半分は、歯車とボルトによって補強された醜い火傷の跡で覆われている。自らを「時間の外科医」と称する男、ゼノビアが、歪んだ笑みを浮かべて枢を見据えた。
「……時間の外科医、ですか。……患者から『明日』を奪い、……その命の輝きを搾り取る。……それが、あなたの言う『オペレーション』なのですか?」
枢の声は、これまでのどの戦いよりも冷たく、そして激しい怒りを孕んでいた。
彼の翡翠眼には、振り子に吸い込まれていく光の粒が、村人たちの「寿命」そのものであることがはっきりと見えていた。
「……奪う? ……心外だね、聖鍼師。……私は『救って』いるのだよ」
ゼノビアは、振り子のリズムに合わせて、自身の指を指揮者のように動かした。
「……この世界は、……余剰な生命力に溢れすぎている。……人々が無駄に生き、……無駄に時間を消費するから、……世界の資源が枯渇し、……三界は滅びへと向かう。……だから私は、……彼らの『使い切れない時間』を間引いて、……世界の寿命を延ばすために再分配してあげているのだ。……これは、……偉大なる『節制の医療』だよ」
「……ふざけるなッ! ……人の時間を勝手に間引いて、……それが医療だと!? ……ただの強盗以下の、……吐き気がする独善だ!」
カザンが槍を振り上げ、ゼノビアへと突進しようとする。
だが、巨大な振り子が不自然な閃光を放った瞬間、カザンの身体は、空中でピタリと静止してしまった。
「……カザン殿! ……ダメです、……その振り子の結界内では、……全ての物理的な運動エネルギーが、……百分の一の速度まで減衰させられる……!」
枢が叫ぶが、遅かった。
カザンは、突進の姿勢のまま、まるで時間の牢獄に閉じ込められたかのように、空中に固定されている。
「……無駄だよ。……私の振り子は、……半径三十メートル以内の『時間の密度』を自在に操る。……君たちの心臓も、……あと数分で、……冬眠状態に入るだろう」
ゼノビアの言葉通り、サロメも、そして嵐までもが、その場で膝をつき、呼吸を奪われ始めていた。
枢自身の肉体も、鉛のように重くなっていく。
指先が痺れ、視界がゆっくりと、闇に飲まれそうになる。
「……そうか、……外側からの治療が届かないなら、……『内側』から、……己の時間の巡りを加速させるしか……ありませんね……!」
枢は、重力を振り切るようにして、自身の右腕を上げた。
震える指先で往診鞄をまさぐり、取り出したのは、極限まで細く、しなやかな「銀の長鍼」。
彼はその鍼を、自身の左胸の上、……鎖骨の下から指三本分ほど下がった場所にある経穴へと、迷いなく突き立てた。
「……心は、……生命の主。……その火が消えぬ限り、……私の時間は、……止まりはしない!」
狙ったのは、手の少陰心経の要穴、『極泉』。
脇の下の最も深い場所にあり、心臓へと直接繋がるこのツボは、意識を覚醒させ、血の巡りを劇的に加速させる「再起動のスイッチ」である。
――ドクンッ!!
枢の胸の内で、激しい鼓動が爆発した。
停滞を強いる外部の霧を、内側からの「情熱の炎」が焼き尽くしていく。
さらに、彼は自身の前腕の内側、手首から少し上がった場所にある**『神門』**へと、二本目の鍼を打つ。
心神を安定させつつ、精神の集中力を極限まで高めるこのツボが、枢の脳内に、ゼノビアの振り子の「リズム」を、スローモーションのように描き出させた。
「……見えました。……その振り子の『拍動』の、……僅かな淀みが……!」
枢の翡翠眼が、巨大な銀の振り子が左右に振れる、その一瞬の「静止点」を捉えた。
物理法則が逆転するそのコンマ一秒の隙間に、彼は三本目の鍼……光を透過する水晶の鍼を構えた。
「……ゼノビア殿。……あなたの時計は、……今、……私が狂わせてみせます!」
枢の肉体から、翡翠の気が噴き出し、周囲の霧を真っ向から押し返した。
時間の簒奪者と、一瞬の生に命を懸ける聖鍼師。
霧の広場で、二人の「医師」による、存在の根源を賭けた対決が、最高潮に達しようとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
新章、第2話をお届けいたしました。
自称「時間の外科医」ゼノビアが突きつける、歪んだ救済論。
世界の寿命を延ばすために人々の時間を奪うという、数字と効率に支配された男に対し、枢は自らの心臓の鼓動を加速させることで真っ向から立ち向かいます。
今回登場した経穴**『極泉』。
脇の下の動脈の拍動を感じる場所に位置し、心臓疾患の急救処置や、極度の倦怠感、精神的なショックからの回復に用いられる、非常に強力なツボです。枢はここを刺激することで、外部から強制された「時間の減衰」に抗う爆発的な生命力を引き出しました。
また、『神門』**は手首の横紋上にあり、不眠や不安を解消し、精神を研ぎ澄ませる効果があります。この二つの組み合わせが、枢に「止まった時間の中での自由」を与えたのです。
次回、第172話は本日**【12:00】**、お昼の更新です!
振り子の静止点を狙い、枢が放った決死の一鍼。
しかし、ゼノビアにはさらなる「隠し手」がありました。
村人たちの時間を合成して作り出した、異形の魔導兵器が枢の前に立ち塞がります。
お昼休みのひととき、物語はさらなる激動へ。
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