第164話:再会の拒絶、三界共鳴塔の残酷なる静謐
3月21日、土曜日の朝の更新をお読みいただきありがとうございます。
ついに境界都市ゼノスの中心にそびえ立つ、三界共鳴塔へと招待された枢一行。
世界中から集まった一握りの「選ばれし名医」たちが集う本選の会場で、枢を待ち受けていたのは、かつて診療所で救い、笑顔で送り出したはずの「ある患者」の、変わり果てた姿でした。
癒やされたはずの傷跡が、なぜ再び開くのか。
聖鍼師としての誇りを賭けた、非道なる本選の幕が開きます。
雲を突き抜け、天界の端に届くかのようにそびえ立つ「三界共鳴塔」。
その最上階、直径百メートルを超える巨大な円形ホールは、外の世界の喧騒が嘘のように静まり返っていた。床一面に敷き詰められた白磁のタイルには、三つの世界の魔力循環を司る複雑な幾何学模様が刻まれ、天井のドームからは、不純物を一切許さない、冷徹なまでの純白の光が降り注いでいる。
枢は、使い古された往診鞄の持ち手を、指の色が変わるほど強く握りしめ、ホールの中心へと歩み出た。
彼の周囲には、予選を勝ち抜いた、あるいは最初から選別を免除された世界中の「師」たちが、互いを品定めするように距離を置いて立っている。彼らが纏う法衣や魔導具からは、常人なら気に圧されて意識を失うほどの「知の重圧」が漂っていた。
「……気に食わん。……ここは治療の場ではない。……ただの『展示場』だ」
嵐が、鼻を突く神聖な香気の中で忌々しげに吐き捨てた。背負った漆黒の薬箱が、周囲の余りにも清潔な「秩序」に反発するように、不気味な黒い蒸気を上げている。
確かに、この塔の空気には、生命が持つはずの「泥臭い熱量」が欠けていた。そこにあるのは、完璧に管理され、数値化され、命という概念を「記号」へと貶めた、傲慢な知性の極致だ。
「……あ、……あそこにいるのは……っ! 嘘、そんな……!」
リナが、ホールの中心に設置された、透明な魔導障壁で区切られた「診察台」を指差した。その声は、恐怖と悲しみに震えていた。
枢の呼吸が、一瞬だけ止まった。
翡翠眼が捉えたのは、一人の少女の姿。
透き通るような銀髪と、かつては健康な赤みを帯びていたはずの、柔らかな頬。
彼女は、半年前、枢の診療所に運び込まれた重度の「魔力枯渇症」を患っていた、花売りの少女・ルルだった。
枢が三日三晩、一睡もせずに寄り添い、翡翠の鍼を一本ずつ慎重に打ち込み、枯れ果てた彼女の経絡を再生させ、笑顔で「またお花を買いに行くね」と送り出したはずの、大切な患者。
だが、今、診察台に横たわるルルの姿は、枢の記憶とはあまりにもかけ離れていた。
彼女の四肢には、天界の黄金で鋳造された精密な魔導回路が直接皮膚を突き破って埋め込まれ、かつて枢が丁寧に癒やした経絡の結節点からは、無理やり増幅された膨大な魔力が、紫色の不気味な火花となって漏れ出している。
その回路が脈動するたびに、ルルの小さな身体はビクンと跳ね、彼女の目尻からは、意識がないはずなのに、絶え間なく透明な涙が溢れ続けていた。
「……ルル、さん……? ……なぜ、あなたが、……こんな姿に……」
枢が足を踏み出そうとした瞬間、ホールの空気が震え、最高医官ウリエルの姿が虚空から現れた。
六枚の翼を優雅に畳み、彼は慈悲深い神のような笑みを浮かべて枢を見下ろす。
「……再会を喜ぶがいい、聖鍼師。……彼女は、貴公が施した『不完全な治療』によって、新たな進化の可能性を見出したのだ。……我々天界の医官たちは、貴公が残した繊細なバイパスの痕跡をベースに、彼女を世界で最も効率的な『無限の魔力供給源』へと作り変えた。……彼女一人で、このゼノスの街すべての結界を維持するだけの魔力を産生できる……いわば、人を超えた『生ける聖杯』だ」
「……作り変えた……? ……私の治療を、……彼女を道具にするための、……土台にしたというのですか……!」
枢の声は、低く、地這うような怒りを孕んでいた。
ウリエルたちは、枢がルルを救うために苦労して構築した、微弱な気を循環させるための「新しい経絡」を逆手に取り、そこから強制的に生命力を吸い上げ、純粋な魔力へと変換する「収奪の回路」を構築していたのだ。
ルルは、生きているのではない。
聖鍼師の「救済」を土台にして、死ぬことすら許されない永遠の苦痛の中に閉じ込められ、ただの「燃料」として消費されていた。
「……これが、万博の本選課題だ。……彼女を蝕む、この『完璧なる回路』。……もし貴公が、彼女の命の灯火を散らすことなく、我々が施した神の術式を解体できるというのなら、……その時こそ、貴公の医術が神の領域に達したと認めてやろう。……ただし」
ウリエルは、冷酷な光を宿した瞳を枢に向けた。
「……この回路の基部は彼女の心臓と直結している。……無理に剥がせば心臓は破裂し、回路を止めれば、蓄積された魔力が逆流して彼女の魂を内側から焼き尽くす。……解体不能の、完璧な死の芸術だ」
会場にいた他の医師たちが、一様に息を呑んだ。
それは、医師に「自らが救った命を、自らの手で殺せ」と強いる、究極の侮蔑であり、悪魔の問いかけだった。
「……枢さん、ダメですわ! ……こんなの、絶対に罠です! ……今ここで回路に触れれば、ルルさんは……ルルさんは本当に壊れてしまいますわ!」
サロメが枢の袖を掴み、必死に呼びかける。カザンもまた、槍を握る拳を震わせ、今にもウリエルへ飛びかからんばかりの殺気を放っていた。
しかし、枢は動かなかった。
彼の翡翠の瞳には、かつてルルが診療所を去る際に見せた、あの春の陽だまりのような笑顔が、ありありと再生されていた。
そして今、診察台の上で、声にならない悲鳴を上げ続ける彼女の「魂の震え」が、枢の指先を通して伝わってくる。
「……サロメ。……離してください」
枢の声は、これまでのどんな戦いよりも、重く、静謐だった。
彼はゆっくりと、往診鞄の最も深い場所から、白金の光を帯びた、極限まで細く鍛えられた「一筋の鍼」を取り出した。
「……私は、……彼女に約束しました。……『もう、痛い思いはさせない』と。……神が彼女を道具に変えたというのなら、……私は、その神の指先を、この一本の鍼でへし折ります。……それが、私を信じてくれた彼女への、たった一つの返答です」
枢の周囲の空気が、翡翠の炎を纏ったかのように激しく、そして美しく揺らぎ始めた。
「……嵐殿。……死ぬ準備ではありません。……『神を殺す往診』の、……手伝いをお願いできますか。……かつてないほど、……汚れた仕事になりますが」
「……ハッ、最高だ。……その不敵な面、……ようやく気に入ったぞ、聖鍼師! ……汚れ仕事なら、私の専売特許だ。……さあ、始めようか、天界の鼻持ちならない野郎どもへの、最悪の意趣返しを!」
世界中から集まった名医たちが凝視する中、聖鍼師・枢の、最も残酷で、最も情熱的な「再手術」の幕が、今、激しく上がった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
3月21日(土)、三連休中日の朝の更新をお届けいたしました。
ついに始まった本選の課題は、かつて救った少女・ルルを巡る、あまりにも非道な「救済」への問い。
枢の治療をベースにして「魔力供給源」へと作り変えられた少女を前に、聖鍼師の静かな怒りが三界共鳴塔の空気を震わせます。
自身の過去の術式を自ら解体し、さらに神の呪縛を解くという、医師としてこれ以上ない難題。
今回登場した**『魔力枯渇症』**。
以前、診療所編でルルが患っていたこの病は、枢の治療によって「魔力の器」そのものが強化されていました。天界はその「強化された器」に目をつけ、彼女を人柱に変えたのです。
次回、第165話は本日**【10:00】**に更新予定です!
ルルの身体に張り巡らされた、天界の黄金回路。
触れれば即死、解体すれば心停止。
絶望的な状況下で枢が選んだのは、解体でも破壊でもなく、彼女の心臓を「一時的に死へ追いやる」という、禁忌の逆説的蘇生術でした。
本日もあと5回、全力で物語を加速させてまいります。
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