第163話:空虚の聖別、失われた感情の共鳴
本日最後の更新をお読みいただき、誠にありがとうございます。
都市の膿を穿ち、ゼノスに一時の静寂を取り戻した枢。
しかし、沈みゆく夕日の影から、新たな絶望が姿を現します。
ウリエルが放った「第二の課題」。
それは、救われたはずの街で、感情を失い人形と化した騎士たちでした。
肉体を救い、魂を置き去りにした「完璧すぎる浄化」。
聖鍼師としての誇りが、天界の無機質な秩序と激突します。
祝日初日を締めくくる、圧倒的な熱量でお送りします。
浄化されたはずの水神の広場。
噴水から溢れ出す清らかな水の音だけが、静寂の中に響いていた。しかし、その音は安らぎではなく、どこか空疎な、生命の気配を感じさせない不気味さを孕んでいた。
「……枢さん、……見てください。……あの方たちを」
サロメが震える指で指し示したのは、広場の影から、音もなく、寸分の狂いもない隊列を組んで現れた白銀の騎士たちだった。
彼らは、先ほどまで街を覆っていた紫の瘴気に触れ、命を落としかけていたはずのゼノス警備隊の面々だ。枢の鍼が都市の経絡を貫いたことで、彼らを蝕んでいた病根は消え去り、その肉体はかつてないほどの輝きを取り戻している。
だが。
その瞳には、光がない。
助かったことへの安堵も、死に直面した恐怖も、家族を想う愛着も。
人として抱くべきあらゆる感情が、まるで外科手術で切り取られたかのように、綺麗さっぱりと消失していた。
「……何だ、こいつらは。……生きてるのか、死んでるのか、判別がつかねえ。……気配が『真っ白』すぎる」
カザンが槍を構え直すが、騎士たちはカザンを敵とさえ認識していない。ただ、ウリエルから与えられた「警備」という命令だけを遂行する、精密な人形のようだった。
「……天界の浄化、……その究極の形、ですか」
枢の声が、静かに、しかし怒りを孕んで響いた。
往診鞄を握る手に、力がこもる。
「……彼らの肉体は、……確かに救われました。……しかし、その過程で、……彼らの魂を形作っていた『澱』までもが、余剰物として切り捨てられてしまった。……不完全な感情を持つことを許さない、……それは治療ではなく、……存在の剥製化です」
「……ハッ、反吐が出るな」
嵐が、騎士の一人の顔を覗き込み、ペッと唾を吐き捨てた。
「……我ら呪医は、人の悪意や未練を力に変える。……だが、こいつらには食うべき影さえ残っていない。……おい、聖鍼師。……これもお前の言う『治療』の対象か?」
「……もちろんです、嵐殿。……心が動かない人間を、……私は『健康』とは呼びません」
その時、広場の中央に、再びウリエルの声が降り注いだ。
「……不満か、聖鍼師。……彼らはもはや、病に苦しむことも、誰かを憎むこともない。……永遠の平穏を得た、最も完成された生命だ。……予選の第二段階。……この『完成された者』たちの中に、……もし一厘でも不純な感情を呼び戻すことができれば、貴公の勝ちだ。……だが、……それは世界の秩序への反逆を意味する」
騎士たちが一斉に、枢へと視線を向けた。
その無機質な圧迫感。
枢は、鞄から三本の短い、しかし不思議な温かみを持つ「琥珀の鍼」を取り出した。
「……反逆、……大いに結構です。……私は神の秩序を守るために鍼を握っているのではありません。……一人の人間が、……泣いたり笑ったりしながら、……泥臭く生きる明日を守るために、……この仕事を選んだのですから」
枢が、一歩踏み出す。
「……嵐殿、……少しばかり、……騒々しい術をお願いできますか? ……静かすぎると、……彼らの魂が眠ったままになってしまいます」
「……ククッ、任せろ。……呪医術・『千夜の慟哭』! ……死者の叫びを、生者の耳にぶち込んでやる!」
嵐が放った黒い霧が、騎士たちの周囲で、何万もの人の声となって渦巻く。
罵倒、愛の囁き、絶望の叫び。
無機質な騎士たちの表情が、その音圧に、僅かに、本当に僅かに、歪んだ。
その瞬間を、枢は見逃さなかった。
「……魂の門、……**『神門』**解放!」
枢の琥珀の鍼が、騎士の先頭に立つ男の手首へと吸い込まれるように刺さった。
琥珀の鍼は、枢自身の「体温」と「情熱」を直接、相手の心臓へと届ける伝送路。
「……思い出してください! ……あなたが、……命を懸けて守りたかった、……あの不器用な日々を!」
――ドクン。
騎士の瞳に、一筋の光が戻った。
それは恐怖の色だったかもしれない。
だが、それは間違いなく、天界の秩序を食い破る「人間」の証だった。
「……ああ、……俺は、……俺は……!」
騎士が膝をつき、嗚咽を漏らす。
その一人の崩壊をきっかけに、周囲の騎士たちにも、次々と「感情のノイズ」が伝播していく。
「……馬鹿な、……完璧な浄化を、……個人の熱で溶かすというのか……!?」
上空から、ウリエルの驚愕の声が響く。
枢は、立ち上がった騎士の肩を優しく叩き、ウリエルの居る空を見上げた。
翡翠の瞳は、もはや天の威光に気圧されることはなかった。
「……これが、私の医道です。……さて、……万博の会場へ、案内していただきましょうか」
祝日の夜。
ゼノスの街に、人々の本当の「声」が戻り始めた。
聖鍼師・枢。
彼が世界の理を完全に治療するまでのカウントダウンが、今、始まった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
3月20日(金・祝)、本日の全6回更新がこれにて終了いたしました。
都市の膿を取り除き、さらに「完璧すぎる浄化」という天界の押し付けまでをも打ち破った枢。
肉体だけでなく、魂の「澱み」こそが人間らしさであると説く彼の姿は、万博に集まった多くの治療師たちの心にも、静かな波紋を広げています。
次回、第164話は明日**3月21日(土)午前【08:00】**に更新予定です!
ついに万博のメイン会場「三界共鳴塔」へと招待される一行。
そこに待ち受けていたのは、かつて枢が診療所で救った「あの患者」の変わり果てた姿でした。
大会の本選、その幕が、あまりにも残酷な形で開かれます。
3連休の中日となる明日も、1日6回の全力更新を予定しております。
応援の評価、ブックマークをぜひお願いいたします!




