第161話:最高医官の降臨、都市を穿つ巨影
3月20日、15:00の更新をお読みいただきありがとうございます。
公開診察で圧倒的な実力を見せつけた枢。
しかし、彼の前に現れたのは、今大会の真の主催者にして天界の最高医官、ウリエルでした。
彼が突きつけた予選の課題は、医療の常識を覆す「都市規模の除霊と浄化」。
聖鍼師の細き鍼は、都市という巨大な「患者」を救うことができるのか。
白銀の広場を支配していた喧騒が、一瞬にして凍りついた。
枢が患者の喉元から静かに鍼を抜き、その浅かった呼吸が深く、安定したリズムを取り戻したのを確認した直後のことだ。
ゼノスの空を覆っていた、鉛色をした重苦しい雲が、まるで巨大な刃で切り裂かれたかのように左右へと割れた。そこから眩いばかりの純白の光が、一本の神々しい柱となって、広場の中央へと降り注いだ。
その光の中から現れたのは、六枚の白銀の翼を背負い、全身を黄金の装飾が施された白磁の甲冑で包んだ騎士――いや、その手に握られた、刀身自体が巨大な「メス」のような形状をした聖剣が、彼がただの戦士ではないことを物語っていた。
「……天界最高医官、ウリエル」
サロメが声を震わせながら、枢の背後に一歩下がった。彼女の杖を握る手が、微かに震えている。
カザンも槍を握る手に血が滲むほど力を込め、上空からの圧倒的な圧力に抗うように足を踏ん張るが、その顔には冷や汗が流れていた。
「……三界の均衡を乱す不純な病を、一時の調律で抑え込むとは。……東洋の聖鍼師よ、貴公の腕は確かに、このゼノスの地に相応しい不遜さを持っているようだ」
ウリエルの声は、個人の喉から発せられたものではなく、ゼノスの空全体から響く鐘の音のように重く、広場にいた並の医師や神官たちは、その威圧感だけで膝をつき、祈りの言葉を口にする余裕すら奪われた。彼はゆっくりと地上へ降り立つと、冷徹な青い視線で枢と、その後ろで不機嫌そうに鼻を鳴らす嵐を、値踏みするように射抜いた。
「……過分な評価を、ありがとうございます。……ですが、私はただ、目の前の患者の苦痛を取り除いただけです。……そこに、天界も魔領も関係ありません」
枢は眼鏡のブリッジを押し直し、翡翠眼を輝かせてウリエルを正面から見据えた。
ウリエルが纏う「気」は、これまで対峙してきたどの執行者とも異なり、一切の淀みがない「完璧な秩序」。それは、病という名の「無秩序」を根絶やしにするための、暴力的なまでの清潔さであり、ある種の傲慢さすら感じさせるものだった。
「……よろしい。ならば、貴公のその青臭い理想が、この都市の現実に通用するか試させてもらおう。……万博の予選課題を、今この場にて宣告する」
ウリエルが聖剣を天に掲げると、ゼノスを取り囲む三重の巨大な城壁から、どす黒い紫色の煙が噴き出し始めた。
それは、街の深層に堆積していた「三界の残留思念」――数百年にわたってこの地で命を落とした者たちの、行き場のない呪いと、複数の理が衝突して生まれた病根の塊だった。
「……ゼノスを覆う隔離結界。……それは同時に、この街の『膿』を閉じ込めるための包帯でもあった。……現在、その包帯は限界を迎え、膿が街全体へと溢れ出そうとしている。……予選の課題は、……日没までに、この都市規模の『腐敗』を中和し、消滅させることだ。……もし失敗すれば、この都市の五万の民とともに、貴公らもこの腐敗の海に沈むことになるだろう」
広場に絶望的などよめきが走った。
都市規模の浄化。それは一人の医師の手に負える領域ではない。数千人の熟練した魔導師や神官が、命を削りながら数ヶ月かけて行う国家規模の大事業だ。
「……ふん、笑わせるな」
嵐が前へ出た。漆黒の薬箱から漏れる死気が、ウリエルの光を弾き返す。
「……医術大会だと言いながら、……やらせることはただの土木作業か? ……天界の連中は、……よほど掃除が苦手らしいな」
「……これは治療だ、呪医よ。……都市もまた、独自の循環を持つ一つの生命体。……そして、この膿を放置すれば、万博の参加者もろとも、ゼノスは死の都へと変わるだろう。……聖鍼師よ、貴公の細き鍼一本で、この巨大な絶望をどう穿つか、見せてもらうぞ」
ウリエルの言葉が終わると同時に、城壁から溢れ出した紫の煙が、実体を持って街の通りへと流れ込み始めた。煙に触れた石畳は瞬時に腐食して砂となり、空気に触れた広場の街路樹は、悲鳴を上げる間もなく黒く枯れ果てていく。
「……枢さん、これは無理ですわ! ……この量は、もう個人の『気』で扱えるレベルを超えています!」
サロメの叫びに、枢は静かに目を閉じた。
彼の翡翠眼には、街の至る所から聞こえてくる、石や風や、そこに住む人々が上げる、微かな、しかし切実な「悲鳴」が届いていた。
「……いいえ、サロメ。……方法はあります。……都市が生命体であるなら、……そこには必ず、……巨大な『経絡』が流れているはずです。……人体と同じように、……急所を突けば、……この膿を一気に排泄させることは可能です」
枢が往診鞄の奥底、普段は封じている隠しポケットから取り出したのは、一尺を越える「巨大な黄金の鍼」だった。
その鍼が空気に触れた瞬間、周囲の重苦しい瘴気が、一瞬だけ翡翠の輝きに押し戻された。
「……嵐殿。……都市の『膿』を、一箇所に集めることはできますか? ……広すぎると、……私の鍼も届きません」
「……ハッ、誰に言っている。……呪術の本質は『集約』と『反転』だ。……私がこの街の死気を一箇所に凝縮してやる。……だが、……その中心に打ち込む鍼が少しでもずれれば、……貴様も私も、……まとめて次元の隙間に消えるぞ。……死ぬ準備はできているか、聖鍼師」
「……死なせるための鍼を打つつもりはありません。……その一瞬の『点』を突くのが、私の仕事ですから」
枢と嵐。
最悪の相性を誇る二人が、今、都市という名の巨大な患者を救うため、前代未聞の大手術を開始する。
「……カザン、サロメ、リナさん。……街の北側、……気の流れが最も停滞し、膿が溜まっている『水神の広場』へ向かいます。……そこが、この都市の『大椎』……すなわち、すべての流れを決める急所です!」
枢の決然とした指示の下、カザンが馬車の手綱を激しく振った。
夕闇が迫る中、聖鍼師を乗せた馬車は、紫色の死の霧を切り裂きながら、都市の深奥へと疾走していった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
3月20日、祝日の15:00更新をお届けいたしました。
提示されたあまりにも巨大な課題。
一人の患者ではなく、都市という「巨大な生命」を救うために、枢は前代未聞の広域治療に挑みます。
ライバルである嵐との、危うくも強力な連携が、再び世界の常識を打ち破るのでしょうか。
今回枢が言及した**『都市の経絡』**。
風水や風土学において、土地には力の流れる道「龍脈」があると考えられますが、枢はこれを人体と同じ「経絡」として捉えました。都市の急所に鍼を打つことで、街全体の気の巡りを劇的に変えるという、聖鍼流のスケールの大きさが描かれます。
次回、第162話は本日**【18:00】**に更新予定です!
膿が集まる「水神の広場」。
そこに待ち受けていたのは、街の死念が形を成した、巨大な異形の怪物でした。
物理攻撃が通じない「病そのもの」の怪物に対し、枢の巨大金鍼が唸ります!
本日も残り2回、最高潮の盛り上がりをお届けします。
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