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『異世界で「ツボ」を突いたら神と呼ばれた件 〜指一本で魔王も聖女も救い出す、世界唯一の最強聖鍼術〜  作者: 鍼灸師いのぴー
【第二章:鋼鉄の帝国と腐敗の科学】

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第153話:静まり返る診療所、影を落とす「不在」の病

本日最後の更新をお読みいただき、誠にありがとうございます。


東方の呪医・らんとの衝撃的な出会いを経て、くるるたちはようやく住み慣れた診療所へと帰還します。

しかし、そこで彼らを待っていたのは、安らぎではなく「沈黙」という名の異変でした。


嵐が警告した「死の概念」の侵食。

聖鍼師の本拠地を舞台に、世界の崩壊を食い止めるための新たな往診が始まります。


水曜日の夜、重厚な物語の幕開けをじっくりとお楽しみください。

 深い森の奥、翡翠色の霧が立ち込める場所に、その診療所はある。

 かつては名もなき廃屋に過ぎなかったその場所は、今や大陸全土から絶望した患者たちが最後の一縷の望みを懸けて集まる、奇跡の揺り籠となっていた。


 聖都での激闘、そして呪医・嵐との出会いという濃密すぎる数日間を経て、魔導馬車はようやく懐かしい診療所の門を潜った。

 夕闇の中、いつものように玄関のランプが温かい光を灯し、留守を預かっている使い魔たちが賑やかに駆け寄ってくるはずだった。


「……? 何ですの、この静けさは。……いつもなら、もっと騒がしいはずですわ」


 馬車から降りたサロメが、杖を握り直しながら眉を潜めた。

 森のざわめきすらも、どこか遠くへ押しやられたような異様な静寂。

 カザンも鼻を鳴らし、槍の石突を地面に叩きつけた。


「……ちっ、嫌な予感がしやがる。……先生、この空気、さっき森で会ったあの呪医の野郎が纏ってた『匂い』と似てねえか?」


 くるるは無言で馬車を降り、眼鏡の位置を直した。

 翡翠眼ひすいがんが、診療所を取り囲む結界の揺らぎを捉える。

 結界自体は破られていない。だが、結界を維持するための魔力の流れ――その「脈動」が、まるで老人の鼓動のように弱々しく、不規則なリズムを刻んでいた。


「……皆さん、気をつけてください。……侵入者の気配はありませんが、……場所そのものが『病んで』います」


 枢が診療所の重厚な扉を開くと、中からは薬草の爽やかな香りと共に、僅かに鉄の混じった「腐敗」の臭いが漂い出した。


 受付のカウンター、待合室の椅子、いつも清潔に保たれているはずの診察台。

 そこには、数人の患者たちが静かに横たわっていた。……いや、横たわっているのではなく、そこに「固定」されているかのような不自然な姿勢だった。


「……これは……! リナさん、離れて!」

 枢が鋭く制止する。


 患者たち――森の近隣に住む農夫や、傷を癒しに来ていた冒険者たち――の肌は、一様に青白く透き通り、その血管の跡をなぞるように、真っ黒な「蔦」のような模様が浮かび上がっていた。

 それは嵐が見せた寄生魔獣の侵食とも、聖都の結晶化とも異なる、もっと静かな、それでいて根源的な「生の剥奪」だった。


「……あ、……あぁ……」

 一人の若い女性患者が、弱々しく目を開けた。

 だが、その瞳に「光」はない。まるで鏡の破片のように無機質に枢を映し出し、彼女は一言、消え入りそうな声で呟いた。


「……先生、……お帰りなさい……。……でも、……私……。……明日を……思い出せないんです……」


「……明日を、思い出せない?」

 リナが、祈りを捧げるように胸の前で手を組んだ。


「……ええ。……明日が来るのが、……とても、……怖い。……ただ、このまま……静かに……石になりたいの……」


 枢は、即座に女性の傍らに膝をつき、その手首を取った。

 脈拍はない。正確には、血流は流れているのに「脈」としての拍動が消失している。

 心臓は動いているが、生命を維持するための「意志」が、何者かによって根こそぎ刈り取られているのだ。


「……これが、嵐殿の言っていた『死の概念』の侵食ですか。……病ではなく、……存在そのものの『無効化』」


 枢の翡翠眼が、診療所の地下、最深部にある薬草倉庫の方へと向けられた。

 そこには、この診療所の結界の核となる「古代樹の根」が眠っている。

 そこから、黒い泥のような「気の淀み」が、建物全体へと毛細血管のように広がっていた。


「カザン、サロメ。……患者たちの周囲に、翡翠の極小鍼で一時的な隔離結界を張ってください。……彼らから『生』がこれ以上漏れ出すのを防ぐ必要があります」


「任せとけ、先生。……だが、アンタはどうするんだ?」


「……私は、この病の『源』を直接、診察してきます。……どうやら、私の留守中に、……ずいぶんと行儀の悪い『往診希望者』が地下に潜り込んだようですから」


 枢は往診鞄から、これまで一度も使ったことのない、黒漆塗りの特別な鍼箱を取り出した。

 師・ザインが残した、禁忌とされる治療のための道具。


「リナさん、……あなたには、ここで患者たちの心を繋ぎ止めていてほしい。……彼らが『明日』を忘れないように、……あなたの歌を、聞かせてあげてください」


「……はい、枢さん。……信じて、歌い続けます」


 枢は一人、地下へと続く階段を降りていった。

 一歩進むごとに、空気は重く、冷たく、不快な粘り気を帯びていく。

 その暗闇の奥で、カチ、カチ、と……時計の針が刻むような、だが不揃いな音が響いていた。


 地下倉庫の扉を開けたとき、枢の前に広がっていたのは、黒い蔦に完全に覆い尽くされた古代樹の根と……その前に佇む、一人の「白き影」だった。


「……久しぶりですね、……聖鍼師。……完璧な秩序の前に、……あなたの不完全な医療が、どこまで無力か。……それを証明しに来ました」


 そこにいたのは、聖都で消滅したはずの執行者、セラフに酷似した容姿を持つ、さらに上位の存在。

 世界の「理」を修正し、全ての不純物を消去せんとする使者――。


「……問診は抜きにしましょう。……あなたがこの世界の『ガン細胞』なら、……今ここで、私が切除します」

 枢の手の中で、翡翠の鍼がかつてないほど激しい雷鳴を上げた。

 診療所を舞台にした、世界の存亡を賭けた「夜の診察」が、静かに幕を開けた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


3月18日、水曜日の最終更新をお届けいたしました。


ようやく帰還した診療所を襲っていたのは、らんが予言した未知の侵食。

患者たちから「明日への意志」を奪うという、精神と肉体の両面を蝕む恐ろしい病に、くるるが再び立ち向かいます。


地下に現れた新たな敵。

聖都での戦いを経て、さらに強大な「秩序」の代行者が枢の前に立ちはだかります。


今回、枢が患者に使用した**『翡翠の極小鍼』**。

これは微細な経穴けいつぼに打ち込むことで、体外へ漏れ出す気を一時的に封じ込める、緊急避難的な保存療法です。根本治療ではありませんが、今回の「存在の消失」を防ぐためには最も効果的な手段として描かれました。


明日、木曜日(3/19)の朝【08:00】更新では、地下での激闘、そして枢が隠し持っていた「禁忌の鍼」の正体が明らかになります。


第2章はここからさらに加速し、文字数・熱量ともに最高潮のままお届けします!

面白いと思っていただけましたら、評価やブックマークでの応援をぜひお願いいたします。

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