第144話:零れ落ちた預言、王が背負いし「負の掃き溜め」
お読みいただきありがとうございます。
世界の外側から零れ落ちた青年、シオン。
聖鍼師・枢の禁忌の術式によって一命を取り留めた彼が語り始めたのは、魔王が隠し続けていた「魔領」という土地の真の役割でした。
救われたはずの世界の裏側に、まだ癒えぬ巨大な傷跡が残っている。
物語は再び、あの孤独な王が待つ魔王城へと、その触手を伸ばし始めます。
本文の厚みに魂を込めた18時更新、開診です。
診察室に漂うのは、異界の虚無を焼き切った黒い鍼の焦げた匂いと、サロメが淹れたハーブティーの微かな香りだった。
先ほどまで空間そのものを削り取ろうとしていた青年の亀裂は、今や銀色の美しい「傷跡」として沈静化している。青年――シオンは、震える手でカップを包み込み、まるで初めて「暖かさ」という概念を知った子供のように、その湯気を愛おしそうに見つめていた。
「……落ち着きましたか。……まだあなたの経絡は、この世界の理に馴染もうとして反発を繰り返しています。無理に喋る必要はありませんよ」
枢は、自身の充血した翡翠眼を労わるように眼鏡を外し、静かに目を閉じた。先ほどの異界術式による負荷は、枢の精神をも削り取っていたが、聖鍼師としての知的好奇心と義務感が、その疲労を辛うじて押し止めている。
「……いいえ、……話さなくてはなりません。……聖鍼師。……あなたが救った魔王は、……今もなお、死よりも過酷な『透析』を続けているのですから」
シオンの口から漏れたその言葉に、診療所の空気が凍り付いた。
カザンが槍を握る手に力を込め、サロメが椅子から身を乗り出す。
「……透析だと? 枢の鍼で、あいつの魔力暴走は完全に収まったはずだぜ。……俺はこの目で、あいつが玉座に座り直すのを見たんだ」
「……カザンさんの言う通りですわ。……魔王様の魔力回路は、枢さんの施術で正常な循環を取り戻していました。……あれ以上の治療が必要だなんて、あり得ません」
シオンは力なく首を振った。銀色の傷跡が、彼の感情に呼応するように微かに明滅する。
「……表面上の嵐は静まったでしょう。……ですが、この世界が『一つ』に戻ろうとしている今、……天界から排出される全ての不浄なゴミは、……以前よりも濃縮された形で、魔領という『底』へ流れ込み続けている。……魔王は、……それを自分一人の体内で浄化し続けることで、……世界が再び断絶するのを防いでいるのです」
「……どういうことですか、それは」
枢が、低い、だが鋭い声で問いかけた。
「……かつての天界と魔領の分断は、……いわば『毒を分けるための壁』でした。……しかし、あなたがその壁を取り払い、世界を直したことで、……毒の逃げ場がなくなった。……魔王は、民を救うために、……そしてあなたの直した世界を壊さないために、……自らを巨大な『毒素のフィルター』として捧げたのです。……彼が今、正気を保てているのは、……あなたの打った鍼が、彼の精神を強引にこの世界に繋ぎ止めているからに過ぎない」
枢の脳裏に、あの魔王の別れ際の言葉が蘇る。
『貴殿以外に、誰ができる』
あの時、魔王は自分を救ってくれとは言わなかった。世界を救ってくれ、と言ったのだ。それは、自分が「フィルター」として朽ち果てるまでの時間を、聖鍼師に託したということに他ならない。
「……あいつ、……最初からそのつもりで……」
カザンが悔しそうに壁を叩いた。
サロメもまた、魔王の強大すぎる魔力の正体が、実は「世界中の毒を引き受けた結果」であったことに気づき、唇を噛み締める。
「……私の診断ミス、……いえ、見落としですね。……世界の循環を整えることに腐心するあまり、……その循環が生み出す『排泄物』の行き先を、私は楽観視しすぎていた」
枢は再び眼鏡を掛け、翡翠眼を解放した。
遥か西の空、魔領の方向を見据える。そこには、以前よりもさらに濃密で、それでいて静かな「絶望の気」が立ち昇っているのが見えた。
魔王は今、誰にも知られず、自らの肉体をボロボロに焼きながら、この世界の「平和」を維持し続けている。
「……枢さん、……行きましょう。……魔王様を、今度こそ『本当の意味で』救い出すために」
リナが枢の白衣の袖を強く握った。その瞳には、聖女としての慈悲ではなく、一人の仲間を見捨てないという強い意志が宿っていた。
「……ええ。……王という立場から彼を解き放ち、……一人の患者として、完治させなければなりません。……そのためには、魔領の深淵にあるという『根源の排出口』を直接処置する必要があります」
枢は往診鞄を手に取った。
今回の患者は、魔王一人ではない。魔王を蝕み続ける「世界の不浄」そのものだ。
「……シオン。……あなたの身体のメンテナンスは移動中に行います。……案内を。……魔王が自らを焼き尽くす前に、……聖鍼師の最後の一刺しを、世界の底に届ける」
「……承知しました。……世界の外側を見てきた私なら、……理の外から毒を流す道が見えるはずです……」
平和な月曜日の診療所は、再び「往診」のための戦場へと変貌した。
魔王が隠していた、孤独な自己犠牲の物語。
それを取り返しのつかない悲劇で終わらせないために。
聖鍼師一行は、夕闇迫る道を、再び魔領の深淵へとひた走る。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
魔王が背負っていた、あまりにも重すぎる「世界のフィルター」としての宿命。
枢さんは自らの見落としを認め、再びあの王の元へ向かう決意を固めました。
救われたはずの世界の裏側で行われていた、孤独な透析。その事実に、一行の怒りと悲しみが爆発します。
今回登場したキーワード「透析」。
現実では腎臓の代わりに血液を浄化する処置を指しますが、魔王はそれを自らの魔力回路で行っていました。枢さんが次に行おうとしているのは、その負荷を個人ではなく「世界」へ正しく分散させる、前代未聞の神域施術です。
次回、第145話は本日**【21:00】**に更新予定です!
魔王城への再突入。
そこで枢たちが目にしたのは、半身が結晶化し、もはや言葉すら失いかけている魔王の衝撃的な姿でした。
月曜日の締めくくり、最高潮の熱量でお届けします。
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