第131話:再起動の余波、神の不具合(エラー)
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枢の一刺しによって、絶対的だったアズラエルの「法典」が揺らぎ始めます。
しかし、天界は自らの不具合を許しません。
神が下す非情な「処置」に対し、枢が掲げるのは破壊の暴力ではなく、救済の鍼。
10時の更新、さらに加速する神域治療の幕開けです。
空中回廊を支配していた「死の霧」が、まるで陽光に晒された朝露のように、音もなく霧散していく。
膝を突き、激しく肩で息をする大天使アズラエル。彼女の透き通るような白磁の肌には、先ほどまでの氷のように冷徹な威厳は微塵もなく、代わりに見たこともない「混濁」の色が浮かんでいた。その瞳は、焦点が合わぬまま、自分の震える掌を見つめている。
「……何、を……した……。私の……法典が……命令を……拒絶、している……? 身体の芯が……熱くて、……思考が……まとまらない……」
枢は、指先に残る微かな魔力の余韻――それは、神という高次存在の核を貫いた者だけが知る、刺すような振動――を感じながら、静かに銀鍼を専用の布ケースへと滑り込ませた。
翡翠眼が捉えるアズラエルの経絡は、先ほどまでの硬直した「死の流れ」から、奔流のような「生の拍動」へと劇的な変化を遂げている。血管の一つ一つ、神経の一筋に至るまでが、無理やり押し付けられていた法典という名の拘束具から解放され、爆発的な生命力を叫んでいた。
それは、天界という巨大な管理システムにとっては、到底容認できない致命的な『不具合』に他ならない。
「……拒絶しているのではなく、あなたの心が、本来の機能を取り戻しただけですよ。神の部品として、ただ命を削るための楔として生きるのではなく、一人の生命体としての鼓動をね。……あまり急に動こうとしないでください。今のあなたの経絡は、長年の蓄積疲労が一気に噴き出している状態だ」
「……生命体……? 私は……、天の意志を……執行する……楔……。感情も、痛みも……あっては……ならない……。なのに、なぜ……こんなに……胸が……苦しいのですか……」
アズラエルの背中から生える六枚の翼が、不規則に発光を繰り返す。
枢によって再起動された魔力系が、天界の核から送られ続ける「冷徹な殺戮命令」と正面から衝突し、彼女の内部で凄まじい熱量と負荷を生んでいた。それは、誤ったプログラミングを無理やり修正しようとする際に生じる、激しい軋みにも似ていた。
その時。
天の頂、どこまでも続く雲の隙間から、アズラエルを狙って一本の漆黒の槍が飛来した。
光を吸い込むようなその黒は、慈悲なき断罪の象徴。
「……ッ、全員、伏せなさい!」
枢が鋭く叫び、混乱の最中にあったアズラエルの肩を力強く掴むと、そのまま石床へと押し伏せさせた。
直後、彼女が先ほどまでいた場所を、空間そのものを削り取るような黒い衝撃波が貫く。爆風が回廊を揺らし、石の破片が礫となって周囲に飛び散った。
「……アズラエル。……『不具合』を起こした部品は、もはや……天界には不要だ」
回廊のさらに上層。黄金に輝く雲の上に、アズラエルと同じ神の翼を持ちながら、より無機質な殺意を纏った執行者の影が立っていた。
その男の瞳には感情の欠片もなく、ただ「正常化」という名の抹殺だけが刻まれている。
「……執行官……、ガブリエル……様……」
アズラエルが、掠れた声でその名を呼ぶ。
天界は、自分たちのシステムを乱す「治療」を施された同胞を、もはや救うべき対象とは見なさず、排除すべき異物と定義したのだ。
枢はアズラエルの前に立ちはだかり、新たな銀鍼を指の間に三本、挟み込んだ。
背後ではカザンが折れた槍の柄を握り直し、サロメが唇を噛みながら、魔力の防壁を幾重にも展開して追撃に備える。リナはアズラエルの傍らに駆け寄り、その震える手を必死に握りしめていた。
「……おいおい、仲間割れかよ。神様ってのは、随分と効率主義なんだな。役に立たなくなったら即廃棄か?」
カザンが額の汗を拭い、挑発するように上空を睨みつける。
「……枢さん、リナちゃんの治療の時と同じです。……この大天使様も、今の天界にとっては『病気』扱いなんですね……。だったら、やることは一つしかありませんわ!」
サロメの言葉に、枢は深く頷いた。
翡翠眼が、遥か高みにいるガブリエルの身体構造を射抜く。その男の魔力回路は、アズラエル以上に法典と癒着し、もはや肉体そのものが天界の出力端末と化していた。
「……ええ。彼らにとっての正常は、私にとっては重病です。……アズラエル様、大人しく私の背後にいてください。……一度でも鍼を打ち、私の『往診範囲』に入った患者を、途中で見捨てるほど私は不真面目ではありませんから」
上空から降り注ぐ、漆黒の槍の雨。
一本一本が城塞をも粉砕する威力を秘めた神の断罪に対し、枢はただの一歩も引かず、指先の銀鍼で空を切り裂く。
「聖鍼流、第二術式――『清流・濁世の払い』!」
放たれた銀鍼が、飛来する漆黒の槍の「力の結節点」を一点で射抜いた。
物理的な質量を持たないはずの神の魔力。その波長を瞬時に読み取り、正反対の振動を鍼から伝えることで、枢はそれを文字通り塵へと分解してみせた。
「……聖鍼師、枢。……お前という存在こそが、この世界の理を乱す……最大の不純物だ」
ガブリエルの無機質な、機械のような声が回廊に響き渡る。
「……不純物で結構。私は医者ではありませんが、歪んだものを正し、詰まったものを流すのが私の仕事だ。……例えそれが、神が定めた世界の理だとしても、私の鍼を止めることはできませんよ!」
枢の宣言と共に、空中回廊は神対神、そしてそれらすべてを「治療」せんとする聖鍼師の激戦地へと変貌していく。
空を裂く黒い槍と、それを迎え撃つ銀色の閃光。
止まることのない聖鍼師の往診。
天の理が、一人の男の指先によって、今まさに根底から覆されようとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
枢の一刺しで「心」を取り戻しかけたアズラエル。しかし、天界はその変化を「不具合」として抹消しようとします。
新たな執行者ガブリエルの登場により、物語はさらに深刻な局面へ。
今回枢が放った**『清流・濁世の払い』**。
これは、相手の魔力の波長を瞬時に読み取り、その干渉波をぶつけることで魔力そのものを霧散させる、聖鍼師としての高等技術です。
次回、第132話は本日**【12:00】**に更新予定です。
ガブリエルの無慈悲な攻撃の嵐に対し、枢はどのような鍼を打ち込むのか。
そして、リナ、カザン、サロメとの共闘の行方は。
本日、土曜日お祭りの全6回更新。引き続き、最高密度の物語をお楽しみください!




