第112話:紅蓮の毒婦、氷獄に散る血潮の誓い
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氷の女王シシュが突きつけた、残酷な「血の契約」。
霊薬を手に入れるためには、サロメの心臓の鼓動を一度止め、一族の血を捧げなければならない。
拒絶するリナとカザンに対し、サロメは静かに笑みを浮かべます。
「……いいわよ。……地獄へ行くのは、……慣れっこなんだから」
姉妹の歪んだ愛執と、毒を極めた者の誇り。
そして、目と手の自由を奪われつつある枢が、盲目のピアニスト・エルナの奏でる音の中に、唯一の「命の道」を見出します。
夕方の更新、魂を揺さぶる一刺しをどうぞ!
永久氷宮の空気は、サロメの過去が暴かれると共に、より一層不気味な冷たさを帯びていた。
女王シシュが差し出したのは、氷を削り出した巨大な盃。そこには、グラナート一族が代々守り続けてきた「万死の毒」が湛えられていた。
「……サロメ。……貴女がこの国を捨て、……地上で『医者』という偽善に酔いしれた年月。……それを今、……この盃で清算なさい。……一族の血をこの毒で煮詰め、……心臓が止まる瞬間にのみ、……『黄泉の霊薬』へと繋がる扉が開く」
「……シシュ、……相変わらず悪趣味ね。……いいわ。……枢が私のために命を懸けたんだもの。……私が、……ちょっと心臓を休ませるくらい、……安いものよ」
サロメが盃に手を伸ばそうとした時、リナが叫んで割って入った。
「……ダメです、サロメさん! ……そんなの、……ただの自殺じゃないですか! ……枢さんも、……そんなこと望んでいません!」
カザンもまた、槍を床に叩きつけ、氷を砕いた。
「……ケッ、……王様だか何だか知らねえが、……やり方が汚ねえんだよ! ……無理に飲ませるってんなら、……この宮殿ごと、……俺の火で溶かしてやるぜ!」
だが、枢は動かなかった。
彼の翡翠眼は、サロメとシシュ、二人の間に流れる「気の糸」が、互いを激しく憎みながらも、悲痛なほどに深く結びついていることを見ていた。
サロメの気は、毒を扱いながらも、その芯はどこまでも温かい「治癒」の光に満ちている。対してシシュの気は、氷のように透明だが、その奥で「孤独」という名の猛毒に焼かれ続けていた。
「……待ってください、……二人とも。……サロメさんは、……死ぬつもりなんてありません。……彼女は、……この猛毒さえも『薬』に変えるつもりなんです」
枢の声に、サロメがニヤリと笑った。
「……流石ね、……ヘボ医者。……私の考え、……お見通しってわけ?」
サロメは一気に盃を飲み干した。
直後、彼女の白い肌に、真っ黒い血管が浮き上がり、口から激しい血を吐き出した。その血は床に触れた瞬間、氷をドロドロに溶かすほどの劇毒となっていた。
「……あ、……ぁ、……が……ぁ……っ!!」
サロメが膝を突き、その鼓動が目に見えて弱まっていく。
シシュの瞳に、初めて動揺の色が走った。
「……愚かな。……本当に、……飲み干すなんて……。……サロメ、……貴女はそこまでして、……この地上人を……」
「……今です! ……エルナさん、……弾いてください! ……あなたの、……『命を呼び戻す旋律』を!」
枢の叫びに応え、宮殿の片隅で震えていたエルナが、古いピアノの前に座った。
彼女の指が鍵盤を叩く。それは先ほどの絶望の音ではない。
サロメの苦痛と、枢の覚悟、そしてこの国の氷を溶かしたいという、激しい「生」の咆哮だった。
ピン、と張り詰めた音の粒子が、宮殿を満たす。
枢の視界は、もはや真っ暗だった。翡翠眼の酷使により、光を失った瞳には何も映らない。
だが、エルナの奏でる音色の一つ一つが、サロメの体内の「気の座標」を、正確な音階として枢の脳裏に描き出していく。
(……ド……、……サロメさんの心臓……。……レ……、……逆流する毒の波長……。……ミ……、……そこだ!)
枢は右手の感覚がないことも、目が開かないことも忘れ、ただ「音」だけを頼りに一本の神鍼を抜き放った。
狙うは、サロメの胸の中心、心臓のすぐ上にある**『中庭』**。
ツボとしての『中庭』は、胸骨の最下部に位置し、心臓のポンプ機能を司る重要な門だ。サロメが飲んだ毒は、この門を内側から凍結させようとしている。ならば、外側から音の震動を乗せた鍼を打ち込み、その凍結を粉砕するしかない。
「……聖鍼流、共鳴奥義――『中庭・旋律の蘇生』!」
枢の鍼が、サロメの胸元へ一寸の狂いもなく突き刺さった。
音階の頂点、エルナが奏でた最高音と、枢の鍼の振動が完全に同調する。
ドクンッ!!
サロメの心臓が、これまで以上の力強さで跳ね上がった。
彼女の体内で暴れていた毒は、枢の鍼によって「抗体」へと変換され、全身の経絡を黄金の輝きで満たしていく。
サロメの口から、最後の黒い血が吐き出された。それは床に落ちると、不気味な輝きを放つ「黒い結晶」へと変わった。
「……これ、……これが、……『黄泉の霊薬』の種よ……。……ハァ、……ハァ……。……死ぬかと思ったわよ、……このバカ……」
サロメが意識を朦朧とさせながらも、枢の腕に縋り付いた。
シシュは信じられないものを見るかのように、立ち尽くしていた。
「……一族の毒を、……音楽と鍼だけで……薬に変えたというの? ……ありえない。……そんなこと、……神話の時代でも……」
その時、宮殿の最深部から、地響きのような唸り声が聞こえてきた。
サロメが毒を薬に変えたことで、この国の「氷の均衡」が崩れ始めたのだ。
床が割れ、そこから現れたのは、数千年の間、グラナート一族が地下に封じ込めていた、氷晶病の根源――「氷獄の龍」の幻影だった。
「……やはり、……ただでは済まないわね。……シシュ、……あんたが守ってきたのは、……平和じゃなくて、……この怪物の『餌』だったのよ!」
サロメが叫ぶ。
枢は、目が見えないまま、静かに立ち上がった。
彼の右手の感覚が、微かに、熱く、脈打ち始めている。
サロメの血と、エルナの音が、聖鍼師の「死んだ手」に新しい命を吹き込み始めていた。
「……皆さんは、……下がっていてください。……この怪物の『膿』……、私がすべて、……絞り出して差し上げます」
闇の中で、枢の翡翠眼が再び、深紅の輝きを放ち始めた。
それは、怒りではなく、慈愛の炎。
第4部、最初の真の決戦が幕を開ける。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
サロメさんの覚悟と、枢さんの「音による往診」。
目が見えず、手も動かない極限状態の中で、エルナさんのピアノの音色を「座標」にするという、これまでにない治療シーンを描きました。サロメさんが毒を吐き出し、それが霊薬の種になるという展開は、まさに「毒婦」ならではの救済ですね。
今回登場した**『中庭』**。
胸の真ん中、心臓のすぐ近くにあるこのツボは、胸のつかえや動悸を鎮めるのに非常に重要です。枢さんはここに音の振動を集中させることで、サロメさんの止まりかけた心臓を再起動させました。
次回、第113話は本日ラスト**【21:00】**に更新予定です!
ついに現れた「氷獄の龍」。
視力を失った枢が、心眼で放つ「千手観音」のごとき超高速連刺。
そして、霊薬が完成した時、枢の肉体に訪れる驚愕の変化とは……!?
「サロメさん、かっこよすぎて震えた!」
「目が見えないのに音だけで打つ枢さん、もはや神……」
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本日最後の更新、どうぞお見逃しなく!




