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魔法使いと偽装婚約  作者: ぷうまみい


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9/18

09.魔法使いと首都(3/3)

 誘拐未遂事件のあと、私はプロポーズを受けた東屋に来ていた。

 シロウ様に呼ばれたのだ。


「疲れているだろうから断ってもいい」と父に言われたけれど、シロウ様に助けてもらったお礼をしたくて、行くことに決めた。


 すでに日は落ちかけて、空も花畑も赤く染まっている。


「疲れているだろうにごめんね」


 そう言って、シロウ様がお茶を淹れてくれた。

 蜂蜜みたいな甘い香りがするお茶だ。

 昔から、私が落ち込んでいるときにはこれを淹れてくれた。


「怖かっただろう? 駆けつけるのが遅くなってしまってごめん」

「いえ、私は大丈夫です。助けてくださって、ありがとうございます」


 シロウ様は微笑んだ。

 けれど、悲しげでどこかぎこちない。


 ……ユヅキを取り逃がしたのかな。


 私も一応当事者だから顛末が気にはなるのだけれど、なんとなく、聞きづらい雰囲気だ。


「あの、早速で申し訳ないのですが、ご用件は?」


 何食わぬ顔を装って尋ねると、シロウ様は茶杯を置いた。


「ああ、実はね」


 シロウ様はそう言うと、外套の内ポケットから紅色の箱を取り出した。

 平べったくて細長くて、おしゃれな金のリボンまでついている。


「結納品の一つもないのは、不誠実かと思って」


 シロウ様はそう言って、両手で私に箱を差し出してきた。


 ……まさか結納品があるなんて!


 『偽装婚約』なんだから用意する義理なんてないのに、気を遣わせてしまって申し訳ない……。

 そう思いつつも、嬉しさには勝てなかった。


「ありがとうございます……!」


 差し出された箱を受け取り、包装を丁寧にほどく。

 中身は、櫛だった。


「素敵……」


 男女問わず髪を伸ばすこの国では、櫛は身支度の必需品であり、誰に贈っても喜ばれる贈り物の定番だ。

 シロウ様からいただいた櫛は目が細かくてつややかで、手馴染みも良い。

 間違いなく高級品だ。


 なにより目を引くのは、藤色で描かれた逆巻く波の絵付け。

 知らない人が見ればただ風流に映る絵付けも、私には特別な意味があった。


 藤色は、私の虹彩の色だ。

 逆巻く白波は、私の個人紋だ。


 胸がいっぱいになる。


「シロウ様、ありがとうございます! とても、とっても嬉しいです。大事にします!」

「どういたしまして」


 思い返せば、初めてもらったプレゼントも、櫛だった。

 ぼさぼさ頭の私を見かねて、シロウ様が買ってくれたのだ。


 幼いころの思い出が溢れてくる。


 会えば、いつも髪を梳いてもらったこと。

 シロウ様の膝の上で髪を梳いてもらうのが、とても好きだったこと。

 悲しいときも不安なときも、シロウ様に髪を梳いてもらえば、気持ちが満たされたこと――。


「昔みたいに髪を梳いていただけませんか?」


 口をついて出た言葉に、私自身が驚いた。

 じわじわと顔が熱くなってくる。

 事件のせいか、気持ちが弱くなっていたみたい。

 恥ずかしい……!


 でもシロウ様は嘲笑ったりせず、ふんわりと微笑んだ。

 夕日に照らされたその表情があまりに綺麗で、思わず息を呑む。


「私でいいのなら、もちろん」


 そう言ってシロウ様は私の後ろへ回り込む。


 櫛を渡すときに、シロウ様の手が触れた。

 ひんやりとして、骨ばった大きな手。昔はもっと大きく感じていたのにな。


 シロウ様は軽く手櫛を入れて髪の状態を探ると、毛先のほうから櫛を入れ始めた。


 こうやってシロウ様の気配を背後に感じながら身を委ねるのが、大好きだ。

 心の中のモヤモヤも、ほどけていくみたい。


 静かだ。

 風がそよぐ音と、櫛が髪を撫でる音だけが響く。

 黙っているとだんだんと気恥ずかしさがよみがえってきた。

 何か喋らないと……!


「シロウ様はいつまで首都にいらっしゃるんですか?」


 私が尋ねると、シロウ様は少し沈んだ声で言った。


「実はね、このあと、急いで帰ることになって」

「えっ、そうなんですか!? そんな、結納返しを贈りたかったのに……」

「お返しなんて考えなくていいよ」

「えー、でも、それだと申し訳なくて……」


 すごい、もう毛先がほぐれてる。

 本当にいい櫛なんだなあ。

 やっぱり、ちゃんと結納返しがしたい。


 うーんと唸り続ける私に、シロウ様がポツリと言った。


「それじゃあ、いずれ、助けてほしい」

「助ける?」

「うん。シヅさんがもっと強くなったら、私の仕事を手伝ってほしくて」


 そんなの、結納返しじゃなくても、当然やるのに。


 でもきっと、シロウ様はただ仕事を手伝ってほしいわけじゃないと思う。


 ――今日、私は無力だった。


 人間にもユヅキにも、手も足も出せなかった。

 ユヅキに至っては、たとえ魔法石を持っていたとしても、張り合えなかったと思う。


 そんな弱い私に発破をかけて、魔法士官学校でしっかり学んでおいで、と言ってくれているのだ。


「もちろんです! 私、頑張りますから!」


 強くなりたい。

 早く戦力になりたい。

 シロウ様に結納返しだけでなく、恩返しをしたいのだから!


「ふふっ、頼りにしてるからね」


 頭のてっぺんから毛先まで櫛が一息に通るようになっても、念入りに梳いてから、シロウ様の手が離れていった。


「さあ、これでどうかな?」


 シロウ様の言葉を合図に、自分の頭を撫でた。

 先ほどまでとは感触が違う。

 本当に私の髪かと疑うくらい、指通りがさらさらだ。


「わあ、すごい! 手触りが全然違います! ありがとうございます!」

「どういたしまして」


 シロウ様は私に櫛を手渡しながら、遠くを見るような目で言った。


「シヅさんにはね、この一年、学校生活自体を楽しんでほしいんだ」

「楽しむ、ですか?」

「もちろん、勉強も頑張ってほしいけど」


 そう前置きをして、シロウ様は続ける。


「同級生と毎日顔を合わせる機会は今しかないし、いろんな魔法を使う機会も今しかない。今しかできない経験を、たくさん積んでほしい」


 ふと、あのときの言葉を思い出す。


 ――「一番の理由は、シヅさんの学校生活を邪魔されたくないから、かな」。


 シロウ様は、私が魔法士官学校でいち生徒として過ごす時間を、本当に大切なことだと思っているんだ。


「わかりました、シロウ様。私、魔法士官学校での日々を大事にします。そして、ちゃんと結納返しを果たします! だから、期待していてくださいね」

「うん、期待しているよ」


 シロウ様は優しく笑って頷いてくれた。


 気付けば太陽は落ち、空は夜の色に染まろうとしていた。


 シロウ様とは東屋で別れ、父が女子寮まで送ってくれた。


 次はいつシロウ様に会えるんだろう?

 シロウ様のお住まいは遠いから、しばらくは会えないかもしれない。

 そう考えると、少し寂しい。


 俯きかけて――頑張ろう、と顔を上げる。


 シロウ様の期待を胸に、次に会ったときに、少しでもお役に立てるように。

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