09.魔法使いと首都(3/3)
誘拐未遂事件のあと、私はプロポーズを受けた東屋に来ていた。
シロウ様に呼ばれたのだ。
「疲れているだろうから断ってもいい」と父に言われたけれど、シロウ様に助けてもらったお礼をしたくて、行くことに決めた。
すでに日は落ちかけて、空も花畑も赤く染まっている。
「疲れているだろうにごめんね」
そう言って、シロウ様がお茶を淹れてくれた。
蜂蜜みたいな甘い香りがするお茶だ。
昔から、私が落ち込んでいるときにはこれを淹れてくれた。
「怖かっただろう? 駆けつけるのが遅くなってしまってごめん」
「いえ、私は大丈夫です。助けてくださって、ありがとうございます」
シロウ様は微笑んだ。
けれど、悲しげでどこかぎこちない。
……ユヅキを取り逃がしたのかな。
私も一応当事者だから顛末が気にはなるのだけれど、なんとなく、聞きづらい雰囲気だ。
「あの、早速で申し訳ないのですが、ご用件は?」
何食わぬ顔を装って尋ねると、シロウ様は茶杯を置いた。
「ああ、実はね」
シロウ様はそう言うと、外套の内ポケットから紅色の箱を取り出した。
平べったくて細長くて、おしゃれな金のリボンまでついている。
「結納品の一つもないのは、不誠実かと思って」
シロウ様はそう言って、両手で私に箱を差し出してきた。
……まさか結納品があるなんて!
『偽装婚約』なんだから用意する義理なんてないのに、気を遣わせてしまって申し訳ない……。
そう思いつつも、嬉しさには勝てなかった。
「ありがとうございます……!」
差し出された箱を受け取り、包装を丁寧にほどく。
中身は、櫛だった。
「素敵……」
男女問わず髪を伸ばすこの国では、櫛は身支度の必需品であり、誰に贈っても喜ばれる贈り物の定番だ。
シロウ様からいただいた櫛は目が細かくてつややかで、手馴染みも良い。
間違いなく高級品だ。
なにより目を引くのは、藤色で描かれた逆巻く波の絵付け。
知らない人が見ればただ風流に映る絵付けも、私には特別な意味があった。
藤色は、私の虹彩の色だ。
逆巻く白波は、私の個人紋だ。
胸がいっぱいになる。
「シロウ様、ありがとうございます! とても、とっても嬉しいです。大事にします!」
「どういたしまして」
思い返せば、初めてもらったプレゼントも、櫛だった。
ぼさぼさ頭の私を見かねて、シロウ様が買ってくれたのだ。
幼いころの思い出が溢れてくる。
会えば、いつも髪を梳いてもらったこと。
シロウ様の膝の上で髪を梳いてもらうのが、とても好きだったこと。
悲しいときも不安なときも、シロウ様に髪を梳いてもらえば、気持ちが満たされたこと――。
「昔みたいに髪を梳いていただけませんか?」
口をついて出た言葉に、私自身が驚いた。
じわじわと顔が熱くなってくる。
事件のせいか、気持ちが弱くなっていたみたい。
恥ずかしい……!
でもシロウ様は嘲笑ったりせず、ふんわりと微笑んだ。
夕日に照らされたその表情があまりに綺麗で、思わず息を呑む。
「私でいいのなら、もちろん」
そう言ってシロウ様は私の後ろへ回り込む。
櫛を渡すときに、シロウ様の手が触れた。
ひんやりとして、骨ばった大きな手。昔はもっと大きく感じていたのにな。
シロウ様は軽く手櫛を入れて髪の状態を探ると、毛先のほうから櫛を入れ始めた。
こうやってシロウ様の気配を背後に感じながら身を委ねるのが、大好きだ。
心の中のモヤモヤも、ほどけていくみたい。
静かだ。
風がそよぐ音と、櫛が髪を撫でる音だけが響く。
黙っているとだんだんと気恥ずかしさがよみがえってきた。
何か喋らないと……!
「シロウ様はいつまで首都にいらっしゃるんですか?」
私が尋ねると、シロウ様は少し沈んだ声で言った。
「実はね、このあと、急いで帰ることになって」
「えっ、そうなんですか!? そんな、結納返しを贈りたかったのに……」
「お返しなんて考えなくていいよ」
「えー、でも、それだと申し訳なくて……」
すごい、もう毛先がほぐれてる。
本当にいい櫛なんだなあ。
やっぱり、ちゃんと結納返しがしたい。
うーんと唸り続ける私に、シロウ様がポツリと言った。
「それじゃあ、いずれ、助けてほしい」
「助ける?」
「うん。シヅさんがもっと強くなったら、私の仕事を手伝ってほしくて」
そんなの、結納返しじゃなくても、当然やるのに。
でもきっと、シロウ様はただ仕事を手伝ってほしいわけじゃないと思う。
――今日、私は無力だった。
人間にもユヅキにも、手も足も出せなかった。
ユヅキに至っては、たとえ魔法石を持っていたとしても、張り合えなかったと思う。
そんな弱い私に発破をかけて、魔法士官学校でしっかり学んでおいで、と言ってくれているのだ。
「もちろんです! 私、頑張りますから!」
強くなりたい。
早く戦力になりたい。
シロウ様に結納返しだけでなく、恩返しをしたいのだから!
「ふふっ、頼りにしてるからね」
頭のてっぺんから毛先まで櫛が一息に通るようになっても、念入りに梳いてから、シロウ様の手が離れていった。
「さあ、これでどうかな?」
シロウ様の言葉を合図に、自分の頭を撫でた。
先ほどまでとは感触が違う。
本当に私の髪かと疑うくらい、指通りがさらさらだ。
「わあ、すごい! 手触りが全然違います! ありがとうございます!」
「どういたしまして」
シロウ様は私に櫛を手渡しながら、遠くを見るような目で言った。
「シヅさんにはね、この一年、学校生活自体を楽しんでほしいんだ」
「楽しむ、ですか?」
「もちろん、勉強も頑張ってほしいけど」
そう前置きをして、シロウ様は続ける。
「同級生と毎日顔を合わせる機会は今しかないし、いろんな魔法を使う機会も今しかない。今しかできない経験を、たくさん積んでほしい」
ふと、あのときの言葉を思い出す。
――「一番の理由は、シヅさんの学校生活を邪魔されたくないから、かな」。
シロウ様は、私が魔法士官学校でいち生徒として過ごす時間を、本当に大切なことだと思っているんだ。
「わかりました、シロウ様。私、魔法士官学校での日々を大事にします。そして、ちゃんと結納返しを果たします! だから、期待していてくださいね」
「うん、期待しているよ」
シロウ様は優しく笑って頷いてくれた。
気付けば太陽は落ち、空は夜の色に染まろうとしていた。
シロウ様とは東屋で別れ、父が女子寮まで送ってくれた。
次はいつシロウ様に会えるんだろう?
シロウ様のお住まいは遠いから、しばらくは会えないかもしれない。
そう考えると、少し寂しい。
俯きかけて――頑張ろう、と顔を上げる。
シロウ様の期待を胸に、次に会ったときに、少しでもお役に立てるように。




