06.魔法使いと魔法士官学校(3/3)
午後の授業が始まるや否や、ミチル先生が言った。
「今から、魔法を使ってもらう」
私は耳を疑った。
今日は一日、オリエンテーションの予定だったはずだ。
魔法を使うなんて聞いてない。
戸惑っていると、ミチル先生が私の机に真っ黒な小石を置いていく。
「ほら、魔法石だ。いいって言うまで触るんじゃないぞ」
魔法石が手の届く位置にある。
本当に魔法を使うんだ!
急に実感が湧いてきて、飛び跳ねたいくらい嬉しくなった。
教壇に戻ったミチル先生は、私たちを見渡して言った。
「魔法を使う前に……。魔法を使う上で、一番大事なことは何か分かるか?」
そう問いかけてきたミチル先生とばっちり目が合ってしまって、自信はなかったけれど私が答えた。
「魔法石、ではないんですか?」
「魔法石ももちろん大事だ。だが、魔法石はあくまで燃料に過ぎない」
まあ、なんとなく魔法石ではない気がしていたから、不正解でもあまり気に留めなかった。
でも、一番大事なことって何だろう?
みんなも見当がつかないのか、誰も声を上げない。
「魔法を使う前に、まず『自分が何をしたいのか』、はっきりさせることだ」
しんとした教室に、ミチル先生の力強い声が響く。
「魔法はお前たちのやりたいことを実現してくれる。だから、お前たち自身がやりたいことをきちんと思い描くことが重要なんだ」
ああ、そうか。
ミチル先生の言葉に、私は一人、納得していた。
――私は昔、魔法を使ったことがある。
群生するタンポポの綿毛を一斉に吹き飛ばしたのだ。
「お空でお父さんとお母さんが見守っているよ」
そんな言葉を真に受けた私は、近くで拾った魔法石の欠片を握りしめ、舞い上がる綿毛を目にして願った。
『綿毛と一緒に雲の上まで飛んで行きたい』と。
その結果、強い風が吹いて、タンポポの綿毛だけが雲みたいになって飛んでいったのだ。
……もしかして、あのときもっと大きな魔法石を使っていたら、私自身も飛んでいったのかな?
命拾いしたなあ……。
ハッと我に返ると、ミチル先生が魔法石を高く掲げていた。
「それじゃあまず、――水を出す」
ミチル先生の言葉と共に、何かが頬を優しく撫でる気配を感じ、次の瞬間、魔法石にぽつりぽつりと水滴が浮かび上がってくる。
水滴はやがて大きくなり、先生の指から手の甲、そして前腕を伝っていった。
わあ、と感嘆の声を上げそうになった。
いとも簡単そうにやっているけれど、今の私ではちっともできる気がしない。
「『水を出す』と言ったが、魔法石を水に変えるような気持ちでやるといい。魔法石を持てば、何となくそういう感覚が分かるはずだ」
確かに、以前魔法を使ったときもそうだった。
魔法石を持つと、魔法が使えるという確信が湧いてくるのだ。
「それじゃあ、魔法石を持って、やってみてくれ」
ミチル先生の掛け声で、みんな一斉に魔法石を手に取る。
私も魔法石を両手で優しく包み込んだ。
魔法石は不思議だ。ただの石なのに、どくんどくんと脈打つような、生命の息吹を感じる。
魔法石の鼓動に合わせて深呼吸をして目を閉じ、ミチル先生の言った通り、頭の中で念じた。
魔法石を、水に、変える……。
魔法石が氷のように解けて、水に変わっていくのを想像する。
すると、頭の中に紡がれた一本のか細い糸が、くるくるくるくる、踊るように紋様を形作っていく。
その糸の端と端とがピタッとくっついて、一つの紋様――魔法陣ができる。
魔法陣がふわっと淡く光を帯びた、そのとき。
「あ……!」
違和感にぱっと目を開く。
手のひらから水が溢れ出し、机に大きな水溜まりができていて――魔法石がない。
さっと血の気が引く。
まさか、使い切っちゃった……!?
ひと月分の食費に相当する魔法石を一瞬で。
どうしよう!?
狼狽えていると、ぬっと大きな影が差す。
見上げれば、ミチル先生が私を見下ろしていた。
改めて、ミチル先生はとても大きい。
真正面に立たれると、壁に阻まれているかのような閉塞感と威圧感がある。
怒られる……!
ミチル先生の手が伸びてきた。
このぶ厚い手で平手打ちでもされたら、意識が飛んでしまいそう。
咄嗟に身をすくめる。
「全部使い切るなんて、やるじゃないか」
全然怒ってなんかいなかった。
むしろ、なんだか嬉しそうに笑っている。
そしてミチル先生が手をかざすと、水滴や水溜まりがふわりと宙に浮かび、窓から外へと飛んでいった。
「制御の仕方はこれから学べばいい」
「はい……!」
私が返事をすると、ミチル先生は白い歯を見せてニッと笑った。
褒められた。
ミチル先生に叩かれると勘違いしてしまって申し訳ない……。
「さて。ハクトと、マリカもできてるな。……トウマは?」
トウマ君は焦った顔をしていた。
小刻みに震えるほど魔法石を強く握りこんで、魔法を念じている。
でも、時間が経つばかりで、水は一切出てこない。
「じゃあ、何でもいい。出せそうなものを出してみろ」
ミチル先生の言葉にトウマ君は首肯を返すと、またぎゅっと魔法石を握った。
集中するためか、トウマ君は静かに目を閉じる。
そよそよと頬を撫でる感覚がした。
たぶんこの風が、魔力が流れる感覚なんだと思う。
魔力はトウマ君の手の上に集まって、ぐるぐると螺旋を描き、だんだんと大きくなって――爆発した。
視界が真っ赤に染まる。
ゴオオオ、と轟音を立て、トウマ君の手から火柱が立ち昇った。
天井まで突き上がる猛火は今にもトウマ君を飲み込んでしまいそうなのに、当の本人は、ただ炎を見上げていた。
助けないと。
でも、魔法石は使い切ってしまった。
どうしよう!?
――『魔法石はあくまで燃料に過ぎない』。
そうだ、魔法石がなければ魔法は使えない。
トウマ君から魔法石を引き離せば消えるはず。
トウマ君へ手を伸ばしたその瞬間――
「シヅ、止まれ!」
その怒号と共に、炎は一瞬で立ち消えた。
途端に水を打ったように静まり返る。
魔法だ。
仄かに漂う魔力の気配は、怒号と同じ方向から流れて来ていた。
ミチル先生が慌てて私に駆け寄って来る。
「怒鳴ってすまない。怪我はないか?」
「は、はい、ちっとも熱くなかったので。……あれ?」
そこで、ふと疑問が浮かぶ。
熱くないはず、なくない?
火事にでもなってしまいそうなくらい炎が上がったのに、全く熱くないなんて、おかしい。
それに、どこにも引火していない。
それどころかどこも焦げていないし、煤けたような臭いもない。
もしかして、最初からミチル先生が魔法で守ってくれていたのかも……?
仄かにそういう魔法の痕跡が残っている気がするのだ。
「良かった」
ミチル先生はそう呟くと、額の汗を拭うように前髪を掻き上げた。
「魔法に突っ込んだらダメだぞ」
ミチル先生の表情は優しいまま。
けれど、声音は凄むように低かった。
「はい、すみません……」
私がそう言うと、ミチル先生は「よし」と一言、明るく言い放って立ち上がる。
「それからトウマ」
トウマ君がびくりと大きく肩を震わせた。
怒られると思ったのか、下を向いてぎゅっと口を引き結ぶ。
でも、やっぱりミチル先生は怒らなかった。
「魔法が出せて良かったな」
トウマ君は安心したように眉を下げ、一つこくんと頷くと、ミチル先生はやっぱり白い歯を見せて笑う。
「よし。全員、魔法の使用が確認できた」
教壇に戻ったミチル先生が、仰々しく拍手を始めた。
パチンパチンと、一つ一つがやけに大きく響き渡る拍手だった。
「おめでとう! 退学者が出なくて良かったな!」
ミチル先生は今日一番の笑顔でそう言った。
……退学者?
ふと思い出す。
――昨日もらった入学のしおりの中には、『校内探検、規則確認、魔力測定、他確認事項』と書かれていた。
確認事項――あれは、私たちが入学にふさわしいか確認する、という意味だった?
つまり、魔法が放てなかったら退学だった?
そう気付いた途端、全身からどっと冷や汗が噴き出した。
退学にならなくてよかった!
今後も気を抜かずに頑張らないと!




