04.魔法使いと魔法士官学校(1/3)
私はブランコに乗っていた。
ところどころ塗装が剥げ、揺れるたび、ギイ、と音がする。
立ち上がって、思い切りブランコを漕ぐ。
レンガ造りの塀の向こうに人影が見えた。
真っ黒な短髪に金色の目が煌めき、紫黒の外套には盾の紋様が銀色に輝いている。
次にブランコが大きく振れたとき、その人影は大きく手を振ってくれた。
「シヅちゃん! こんにちは!」
「こんにちは! シロウお兄ちゃん!」
私は手を振った。ブランコに乗っていたのに。
ぐらりと揺れる視界に、シロウお兄ちゃんが慌てて駆け出したところまでは見えた。
落ちる!
そう思った瞬間に、ほわん、と透明なクッションの上に落ちた。
魔法のクッションだった。
怪我はなかった。
痛くもなかった。
それなのに、私は泣いた。
わーん、と大泣きする私にシロウお兄ちゃんが駆け寄って来て、すぐさま抱き上げてくれた。
「怖かったねえ」と大きな手で私の頭を撫でながら。
――これは夢だ。
小さいころの記憶。
私は目を開けた。
ここは私の部屋。
殺風景で薄暗い、魔法士官学校の女子寮の一室。
そうだ。私は魔法士官学校に入学したんだ。
今日は初授業だ!
私は居ても立ってもいられず、身支度を始めた。
寝間着を脱ぎ捨て、シャツに袖を通してズボンを穿き、最後に紫黒の外套を羽織る。
姿見に映る私は……髪がボサボサでかっこ悪い!
私は部屋を飛び出し、共用の洗面所へ向かう。
起床が早すぎたせいでまだ誰もいない。
顔を洗い、次に髪を梳こうとして、櫛が引っかかる。
昔からそう。
剛毛で、なかなかきれいにならない。
毛先のほうからじっくりほぐしていく。
――「また立派な鳥の巣だねえ、シヅちゃん……」
私を胡坐に乗せたシロウお兄ちゃんが呆れ声で言った。
お転婆な私はいつも泥や埃にまみれ、髪がごわごわしていた。
それが、シロウお兄ちゃんの手にかかれば、すぐにサラサラでつるつるな絹の髪になるのだ。
……髪を梳いていると、つい、昔のことを思い出してしまう。
櫛を置き、最後に外套の襟元とフードを整えれば……完成!
鏡の中を覗けば、立派な魔法士官学校の生徒が立っていた。
私、本当に魔法士官学校の生徒になれたんだ……!
――「入学おめでとう、シヅさん」
昨日の帰り際、思い出したかのように言われたその一言が蘇る。
そういえば、昨日は『シヅさん』って呼ばれたなあ。
これまでは『シヅちゃん』だったのに。
大人になったって思われているのかな。
そうだったら嬉しいな。
鏡の向こうで私がにやけ――ふと我に返る。
……なんだか今日の私、シロウ様のことばっかり考えてるような……。
自覚すると途端に恥ずかしくなる。
今日から本格的に新生活が始まるんだから、集中しないと!
そのとき、ぺたりぺたり、と足音が近付いてきて、私は振り返った。
「シヅ? おはよう……」
「マリカ、おはよう! 珍しいね、こんな朝早く」
目をこすりながら洗面所にやって来たのは、一緒に魔法士官学校に入学したマリカだった。
腰まであるウェーブがかった黒髪が元気に跳ねている。
マリカは黒陽子爵家のご令嬢だ。
私のいた白陰領とマリカのいた黒陽領は隣接していて、小さい頃からよく一緒に遊んでいた。
いわゆる幼馴染というやつだ。
マリカは大きなあくびをして言った。
「なんだかうまく寝付けなくて。空が明るくなってきたから、起きてきちゃった」
そう言いながら水を汲み、顔を洗って、寝ぐせを落ち着かせているうちに、マリカの琥珀色の目がいつものようにつんと上向いてきた。
「シヅは平気? 昨日の夕食のとき、ぐったりしてたけど」
「うん、もう大丈夫」
私がそう言っても、マリカはまだ心配そうに私を見ていた。
「入学式のあと、何かあったの? 白陰子爵や白陰子爵夫人と入学祝いをしたのよね?
……あ! クレハおじ様ったら、また変なこと言い出したんでしょう? 『シヅと離れるのは嫌だから、やっぱり入学なんて認めない!』とか『俺も首都に住む!』とか?」
マリカは大仰に手振りを交えて、私の父の真似をする。
さすが、長年の付き合い。
言葉尻も父そっくりで、思わず乾いた笑いが出た。
「あはは……。まあ、そんなところ」
父が変なことを言い出したのは事実だ。
でもマリカだって、まさか私の父が「『偽装婚約』してほしい」なんて言い出したとは思わないだろう。
さらに、私が『偽装婚約』しちゃったなんて、想像もしないはず。
――マリカに『偽装婚約』のこと、どう伝えよう?
なるべくマリカに隠し事なんてしたくない。
でも、「婚約した」と言ったとして、「婚約相手は明かせない」と言ったら、マリカは嫌な気持ちになるんじゃないかな……。
「そうだわ」
唐突にマリカが声を上げた。
「あのねシヅ、報告があってね……」
マリカはきょろきょろと周りを見回して、誰もいないことを確認してから声を潜めて言った。
「私、昨日、婚約が決まったの」
「ええっ!?」
素っ頓狂な声が洗面所に反響する。
「うふふ、ビックリしてくれて嬉しいわ」
マリカは上機嫌にそう言った。
「そりゃあ、びっくりするよ……」
だって、まさか親友と同じ日に婚約するなんて!
普通だったら、こんなにおめでたいことはない。
まあ、私のは『偽装婚約』なので、おめでたくもなんともないんだけれど。
「おめでとう、マリカ」
心の底から祝福の言葉が口をついて出た。
貴族の婚姻に夢なんてない。
惚れた晴れたは関係ない。
でも、目の前のマリカははにかんで、隠そうとして隠し切れない喜びが伝わってくる。
私まで嬉しくて、感慨深くて、幸せな気持ちでいっぱいになった。
「ありがとう、シヅ」
マリカも、さらに笑みを深めた。
「婚約者はいずれ紹介するから、それまで待っててちょうだい!」
「うん! 楽しみにしてるね!」
そうして先に戻っていくマリカを、私は手を振って見送った。
……しまった。
婚約したって言うタイミング、完っ全に逃した。
でも正直、伝えなくてよかったかもしれない。
昨日シロウ様と『偽装婚約』を結んだこと、まだ夢みたいな感覚なのだ。
こんな浮ついた気持ちで話をしていたら、きっとマリカに嘘を見抜かれていたと思う。
とはいえ、いつまでも隠しているわけにもいかない。
早く心の整理をつけて、マリカには私の口から直接「婚約した」と伝えないと!
気付けば朝日が差し込み、空は抜けるような青色に染まっていた。
私はもう一度顔を洗い直し、洗面所を後にした。




