03.魔法使いと偽装婚約 その始まり(3/3)
プロポーズが一段落したころ、東屋に父が転移してきた。
「お父様!」と私が声をかけたけれど、父は返事もなく円卓に着く。
腕を組み、元々厳つい顔を一層険しくして石のように動かない。
シロウ様がお茶を淹れてくれたのに、一瞥もくれない。
なぜこれほど機嫌が悪いのか?
そんなの、考えるまでもない。
「お父様、私が婚約したからって拗ねてるんですか?」
不満を滲ませた私の言葉で、父の表情に渋みが増した。
図星だ。
けれど、それを認めるのが嫌なのか、相変わらず返事はしてくれない。
私は大袈裟にため息をついた。
父親という生き物が娘の婚姻に対して複雑な心境になるのは、分からなくはない。
普通なら、私だって父の気持ちを慮っていただろう。
普通なら。
そう、『偽装婚約』だなんてしょうもないことを思いついたのは、父だ。
同情の余地なんてない。
「もう……。元はといえば、お父様がこんな無茶を言い出したんでしょう? シロウ様に感謝こそすれ、不機嫌になるのは筋違いじゃないですか」
私が呆れ半分に捲し立てれば、父の紺色の瞳がうろたえる。
そんな父をまじまじと見つめながらお茶を啜っていたシロウ様が口を開いた。
「そうですよ、お義父様」
それはもう、新しい玩具を見つけた子どものようなキラッキラの笑顔だった。
父はギロリと目を吊り上げる。
「おい、調子に乗るなよシロウ」
シロウ様は父との付き合いも長い。
こういう軽口も飛び出すような仲だ。
私はシロウ様のこういうところ、素直に感心してしまう。
……父は本気で青筋を立てているから、絶対に真似はしないけれど。
父は気を取り直し、大きな咳払いをしてから言った。
「今回のことは、まあ、シヅを思ってのことだ。協力してくれたことには感謝するぞ、シロウ」
「恐縮です、お義父様」
「馬鹿者! 二度と口にするんじゃない!」
ケラケラといつも以上に機嫌よく笑うシロウ様に対し、父は今にも殴りかかりそう。
そんな父の気勢を削ぐため私がわざとらしく咳払いをすれば、途端に物騒な気色は鳴りを潜めた。
「私を思ってのことなら、なんでこんなことになったのか教えていただけますよね、お父様?」
「ああ、そうだな……」
父は手で顎髭を撫でる。
そうしながら頭の中で話す内容を整理するのは、昔からの父の癖だ。
ただ、何から話せばいいやら、とても戸惑っているように見えた。
それなら、私から質問するまでだ。
「まず、私に大量の縁談が来ていた件ですが……、白陰の魔法兵団が狙いなんでしょうか」
頷いたのは父ではなく、シロウ様だ。
「その通り。魔法兵団の威信が目的だろうね」
やっぱり。
私に大量の縁談が申し込まれたその理由――それは白陰子爵令嬢という立場だ。
父が治める白陰領は、集落と揶揄されるような小さな領だ。
けれど唯一、白陰魔法兵団の強さは他領も羨むほど。
私に縁談を申し込んできた方々は、その軍事力を笠に着るつもりなんだろう。
碌でもない相手ばかりだったのにも納得できてしまう。
「白陰と縁を持つには、シヅさんの存在は実に都合がいい。魔法使いで、女性で、養子だから」
「おい、シロウ」と父がシロウ様を窘める。
要は、舐められているんだ。
何の取り柄もない存在を娶ってやるぞ、と。
――悔しい。
そして、私のせいで父に苦労をかけてしまったことが、苦しい。
私の眉尻が下がったのを、父が見逃すわけがなかった。
「だから断ったんだ。そんな連中に大切な娘をやれんだろう」
父はさらりとそう言うけれど、私はその言葉を噛み締める。
『大切な娘』。
血が繋がっていない私を引き取ってくれて、育ててくれて、成人してもなお、父が守ってくれている。
私はなんて幸せ者だろう。
「……ありがとうございます」
先方が無茶苦茶なのだもの。
父の対抗手段が『偽装婚約』なんて無茶苦茶なものでも、もうそれでいいや、と納得することにした。
「それじゃあ、もう一つ聞きたいんですが」
私はちらりとシロウ様を横目で見やった。
たった今『偽装婚約』を結んだシロウ様は、侯爵令息という貴い身分で、その上、息を呑むほど美しい。
それに対して私は、見目も身分も釣り合わない。
しかも父親を自認している男性と、偽装とはいえ婚約なんて……。
正直、倫理的には完全にナシだ。
「お父様はどうして『偽装婚約』をシロウ様に依頼したんですか?」
私の困惑した視線を受け取った父がニヤリとほくそ笑む。
「シロウは俺と同じくらい強い」
「お父様と同じくらい強い……?」
父は魔法兵団の長だ。
強い。
とてつもなく強い。
そんな父はいつも「俺より強い奴としか結婚は認めん!」と私に言ってきたし、『強さこそ正義』を家訓に定め、事あるごとに何度も何度も説いてきた。
気付けば私も『強くならなきゃ!』かつ『結婚するなら強い男性にしなきゃ!』と思うようになってしまった。
今思うと、紛れもなく洗脳である。
もちろん、人間性は大事だ。
でも、そこさえ及第点だったら、強い男性って素敵じゃない?
自身を律して鍛え上げた立派な体躯!
どんな困難にも折れない精神!
窮地にこそ冴え渡る頭脳!
死地を乗り越えた経験!
迸る魔力!
うん、やっぱり強いって素晴らしい! 強さこそ正義!
そして今、そんな理想の相手がすぐそばにいる。
シロウ様が父親を自認してるってところに引っ掛かっていたけれど……、別に本当の父親じゃないんだから、このまま結婚したって問題ないのでは!?
「シヅさん」
ひどく静かな声に肩が震える。
「私はいつでも、婚約破棄されるのを待っているから。ね?」
「はい、ごめんなさい」
反射的に謝罪の言葉が出ていた。
シロウ様、口元は緩めているけれど、目はちっとも笑っていないんだもの!
この状況でふざけたら、確実に雷が落ちる。
シロウ様の望み通り『偽装婚約』を早く解消しよう。
そのためにも理想の結婚相手を探さないと……!
ふう、と一息ついて、シロウ様は父へと向き直る。
「今後、シヅさん目当ての縁談は『婚約済みだから』と断ってください」
「ああ」
「うっかり『偽装婚約』だと漏らしちゃ駄目ですよ?」
「分かっている」
「あと、相手が私だってことは秘密で」
「何度も念を押されずとも、分かっている」
そこで私はつい、口を挟んでしまう。
「秘密、ですか?」
苦虫を噛み潰したような表情で、シロウ様はぽつりと言った。
「うん。父に――夏炎侯爵に知られたくなくてね……。それに偽装というからには、公にする情報は最低限にしたい」
それから一転、シロウ様は優しく微笑んだ。
「だから、もし『婚約者は誰だ』と尋ねられても『侯爵令息です』で押し通してほしいんだ。そう言えば、さすがの無礼者でもそれ以上追及してこないだろうから」
「なるほど……」
なにせ侯爵四家は、ここ紅国の建国に多大な貢献をした功臣の末裔、生まれながらに貴い血脈だ。
伯爵以下とは格が違う。
接点を持とうとすることすら烏滸がましい。
普通の感覚であれば、侯爵令息の婚約者に縁談を申し込むだなんて、喧嘩を売るような真似はしない。
でも、なんとなく胸がざわつく。
そんなにうまくいくんだろうか?
これまで散々しつこかった方々に、侯爵家に畏怖を抱く常識があるんだろうか?
不安になって俯くと、シロウ様が顔を覗き込んできた。
「何か不安なことがあるかな?」
私を見つめる黄金色の眼差しはとても優しい。
思い返せば、いつもそうだった。
私の不安な気持ちに気付いてくれる。どんな不安でも受け止めてくれる。……まるで、本物の父親みたいに。
だから私は、いつものように不安を口にした。
「もしも、ですよ? 『相手の名前を知るまで引き下がれない』って言われたら、どうしたらいいですか?」
シロウ様はにっこりと微笑んで言った。
「そうだね、シヅさんにしつこく縁談を迫る非常識な奴らだ。不安になるのも無理はない。
でも大丈夫。その時は『後日、婚約者が伺います』とでも言っておいて。その恥知らずの元へ、私が直々に出向いてあげよう」
温かだった声音が、段々と冷えていく。
微笑を湛える麗しいお顔なのに、なぜだろう、すごく怖くて「出向いて何をするんですか?」とは聞けなかった……。




