18.魔法使いと偽装婚約(1/3)
紅国の首都では、魔法で天候を制御して、予め雨が降る日を決めている。
今日はその『雨天日』だ。
ざあざあと降りつける大雨に、ほんの小さなため息をついてしまう。
「ご気分が優れませんか?」
「い、いえっ、大丈夫です」
私の笑顔がぎこちないせいで、ツバキ先輩はまだ心配そうにこちらを窺っている。
「なにかお気付きの点があれば、遠慮なくお申し付けください。シヅさんは大事なお客様なのですから」
――ここは魔法特区にある、春花侯爵家の別邸。
ツバキ先輩は『魔法特区邸』と呼んでいた。
なぜ私が春花侯爵家が所有する建物にお邪魔しているのかというと……『偽装婚約』を怪しまれないための布石だ。
私とツバキ先輩の婚約の噂は、所詮、噂だ。
今はみんなの関心を集めているけれど、そのうち風化していくだろう。
でも、もしも婚約を怪しまれたり、不仲説なんてものが囁かれたら?
より注目されてしまう!
だから、表向き、仲睦まじい関係でなければならない。
そこでツバキ先輩が提案してくださった。
「校外でも面会したという実績を作っておきましょう」と。
そうして訪れてみれば……、さすが侯爵家、別邸とはいえとても広い。
通された来賓室は重厚な雰囲気で、座らせていただいたソファはふかふか。
絨毯の柄はツツジを象った春花侯爵家の家紋で、畏れ多くて踵が浮いてしまう。
「お気遣い、ありがとうございます。でも、本当に大丈夫です。空がどんよりしていると、どうしても気分が落ち込んでしまって」
本当のところは、高貴な邸宅にお邪魔するのが初めてで極度に緊張しているせい、とは言えない。
「こちらをどうぞ」
そう言ってツバキ先輩はお茶を注いでくださった。
透き通った黄緑色が眩しい。
ひと口飲むと……、とっても美味しい!
お茶の冷たさに頭が冴え、爽やかな柑橘の香りが緊張をほぐしてくれる。
ツバキ先輩は安心したかのように目を細め、二人でお茶を飲み干してから本題に入った。
「今朝、白陰子爵から返信が届きました」
「本当ですか!?」
私はこの一件を父に報告していた。
私だけではツバキ先輩と『偽装婚約』をしていいのか判断できないし、シロウ様に連絡してもらわないといけなかったからだ。
通常十日はかかる手紙の往復が、春花侯爵家の急使を使わせていただき、なんと二日で届いた。
侯爵家ってやっぱりすごい……!
ツバキ先輩から手紙を受け取る。
魔力でできた封蝋からは父の気配がして、なんだか懐かしく感じる。
外套に忍ばせた短刀で封を切ると同時に、ツバキ先輩が立ち上がった。
「新しいお茶を用意してまいります」
「お気遣い、ありがとうございます」
パタン、という音と同時に私は手紙を開いた。
父からの返信はとても簡素なものだった。
――「春花侯爵家三男との『偽装婚約』を承諾する。『本当の婚約者』も承諾済みだ。なにか不安なことがあればすぐ連絡しなさい」
短い言葉でも、私を気遣う気持ちが伝わってくる。
文字の乱れっぷりから、父がとても動揺していることも。
気を揉ませてしまったことに申し訳なさを感じつつ、『偽装婚約』なんて言い出したのは父だし、仕方ないかなって思う。
それにしても、シロウ様があっさり了承するとは思っていなかった。
春花侯爵家と夏炎侯爵家は仲が悪いし、「早く本当の婚約者を見つけて」と言っていたから、てっきり『偽装婚約』は反対されると思っていたのに。
シロウ様もツバキ先輩の人柄をご存じだからかな。
今も私が手紙に目を通すあいだ、私が気を遣わないよう配慮しながら、自然と席を外してくださる。
素敵な心遣いをお持ちの方だと思う。
……シロウ様にしてみれば、私とシロウ様との関係を隠せるのであればなんでもいいのかもしれないけれど。
コンコン、とノック音がして我に返る。
「よろしいでしょうか」
「はい、大丈夫です」
ツバキ先輩がワゴンを押して戻ってきて、またお茶を淹れてくださった。
父から了承を得たことを話すと、ツバキ先輩は安堵のため息を吐いて――表情に影を落とす。
「では……、シヅさんにはいくつか事情をお話ししなければなりませんね」
「はい、お願いします」
私は背筋を伸ばす。
私が聞きたいのは、どうしてツバキ先輩が私なんかに縁談を申し入れたのか。
込み入った事情とは一体どんなものなのか。
もしその事情が解消して、突然ツバキ先輩との『偽装婚約』が破棄されてしまったら、困るのは私だもの。
ツバキ先輩は音もなく茶杯をテーブルに置き、口を開いた。
「本題に入る前に、シヅさんは春花州の特徴についてはご存じでしょうか?」
「はい! ええっと……」
春花州は、春花侯爵家が治める州だ。
大きな特徴は二つ。
一つは、自然豊かで農耕が盛んな地域であること。
そしてもう一つは、魔法使いを重用していることだ。
魔法の力を借りれば農作業は効率化できるし、自然災害にも対応できる。
そのため春花侯爵は魔法使いを積極的に春花州に招き入れ、今では春花州における魔法使いの人口比は、他州に比べて群を抜いて高い。
……ということを掻い摘んで話した。
「ええ、お見事です」とツバキ先輩は褒めてくださった。
紅国の一都四州の特色について授業をやったばかり。
真面目に聞いててよかった!
「春花州は、すでに魔法なしでは立ち行きません。そのため魔法使いに対する差別意識はなく、人間と魔法使いが対等な関係を築いております」
まるで理想郷のような話なのに、ツバキ先輩の表情は暗い。
「……簡単に言うと、魔法使いである私を次期当主に推挙する声が上がりまして」
――跡目争い!
兄弟仲が悪いという話とつながる。
そもそも、魔法使いが侯爵になれるの?
紅国は人間の国なのに?
でも、魔法使いが紅国に貢献していることは確かで、それ相応の権威が欲しい、という言い分は分からなくはない。
ただこの表情から察するに――
「ツバキ先輩は襲爵を望んでいないんですね?」
「はい、仰る通りです。長男が後継であることはゆるぎなく、それを私が脅かすことも、州民を混乱させることも本意ではございません」
自分の意に反して持ち上げられるなんて、いろいろと気を揉んでそう……。
「この動きの中で、私の婚約者にと白羽の矢が立ったのが、シヅさんでした」
「えっ、私!?」
「春花侯爵家を魔法使いで固めたいのでしょう」
「それなら春花州の魔法使いだっているのに……」
「侯爵夫人ともなると、貴族でなければ務まらないと考えたのかもしれません」
『魔法使いの貴族令嬢』。
たったそれだけの理由で、気品も教養もない私なんかを推薦するなんて!
「シヅさんに縁談を申し入れた理由ですが……、外堀を埋められる前に事情をお話しし、お断りいただこうと思っていたのです」
なるほど。ツバキ先輩は縁談を申し入れただけで、婚約するつもりはなかったんだ。
それが今では偽装とはいえ婚約している。
「それなら、『偽装婚約』している今の状況は、ツバキ先輩が望むものではないですよね?」
「私の事情だけを押し付けるわけにはまいりません。それに、シヅさんが駄目なら次の候補者が出てくるだけです」
そうか、私が断ったとしても、ツバキ先輩を推挙する動きが収まるわけではないんだ。
どうやったら周囲は諦めてくれるだろう?
「襲爵を回避する案につきましては、一つ策があります」
すごい! そんな妙案を考えているなんて、さすがツバキ先輩!
「道楽息子を演じようと思っています」
「道楽……?」
爛々とした表情のツバキ先輩に対し、私は眉間にぎゅうっと皺を寄せた。
「ただひたすら、魔装置の研究に勤しもうかと。私が公務に無関心であれば、侯爵に担ぎ上げることなど不可能ですから」
なるほど、貴族としてのお役目を果たさないのであれば、当主になどなれるわけがない。
廃嫡もやむなしと判断される可能性もある。
「こんな人だとは思わなかった!」と『偽装婚約』を破棄する理由にもなる。
なるけれど。
「じゃあ、結婚しないって仰っていたのは……」
「道楽息子の私には、妻も子も、不相応でしょう?」
ツバキ先輩は明るくそう仰るけれど、――私はなんと言ったらいいか分からなくなった。
だって、ツバキ先輩が汚名を被るのも妻子を持たないのも、そうしなければ州内の混乱を避けられないからだ。
「本当に、ツバキ先輩はそれでいいんですか?」
「はい。皆が平和に暮らせるのであれば」
ツバキ先輩は何ら迷うことなくそう言い切った。
貴族として、私より公を優先すべきだというのは、理解できる。
でもこれじゃあ、ツバキ先輩があまりにも報われない。
本来のツバキ先輩は、家族のことも州民のことも考えていて、道楽息子なんて言葉、ふさわしくないのに。
腹の底でじわじわと何かがくすぶっている。
でも当のツバキ先輩は涼しい顔でお茶を飲んでいて、内心は複雑だろうに、そんなことおくびにも出さない。
いつの間にか怒りは、もどかしくて、やるせない思いに変わっていた。
私もお茶を飲んだ。
ぬるくなったお茶が、より一層侘しさを感じさせる。
お互いに茶杯を置くと、ツバキ先輩はいつものように穏やかに微笑んだ。
「そういうわけですから、もし、婚約破棄したくなったらいつでも仰ってください。いつでも道楽にふけりますから」
……冗談のつもりなのかな?
まあ、今のところ簡単に婚約破棄するつもりはないから大丈夫だろう。……たぶん。
次話投稿は 2026/3/22 21:00 です。




