17.魔法使いと春花侯爵令息(3/3)
ツバキ先輩の口から『偽装婚約』の話が飛び出たその日。
早朝の魔力解析を終え教室に着くなり、ハクト君が近寄ってきた。
「ね、シヅちゃんが春花の三男坊の婚約者って本当なの?」
私は笑顔を貼り付け、冷静に言った。
「ごめんね、ハクト君。婚約については、話せない決まりになってるんだ」
そう。今さっき、そう取り決めたのだ。
* * *
――朝のうちに、ツバキ先輩といくつかの取り決めをした。
「まず、噂については、肯定も否定もしないことにしましょう。何を言われても『婚約については口外しない取り決めですので』と言い切って、それ以上のことは口外しないようにするのです」
噂が私たちの耳に届いている時点で、相当広まっていると推測できる。
そして私は、その噂を大々的に否定したくない。
そんな私の事情を汲んで、ツバキ先輩は『噂を肯定も否定もしない』という結論に行きついたのだろう。
私みたいな下級貴族に春花侯爵家のお手間を取らせるなんて、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
いや本当に、私はなんで侯爵令息との『偽装婚約』を隠すために、別の侯爵令息にご迷惑をお掛けしているんだろう……。
「……本当に、いいんですか……?」
「大丈夫です。嘘はついていないでしょう?」
ツバキ先輩は事もなげにそう言った。
この状況でそんなことが言えるなんて、意外とツバキ先輩は大胆だなあ。
もちろん、私が気負わないように、という気遣いもひしひしと感じられる。
唯一の救いは、得をするのは私ばかりではない、ということ。
「本当に、シヅさんは私にとっての救世主です。縁談の申し込みが多く困っていましたから。これで勉学に集中できると思えば、こんなに素晴らしいことはありません」
救世主なんて言われると心が痛むのだけれど……私の手を取るツバキ先輩の、その安堵した穏やかな笑顔を見て、お役に立ててよかったなあ、とだけ思うようにした。
* * *
「ふーん……」
ハクト君の言葉で我に返る。
明らかに不満そうな顔で、私を見つめていた。
「そんなふうに誤魔化すなんて、怪しいなー」
「別に、そういう取り決めってだけだよ」
なんだか妙にハクト君がしつこい。
「もー、睨まないでよ」
睨んだつもりはなかったけれど、無意識に厳しい目線をハクト君に送っていたようだ。
ハクト君は肩をすくめて、そして今度は何やら不敵な笑みを浮かべた。
「じゃあ、三男坊のあの噂って嘘なのかなぁ?」
「……あ、あの噂?」
ハクト君の勿体ぶった言い方に、私はたじろぎながら聞き返す。
正直、もう噂なんてお腹いっぱいなんだけれど。
でも、もしほかに変な噂が流れているのなら、対策を打たないといけない。
「ちょっと手を貸して」
そう言って、ハクト君は私の手を取った。
可愛らしい見た目に反して、意外に大きくて筋張った手。
小柄でも、やっぱり男性なんだなあって思った。
「びっくりして、声出さないでね?」
ハクト君は小さな声でそう断ってから、私の手のひらに指で文字を書き始めた。
『は』、『い』、『ち』、『ゃ』、『く』。
はいちゃく、――廃嫡?
「は――!?」
「しーっ!」とハクト君が私を制する。
私はすぐに口を噤み、声を潜めて聞く。
「な、なんでそんな噂が?」
「なんか、兄弟仲が悪いみたいで」
「ええ?」
廃嫡という言葉の重みとハクト君の口調の落差に、頭がくらくらする。
兄弟仲が悪い?
ツバキ先輩が?
あんなに誠実そうな方が?
……いや、本当に誠実なら、『偽装婚約』なんてしないんじゃない?
それに、よくよくさっきのやり取りを思い返す。
――「私は生涯において、結婚するつもりはございません」
あのときはツバキ先輩があまりにさらりと言うから流してしまったけれど、おかしな話だ。
生涯結婚するつもりがないのに、私に縁談を申し入れたなんて。
不信感が頭をもたげ――いやいや、と振り払う。
ツバキ先輩も何か事情がおありのようだった。
侯爵家なんだから、きっと私には到底考えられないようなしがらみだってあるはず。
私は胸に手を当て、自分の気持ちを整理する。
ツバキ先輩は、いつも穏やかで、どんなときでも丁寧で、褒め上手で。
噂のことだって、私の意を汲んでくださった。
それに何より、とってもお強い!
私は、ツバキ先輩を信じたい――。
「その感じだと、春花の三男坊と何かあるのは本当なんだねー」
飄々とした声にハッと顔を上げると、そこには満面の笑みを浮かべたハクト君がいた。
「まさか、騙したの!?」
「あはっ! さあ、どうかなー?」
そのとき、カーンと始業の鐘が鳴る。
ハクト君はすれ違いざま、私に耳打ちした。
「大丈夫、秘密にするから」
ハクト君は愛らしいウインクを一つ残して自席に戻って行った。
結局、ハクト君にしてやられた気分だ……。悔しい。
あのハクト君の様子だと、廃嫡の噂なんて嘘っぱちだ。
……そう思いたいのに、ツバキ先輩が『偽装婚約』してくださった理由が見えなくて、なんとなく心がざわざわするのを抑えられなかった。




