01.魔法使いと偽装婚約 その始まり(1/3)
暖かい風が頬を撫でる。
甘い香りに誘われ目を開けると、ここは東屋。
周囲は一面の花畑だ。
「白陰子爵令嬢、シヅ様」
その声は、私の足元に跪く男性から。
ただの男性ではない。
濡羽色の長い髪に、鮮烈な黄金色の目、色気のある垂れたまなじり――誰が見ても、見目麗しい男性だ。
「私と、生涯を共にしていただけますか」
私は求婚されている。婚約を申し込まれている。
でもこれは、ただの婚約ではない。――『偽装婚約』なのだ。
***
発端は父の一言だった。
「シヅ、『偽装婚約』してほしい」
ここは高級料亭の一室。
窓の外に広がるのどかな庭園にはツツジと遅咲きの桜がそよぎ、深紅の屋根瓦が眩しい。
穏やかな気持ちで昼餐を終え、茶杯を置いたそのとき、何を言われるのかと思えば。
「……はい?」
私は場違いにも素っ頓狂な声を上げてしまった。
ぎそうこんやく……、『偽装婚約』? 何それ?
眉間にぎゅうっと皺が寄る。
「どういうことでしょう、お父様?」
父は目を泳がせていたけれど、観念したのか重苦しいため息をついて口を開いた。
「実は――」
恐々と語り始めた父曰く。
私に山のように縁談の申し入れが来ていたこと。
厄介な相手ばかりで、断っても断ってもキリがなかったこと。
そこで父は、信頼する人物に「シヅと婚約だけ――つまり『偽装婚約』してくれ」と頼んだこと。
当然、そんな『偽装婚約』は、即、断られたこと。
……全部初耳だったし、正直、意味が分からなかった。
父がひどい親バカを患っていることは知っていたけれど、まさか、『偽装婚約』してまで嫁に出したくないだなんて!
「厄介な相手って、具体的には?」
「何遍断っても釣書を送ってくるバカだろ、それから身分を笠に着て強要してくる阿呆。ジジイに有責離婚者、あとは愛妾の誘い……」
「分かりました。もう結構です」
――本っ当に碌でもない!
父の親バカ病とは関係なく、お断りして当然のお相手ばかり。
一体どうして、私なんかにこんなにも縁談が舞い込んだんだろう?
まず間違いなく、私の見目は原因ではない。
魔法使いだから人間よりはいくらか目鼻立ちははっきりしているけれど、顔立ちも、身長も体型にも、女性らしさは皆無。
肌は特別白くもなく、目の色は薄ぼんやりとした紫色で、唯一自慢できるのは日に透かしても真っ黒な髪の毛くらい。
理由はともかく。
厄介な縁談をまとめてお断りする口実として、私が婚約したことにすればいい、と父が考えたのだということは分かった。
分かったけれど。
「『偽装婚約』なんて、断られるに決まってるでしょう……」
でも、父の口から飛び出たのは意外な顛末だった。
「それがな、つい先ほど許可がもらえた」
「はい?」
「いや、俺も驚いている」
「……お父様が驚かないでくださいね?」
非難たっぷりの視線を送ると、父はより深く顔を伏せた。
私は一つ、小さなため息を零す。
私、婚約するんだ。まるで実感がないけれど。
私も貴族の端くれだから、結婚に夢なんて見ていない。
領民のみんなのためなら政略結婚だって構わない。
貴族の婚姻なんて、そんなものだ。
それに私、養子だもの。
六歳からこの十年間、育てていただいたご恩を返せるなら、喜んでお嫁に行く所存だ。
でも、そういうのを一番嫌がっていたのは、この父だ。
「俺より強い者でなければ結婚は認めん!」なんて使い古された常套句が出てくるほど、養子の私に対して過保護、もとい、親バカな父なのだ。
そんな父があつらえた『偽装婚約』相手だ。
きっといいお方なんだろう。
ただ、私にはたった一つ、懸念がある。
私は今日、『魔法士官学校』に入学した。
つい先ほど、入学式を終えた身だ。
……もしも婚約者が「魔法使いが学問なんて」とか「女が士官なんて」とか言い出したら?
到底受け入れられない!
この高級料亭に来たのだって入学祝いのためなのに、このごちそうを最後に首都を去るなんて、そんな間抜けな真似は絶対にイヤだ。
そうは言っても、お相手の方には『偽装婚約』の申し出を受諾いただいたのだ。
父の無茶ぶりに付き合わせておいて、相手の意向を完全に無視するわけにはいかない。
それに、今さら『偽装婚約』を取り下げるのは無理だろう。
言い出しっぺである父が「やっぱりやめた」だなんて無礼にも程がある。
いや、私が本気で嫌がれば、父はなかったことにしてくれる。
たとえそれが原因で、父自身の立場が悪くなっても。
でも、私はそんなこと望まない。
父には子爵という立派な立場でいてほしい。
こんな父だけれど、養子の私にこれまでたくさんの愛情を注いでくれたのだから。
……いろいろと考えたけれど、もう決まったものは仕方がない。
私は十六歳。
大人になったのだもの、しっかりしないと。
もし婚約者に進学を反対されたら、そのときは相手が折れるまで主張し続けよう!
覚悟を決め、大きく深呼吸してから、私は父へ向き直る。
「わかりました。お受けします、『偽装婚約』!」
顔を上げた父は、いつもの威厳たっぷりな顔はどこへやら、情けない顔をしていた。
それを打ち消すように、私はニッと笑う。
「そうと決まれば、まずはご挨拶しないと、ですね!」
「ああ、そうだった」
父はそう呟き、横一文字に宙を切った。
ざあ、と魔力が私を包みこむ。
「え、あの、お父様?」
「挨拶の時間だ」
ひゅっ、と内臓が軽くなる。
父の魔法だ、転移魔法。
何も見えない、聞こえない。
……挨拶って、まさか『偽装婚約』の相手?
普通、ご挨拶の日取りって事前に相談するものじゃない?
いや、普通は『偽装婚約』なんて結ばないか……。
それにしたって急すぎる。
せめてお相手の方の名前くらい知りたかったんですけど!
パッと視界が白む。
眩しい。
咄嗟に目を閉じる。
屋外に飛ばされたんだ。
ずっしりと足裏が地面を掴む感覚が戻り――
暖かい風が頬を撫でる。
甘い香りに誘われ目を開けると、ここは東屋。
周囲は一面の花畑だ。
「白陰子爵令嬢、シヅ様」
その声は、私の足元に跪く男性から。
ただの男性ではない。
濡羽色の長い髪に、鮮烈な黄金色の目、色気のある垂れたまなじり――誰が見ても、見目麗しい男性だ。
「私と、生涯を共にしていただけますか」




