「死神の剣」現る
西王国・第三遊撃師団 副隊長リューゲは、夜の帳が下りる戦野に、苛立ちを募らせていた。
ここ数日で、あまりに仲間の姿が消えすぎていた。連絡が途絶えた斥候、戻らぬ前衛部隊。
気づけば、陣の周囲には、血の気を失ったような兵士たちが膝を抱えて座っている。
「……また一隊、連絡が途絶えました」
副官の報告に、リューゲは思わず舌打ちした。
「またか……ふざけるな。何も敵の本軍とぶつかったわけじゃないだろう!」
「は……いえ、その、噂によれば……“死神の手”の、右手が……」
「黙れッ!」
思わず怒鳴った。
その名を口にされるだけで、背中に冷たいものが走る。
――“死神の剣”。
白銀の髪を持つ“死神将軍”が遣わす、青き瞳の処刑者。
怒涛のごとき突撃で陣を穿ち、落雷をともなう剣を振るうその姿は、まるで神話の魔剣のようだという。
「そんな戯言を信じるな! あれは敵の情報操作だ。騙されてどうする!」
兵士たちは下を向き、誰も返事をしなかった。
……否、できなかった。
彼らも皆、見たのだ。三日前、隣の陣営を襲撃し、雷鳴とともに黒焦げに焼け落ちた砦の残骸を。
そこに残っていたのは、焼け爛れた兵士たちの骸と、剣で一刀のもとに斬られたと思しき深い切創のみ。
「伝令! 何をしている! 周辺の警戒を強化しろ。後衛に予備兵を回せ!」
「はっ! ……た、大変です! 南の林にて、火の手が──!」
「なにっ」
リューゲが顔を上げると、暗い地平線の端、南西の方角に、ぽうっと橙の炎が立ち上がっていた。
風向きに乗って流れてきたのは、焼けた木の匂いと、鉄の焦げた臭い。
そして――人の断末魔。
「敵襲ッ!! 陣の南西から敵襲!」
「バカな! そちらに味方の伏兵を置いていたはず──!」
その瞬間だった。
夜空に、紫電の閃光が奔る。
爆音と共に、突如として走った雷撃が、森の端をまるごと引き裂くように吹き飛ばした。
誰かが叫んだ。
「あれだ……あの剣……!」
「《死神の剣》が来たぞ!!」
その言葉を最後に、陣は完全に混乱した。
軍規も、編制も、もはや機能しない。
突撃する敵兵の先頭――長身の男の姿が、闇に紛れて近づいてくる。
その剣がひと振りされるたびに、雷鳴が落ち、兵が吹き飛び、地面が抉れた。
「止めろ! 止めろぉぉ!! 盾兵は前に出ろ! 後衛は魔弾を──!」
だが、声は空しく、部下たちは恐怖に染まった顔で逃げ散った。
剣はそれを追うように、冷酷な正確さで肉を裂く。
リューゲは己の足がすくんで動かないのを呪った。
「なんで……なんで、こんな、化け物が……!」
――死神は、銀の髪ではなかった。
だが、間違いない。
この剣こそ、“死神の手”が振るう、鋼の刃。
見上げる空の向こうで、誰かが笑っている気がした。
どこかで、雷が再び落ちた。
その光が、確かにリューゲの目に映したのは──
振るう剣の主の、真っ青な、目が燃えるように光る瞳だった。
「死ぬ……!」
その叫びは空しく、鼓膜にこだまするだけだった。