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一章 四 未来の選択が、過去の現実を変える

 俺たちとニュートンは一緒に教会を出ると、太陽は傾いていた。おそらく夕方なのだろう。

 ニュートンは懐から小さな三角柱のガラス片を取り出した。それを太陽の光にあて、手のひらを近づけると手のひらには虹色が落ちる。ニュートンはふと語り出した。


「僕は光の分解や屈折について研究しているんだ。白い光は赤、緑、青なんかの光が重なることで白くなるんだよ」


 ニュートンは万有引力の発見で有名だが、実は光のプリズムによる光の分解を通して、光が色んな色が混ざってできていること、色によって屈折角が異なることを発見したことでも有名である。


「ニュートンが光に関しての論文を出すのはあと四十年後とかね」


 冬美がそう言う。俺たちは日本語で会話しているのでニュートンには伝わらない。現代科学ではもっと先のことまで解明されている。

 ニュートンは続けた。


「私の本当の興味は、人間が“見ているもの”が本当かどうかなんだ。芸術家は、“本当には存在しないもの”を見せる。数学とは正反対のところにあるとは思わないかね」


 意外と哲学的な話になった。俺たちは今、夢の中にいるわけで、この世界そのものが存在するとは言えないが、ニュートンには全くその自覚がない。

 それを聞いた冬美の目が揺れる。


「・・・光をどう扱うかは、絵画においても非常に重要だわ。明暗、対比、焦点。それを計算で扱えるのかしら?」


ニュートンはにこりと笑う。


「芸術は感性に見えるが、正確な計算があってこそ美が生まれることもある。“黄金比”を知っているかい?」


 児玉が「聞いたことあるかも~」とつぶやくと、ニュートンは懐からスケッチを取り出す。それは大きさこそ違うが、俺たちが東京国立近代美術館で見た、あの絵画に酷似していた。冬美は目を見開く。


挿絵(By みてみん)


「そ、それは」

「この絵は半年ほど前に知り合ったレンブラントという画家が描いたスケッチさ。これには”黄金比”が使われているんだ。数字の美しさこそが芸術だと思わないかね」


 確かに”黄金比”と呼ばれる美しく見える比率というものは存在する。およそ1:1.6がその比率と言われており、テレビの縦横の比率であったり人物であれば目と鼻の角度なんかがそれに該当し、かの『モナリザ』においてもこの黄金比が使われていると言われている。


 ニュートンが見せてくれた絵は本当に下書き、というラフなもので一見冬美には見えない。ニュートンも冬美だとは思っていないようだ。だが東京国立近代美術館のあの絵画を知っている俺たちが見れば、このスケッチがあの絵画の下書きだということは明白だった。


俺たちは、夕焼けに染まる石畳の路地をニュートンと共に歩いていた。


「彼は少し変わった人だけど、鋭いわね」


冬美が小声で言う。


「というか……俺たちはまだレンブラントに会っても無いのに何故古城戸が描かれているんだ」


俺が疑問を投げかけると、冬美は一瞬黙り込み、やがて小さく息を吐いた。


「わからない・・・」


ふと、ニュートンが足を止めた。薄暗くなり始めた通りの先、石造りの低い建物が見える。


「ここだよ。レンブラントの工房はこの先の二階だ。もし興味があるなら紹介しようか?」

「え? いいのか?」

「もちろん。彼は君たちのことを気に入るだろう」


 俺たちは顔を見合わせる。運命的だ。導かれているような気がする。

 俺はその時小さな因果を感じた。『雷天大壮(レーツーダーフォン)』だ。


「古城戸、因果を感じる。『雷天大壮(レーツーダーフォン)』だ。どんな因果だ?」

「『雷天大壮(レーツーダーフォン)』・・・強く勢いがある。まだまだ力は増して、何でも思い通りになる。が、やりすぎると破滅する、という易ね。レンブラントの因果かしら」

「おそらくな」


 二階へ続く狭い木の階段を登ると、戸口の向こうに独特の空気が流れていた。火を落としたランプが照らすアトリエの奥では、髭をたくわえた壮年の男がキャンバスに向かっていた。


「Rembrandt, these people are from far away. They admired your sketch.」(レンブラント、遠くから来た友人だ。君のスケッチに感動していた)


 画家は筆を置き、こちらを振り向く。その瞳に宿る光は、理知と狂気のあわいにあった。


「From far away…」(遠くから…)と、レンブラントと呼ばれた男は英語で繰り返す。どうやらニュートンとの会話の中で多少は学んでいるらしい。

 

レンブラントの視線が冬美に注がれる。その瞬間、彼の顔が凍りついた。


「You... I have seen you before. In my dream.」(君を――夢で見たことがある)


 俺たちは息を呑んだ。やはり――絵画のモデルは冬美だったのだ。レンブラントは立ち上がり、目を見開いてふらふらと冬美に歩み寄る。


「Wat een pracht.Ze is net een godin.」(なんて美しい。まるで女神だ)


 英語耳の俺にはほとんどわからなかったからオランダ語なのだろう。冬美が一歩前に出て話す。


「Hoi, leuk je te ontmoeten. Mijn naam is Fuyumi.」(はじめまして、私は冬美です)

「Rembrandt van Rijn. Fijn om de naam van de godin te weten.」(レンブラント・ファン・レインだ。女神の名が知れて嬉しいよ)


 それから俺たちはレンブラントと例の絵について話を聞くことにした。レンブラントはアトリエの椅子をいくつか適当に並べると俺達に勧めたので腰掛ける。この頃のレンブラントは名声こそあったが、浪費癖から借金が嵩み、ピーピーの生活をしていたはずだ。美術品なども多く所蔵していたはずだが全て借金のカタに取られたのだろう。


「そう、あれは何年前だったか。もう随分前だ。私の夢に君が現れた。だがもう少し幼かったように思う」


 レンブラントはそういうとニュートンの持っていたスケッチに目をやる。俺と冬美は顔を見合わせて頷く。言われてみればスケッチのほうは確かに今よりも幼く見えた。


「それって前の古城戸のことだよな。十三歳の時の姿だったってことだろ」

「私が覚えてないってことは兄さんに支配されていた時かしらね。始祖夢魔に対抗するために色々探していた時かも」


 俺はレンブラントに質問する。


「あなたが夢で彼女に会った時、もう一人男性がいませんでしたか?」


 レンブラントは頷く。


「確かに――いた。銀色の髪の男だった。目は深く…冷たかったが、不思議と嫌悪は感じなかった」


その瞬間、冬美の表情が強張る。俺も息を呑む。銀色の髪。まさか。


「兄さん…」


古城戸延行。反地球に旅立った彼女の兄。その存在が、夢の中に痕跡を残していた。


「その男は、私の作品に興味があるようだった。そして、君を私に描かせるように誘導してきたよう

な気がする。あれは夢だったが、妙に輪郭がはっきりしていた…」


 レンブラントはアトリエの奥に立てかけてある巨大なキャンバスの布を払う。

 そこから現れたのはあの絵画だった。俺たちが現実で見た絵は三百五十年程経過しているせいか、劣化もあったが、今、目の前にあるこの絵画の圧倒的な色彩と陰影、幾重もの光の層に俺の目は釘づけとなる。まるで実在するかのような存在感。


 レンブラントは大きくため息をつきながら語る。


「私は借金を作ってしまい財産のほとんどは処分してしまった。だが、この絵だけは手放せずにいる。この絵を見ていると、なんだか不思議な感覚になるんだ・・・」


 『雷天大壮(レーツーダーフォン)』はレンブラントからではない。この絵から感じる。


 冬美は拳を握った。


「兄さんは、私と侵入した夢の中で、レンブラントに私を描かせた。どうして…」

「“影とともに返していただく”って言葉、思い出したか?」


 俺の問いに冬美はうなずく。そうだ――影。夢の中で描かれた“像”こそが影だったのだとしたら。


「写し身のように、記憶と魂の一部を持ってるんじゃないか、あの絵画・・・」

「そうなると、あの絵そのものが因果を宿している可能性もあるわね」

「そうだ、『雷天大壮(レーツーダーフォン)』はあの絵から感じる」


 レンブラントは静かに席を立ち、アトリエの奥へと歩き出す。しばらくして、古びた木箱を抱えて戻ってきた。その中には、金属の刃のようなものが収められていた。先端はわずかに湾曲し、今まで見たどんなナイフとも違っていた。


「これが・・・“レンブラントのナイフ”?」


 レンブラントは笑う。


「いや――これは“描くための刃”。私はこれで光の層を削る。筆は色を加えるが、これは影を残すための道具だ。君たちが言うナイフとは違うかもしれないが、魂を刻むには十分だったよ」


 それは芸術と数学、夢と現実をつなぐ“刃”だったのかもしれない。


 その瞬間、レンブラントのアトリエがぐらりと揺れる。まるで夢そのものが軋みを上げるかのように。


「時が――満ちた?」


 冬美が立ち上がり、静かに目を閉じる。再び、夢の深層へ――彼女はもう一つの扉を開けようとしていた。


 夢が軋んだ。瞬間、アトリエの壁にかけられた布がふわりと揺れる。そこにあるはずのなかった光が差し込んでいた。


 光の中には誰かの影が立っていた。


挿絵(By みてみん)



「……兄さん?」


 冬美がかすれた声で呼ぶ。


 その影はゆっくりと歩み出すと、まるで重力を無視するように床をすべり、絵画の前で立ち止まった。アトリエが静まりかえる。


「これは……僕が描かせたものだ」


 はっきりとした声だった。俺と冬美は言葉を失う。延行だった。半年以上前、反地球に旅立った彼が、なぜここに――


 だが、どこか様子が違う。光の中にいるのに、影が妙に濃い。存在そのものが、ここに属していないような雰囲気があった。


「兄さん……夢に入り込んでたの?」

「違う。僕はここにはいない。 これは、魂の残滓――“影”が集う場所だ」


 ニュートンとレンブラントにはこのやりとりは見えていないようだった。夢と現実の境界、時間のゆがみが、この空間だけ異質な層を作り上げている。


 延行は静かに、レンブラントの描いた“冬美”の絵に手を添える。


「魂には形がない。でも、記憶と想いがあれば、それは“像”として顕現する。僕は、彼に――レン

ブラントに、影を刻んでもらった。冬美の姿を、ここに遺した」

「……どうしてそんなことを?」

「存在を繋ぐためだ」


 延行の目がすっと冬美を見据える。


「お前がいずれ辿る未来に、選択肢が現れる。その時、この影が鍵になる」


 俺が思わず口を挟む。


「まるで、今の俺たちがこの夢に入ってくることまで計算されていたみたいな口ぶりだな」


 延行は薄く笑った。


「“因果”というのはそういうものだよ。未来の選択が、過去の現実を変える。矛盾しているようで、これが世界の本質に近い」


 そう言うと、彼は木箱から小さな金属片を取り出す。


「これは“本物”のナイフだ。レンブラントが描いた時、実際に使った刃。夢の中で彼から託された。それを現実に持ち帰れるのは君だけだ、由井薗君」


 その刹那、俺の心臓が跳ねた。


――来る。


雷沢帰妹(レジグマ)』が発動する。物質が、夢から現実へ渡ろうとしていた。


「持って帰れるかはわからない。でも、託されたものは受け取る」


 俺は両手を差し出した。延行の指が俺の掌に重なる。光が一瞬、白く瞬いた。


 そして次の瞬間、俺たちは――目を覚ました。


 布団の中、目を開けると美術館の倉庫の天井があった。横では児玉がすぅすぅと寝息を立てており、反対側にはまだ眠る冬美の姿。その表情は安らかで、まるで微笑んでいるようだった。


 俺は胸元を探る。そこに――あった。冷たい感触。

 夢から現実へ持ち帰られた、本物のレンブラントのナイフ。

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