一章 三 上げるまでもなく百パーセントだ
夜になって俺は中型トラックに簡易寝台や布団を積み込む。本当は現地で『雷沢帰妹』で出したほうが搬送の手間がないが、一般人に見せるわけにはいかない。
俺が自動車免許を取得した時は「準中型」区分が無かったため俺の免許は自動的に「準中型」になっているが、古城戸が免許を取ったときにはもう準中型があったため、自動車免許は「普通」となっている。そのためこのトラックは俺しか運転できない。児玉は普通自動二輪免許しかない。
俺は中型トラックを運転し東京国立近代美術館に寝具を搬入する。簡易寝台を絵画のある倉庫に並べながら俺は冬美に確認する。
「本当にレンブラントの夢に侵入するのか? 絶対八卦絡みだぞ?」
「それならますますしないとね」
以前のように神使と戦うようなことはないだろうから、それに比べたら気は楽だ。
今日は俺たちだけではなく館長の小芝もこの倉庫で寝るらしい。重要な倉庫を一晩外部の人間だけにするわけがないから当然と言えた。しかし今回は小芝の夢に入るわけではない。
「古城戸の夢でいいんだよな?」
「ええ、一応確率だけ上げてもらえるかしら」
古城戸がそう言ったので、『火天大有』で確率をあげようとする。
「・・・驚いた。上げるまでもなく百パーセントだ」
「ほらね」
「ウチも入るんですか~?」
「児玉さんもパーグアなんだし入れるでしょ?」
「大丈夫だと思います~」
「じゃあ行きましょう」
俺たちが準備をしていると小芝も現れた。さすがにスーツでは寝られないので寝やすいジャージのような服装になっている。
「小芝さん、そういえばこの絵はどういうルートで入手されたんですか?」
小芝は簡易寝台に腰かけると絵画を見上げながら言う。
「これは海外のギャラリーから購入したものなんです。レンブラントの弟子のサインがあり、それも本物と言う鑑定でしたので、買うことにしました。もちろんレンブラント本人の絵画のような価値はありません」
古城戸は頷く。
「なるほど、この絵画がレンブラントの未発表の作品だ、となれば莫大な価値を産むことになりますね。もしかしたら、犯人達はその情報を絵画を売った後で知った可能性がありますね」
「私たちが作品を公開する前になんとか取り戻したいと」
「そういうことでしょうね。でも本物かの確証が持てなかったから予告状を出した、ということかしら」
ニ十三時を回ったあたりで俺たちは布団に入った。小芝もいつの間にか横になっている。
遠い光を目指す。その頂を目指すことしか考えない。昔、姉に聞いたことを思い出す。後ろには望天吼がいるから振り返ってはいけないと。
光の中に入ると黙となる。俺が俺である何かがそこでは全て。そうして、溶けあい、繋がる。
気づくと俺は中世ヨーロッパらしき教会の椅子に座っていた。俺の隣には冬美が、さらに児玉もいた。
「さて、無事侵入したはいいけどここはどこかしら」
「普通に考えたらオランダ、当時はネーデルランドだったか?」
冬美は辺りを見回す。教会には何人か現地の人がいたが、俺達を気にする人はいない。
「そうね。さて、由井薗君はオランダ語はできる?」
「いや、ダメだな。でも英語と大差ないだろ?」
「What is that? が Wat is dat? になるくらいの違いかしら」
「同じように聞こえたぞ」
「スペルは違うけど・・・ま、喋る分には大差ないかしら」
「ウチ、初海外~」
児玉は暢気に構えている。案外大物なのかもしれない。
以前の冬美であれば夢の中では十三歳の姿だったが、半年前に一度パーグアでなくなり、再覚醒をしているので夢の中でも現在の姿となっている。アレはアレで可愛かったけどな。
児玉も最近覚醒しているので今の姿のままだ。服装は俺も含め三人ともいつもの恰好、というところだった。
「十七世紀だろ? この格好だと目立つかな」
「まぁ大丈夫じゃない? ちょっと薄着に見えるだけで」
その時、後ろから一人の若い男が近寄ってきた。俺たちと同年代だろう。髪を伸ばした中世スタイルで、白いブラウスと黒いスラックスをつけている。男は俺たちに話しかけた。
「Where do you people come from?」(きみたち、どこから来たんだい?)
オランダ語ではなく、英語だ。しかもguysではなく、peopleと言った。イギリス英語か。ここはイギリスなのか?
「We come from Japan.」(日本から)
俺はそう答えた。アメリカ英語だとWe are from Japan.だが、イギリス英語ならWe comeになる。
「Japan? The country further east of China?」(日本?中国のさらに東にあるんだろう?」
「Yeah」
「It's the first time I've spoken to a Japanese person. You look pretty cool dressed like that.」(日本人と話すのは初めてだよ。君はなかなかイカス恰好をしているな)
「Are you British?」(あなたはイギリス人?)
「Yes, that's right. There was a big problem over there with the plague. I'd just graduated from university, but I'm here temporarily in Nederland.」(そうだよ。あっちがペストで大変なことになってね。一時的にネーデルランドに来ているんだ。大学卒業したばかりだってのに」
やはりここはネーデルランド(オランダ)のようだ。しかし、よくしゃべる奴だな。
一五四三年にポルトガルから鉄砲が伝来し、それ以降日本とヨーロッパは交易を始めている。しかし、一六三九年には日本が鎖国政策をとってしまい、ポルトガルは入国できなくなったが、オランダだけは入港が認められていた。だから日本人がヨーロッパにいてもそれほどおかしなことではない。
「That was tough.」(それは大変だったな)
「I am Isaac Newton. I did mathematics at university.」(私はアイザック・ニュートンだ。大学では数学をやってた)
とんでもないことを聞いた。アイザック・ニュートンだと?あのニュートンか? 冬美も驚愕している。児玉はイマイチ状況がわかっていないようだ。おそらく英語がわからないのだろう。俺たちはニュートンの夢に入ってしまったのだろうか?
その後もニュートンと会話をしたところ、ペストでイギリスからネーデルランドに避難している間、趣味の錬金術を楽しもうということらしい。近代科学の祖が錬金術かよ。冬美が言うには、ニュートンがペストで疎開したのは一六六五年あたりで、レンブラントは五十八歳か五十九歳頃だそうだ。日本は四代将軍徳川家綱の時代ということになる。
児玉もさすがにニュートンは知っているらしく、驚いている。
俺は冬美に一つ質問する。
「この時のニュートンはもう万有引力についての発見はしているのかな?」
「史実では、ペストが流行した際に疎開したのは故郷のウールスソープで、そこで落ちるリンゴを見た、となってるはずだけど」
「実際はネーデルランドに来ていたのか。レンブラントと何か繋がりがあるとは思えないが」
「そうよねぇ。芸術家と数学者・・・何か共通点はあるのかしら」
俺と冬美は考え込んでいるが、児玉は考えることを放棄しているようだ。