一章 二 面白くなってきたわ
俺たちが東京国立近代美術館に到着すると黒いスーツを着用した、いかにも学芸員という小柄な五十代の女性が出迎えてくれた。この女性が館長である小芝らしい。小芝は小さな会議室に俺たちを案内する。会議室の椅子に着席すると、小芝は紙袋を机の横に置く。
「この度は当美術館のご依頼を受けてくださりありがとうございます」
小芝が頭を下げると冬美も頭を下げた。
「こちらこそ、どの程度お役に立てるかわかりませんが」
小芝は冬美の顔をじっと覗き込んだ。
「何か?」
「あ、いえ。なんでもありません・・・特別国庫管理部の方が直接見えられることはあまりない、とお聞きしておりましたが」
「今回は特別ですね。やはり直接予告状やナイフについてお伺いしておきたいなと」
冬美がそう答えると小芝は頷いた。
「物はこちらです」
そう言って、机の横に置いてあった紙袋から一通の紙を取り出し、冬美に差し出す。さらに、紙袋の中から白い手袋と木箱を取り出すと、手袋をはめ、木箱の蓋を開けた。
「これがレンブラントのナイフですか?」
冬美がそう言いながら覗き込んだので、俺も背筋を伸ばして見る。児玉も見ている。
レンブラントのナイフはナイフというより金属片のようなものだった。何色もの顔料(絵の具)が付着し、握り手らしきところにはボロ布が巻かれていた。
「当館ではその名のとおり十九世紀以降の美術品を取り扱っています。そのため本来であれば十七世紀の画家の品は対象にはなりません。でも今回のナイフ展を行うにあたって、とある絵画とともにこのナイフを入手したのです」
「とある絵画?」
冬美が言うと館長は頷く。
「それはレンブラントの弟子の作品のようです。作品の隅に弟子のサインがあったのでそのように鑑定されました」
俺に一つの疑問が生じたので思わず声に出してしまう。
「そのナイフがその絵画と一緒に出てきたのなら、そのナイフは弟子のものではないのですか?」
小芝は二度頷いた。
「そう思い、ナイフの顔料を調査しました。年代測定では十七世紀、顔料もレンブラントの絵画に使用されているものと同様だったのです」
「弟子なら同じ顔料を使う可能性があるのでは?」
「それも確認したのですが違うようです。レンブラントはベースカラーに暗い色をよく用いるのですが、その色が彼独自の比率での配合に一致しているんです」
「画家の指紋のようなものなんですね」
「そう、そうです」
予告状のほうも確認してみた。
『レンブラントのナイフは我々の物であるため、影とともに返していただく』
「影とともにってどういう意味だ?」
俺がそう言うと古城戸も「う~ん」と唸った。小芝はやや不安げな表情になる。
「このナイフが本物であれば、一緒に入手した絵画も本物である可能性が高くなります。弟子の作品ではありますが、それなりの価値があるものだと思います」
そう言われて俺は納得した。
「なるほど、今回のご依頼はナイフというよりそちらの絵画の真贋が知りたいということですか?」
「絵画はここにないっぽいし」
児玉が周りを見渡しながら言うと小芝は短く答えた。
「絵画は倉庫にあります」
冬美は頷く。
「じゃあ、ナイフから確認しましょうか。児玉さん、どう?」
児玉は因果『兌為沢』を発動。ついでに俺も『兌為沢』を発動してみる。このナイフはレンブラントのものか?
程なくして、児玉は口を開いた。
「レンブラントのナイフ、ではないです」
しかし俺の結果は違った。
「俺の『兌為沢』だとレンブラントのもの、となったが?」
「児玉さんの結果は確実なんでしょう? 由井薗君のは外れるものね」
「まぁそうだが」
小芝は残念そうに頷いた。
「では、これは偽物なんですね・・・・・・わかりました。展示からは外しましょう」
その時、児玉が「あっ!」と声を上げた。思わず全員が児玉に注目する。
「でもこれ、レンブラントのものみたいです」
「どういうこと?」
冬美が児玉に確認をする。
「ナイフではないけど、レンブラントのものなんです」
「なるほど、我々が勝手にナイフだと思い込んでいるだけなのね」
確かにただの金属片のように見えるし、ナイフではないのかもしれない。
小芝はどうしたものかと首を傾げた。
「ナイフではないなら、どちらにせよ展示は無理ですね」
「ナイフとしては無理でしょうね。絵画のほうも確認しますか?」
「はい、お願いできますか?」
俺たちは会議室を出て、回廊を進み、奥の倉庫に案内される。倉庫の前には警備員がおり、厳重なセキュリティを解除して倉庫内に入った。
倉庫内には多くのオブジェが並んでいるが、その奥で一際存在感を放つ絵画がある。小芝はその絵画の前に立った。
絵画は横幅180センチメートル程度、高さは210センチメートル程度もある大きな絵画だ。その絵画に描かれているのは一人の美しい女性だった。斜めの角度に座りこちらを振り向く、当時の流行の構図で、光と影のコントラストが見る者の目を引き付ける。俺は思ったことを素直に口に出す。
「これ、古城戸に似てないか」
「ウチもそう思います~」
館長である小芝も冬美と絵画を交互に見る。現実の冬美はこれほど髪は長くないが、顔立ちはかなり似ている。というより、半年前までの夢に侵入した時の冬美の姿、十三歳の時のほうが近い。
「そうなんです。先ほどお会いした時、あまりにも似ておられたので驚きました」
冬美は珍しく驚愕した表情で首を振る。
「ありえない・・・これは十七世紀の作品なのよ」
レンブラントはオランダ、当時はネーデルランドの画家だ。十七世紀のオランダにこんなアジア系女性がいたとも思えないし、それが絵画として残っていることも信じられなかった。これが本物ならすごいことだ。俺はこの作品に対して、「レンブラントの弟子の作品か?」と『兌為沢』を発動。
「・・・しかし、弟子の作品ではないようだ」
児玉も八卦を使ったようで、「ウチが見ても違うみたい」と言っている。
「そうですか・・・これだけの作品はそう出会えるものではありません。筆遣い、光と影のコントラスト、なんといっても描かれた人物の放つ存在感がとてつもない。私の目には贋作とは思えませんが、特別国庫の方がおっしゃるならそうなのでしょう・・・」
小芝は残念そうに絵画を見上げた。冬美も同じように絵画を見上げていたが、やがて口を開く。
「では、レンブラントのナイフの本物を探すというお話だったと思いますので、そちらをなんとかしましょう。どうやら何か秘密もあるようですし」
「ナイフ展は五月一日からなので、あと一月ほどです。見つかるでしょうか」
「最善を尽くします」
冬美がそう言うと小芝は頭を下げた。
「館長にお願いなのですが、本日この美術館一泊させていただくことはできますか?」
「え? 今日、ここにですか・・当直室にはベッドが一つしかないですが・・・」
冬美は首を振る。
「できればこの倉庫内で。寝具はこちらが用意します」
冬美がそう言って俺を横目で見る。布団を出せということか。しかし小芝は一般人なので、目の前で『雷沢帰妹』を使って出すわけにはいかない。
「緊急用の寝具を我々で用意します。どうかお願いします」
「・・・わかりました。まだ十五時なので、夜に再度来られますか?」
「そうですね。一度準備しに戻ります」
そう言って俺たちは東京国立近代美術館を出た。事務所には車で十五分程で到着する。
俺は事務所に向かう車で冬美に確認する。
「本物を用意するにしても、本気でレンブラントの夢に入るつもりか?」
「・・・あの絵、見たでしょ? 入るしかないじゃない」
「あれ絶対所長ですよね~」
「アレは確かに古城戸の絵だと思う。しかし十七世紀の画家が描けるわけがない。仮に俺たちがレンブラントの夢に入って、肖像画を描いてもらったとしてもそれは夢の話だろ?」
冬美はCX-30を運転しながら頷いた。
「そうね。でも、夢を現実にする『火水未済』とかもあったわけだし・・・」
『火水未済』は以前、延行と石橋が倒した黄浩宇の因果だ。夢を現実にするという滅茶苦茶な因果だった。
「確かに『火水未済』みたいな因果があるのかもしれないな」
「あれが私の絵なら、絶対レンブラントの夢に入れるわ。それだけ魂が近いってことだから」
「あれは弟子の絵じゃなかった。となるとレンブラント本人の絵の可能性があるってことか」
心なしか、冬美は楽しそうだ。
「面白くなってきたわ」
俺も今晩の夢が楽しみでならない。