三章 二 煉獄の夢
俺達の乗った小舟はやがて大きな町の中に入る。ちょうど桟橋があったので俺たちはそこに船を繋ぎ、降りると目の前には巨大な建造物、イシュタル門があった。青く美しい門にはタイルが貼られていて、馬の模様が描かれている。近くで見るとさらに精緻に作られていることがわかり、紀元前のこの時代にこんなにも美しく巨大な建造物があることに驚いた。
この門をくぐればバビロンの市街に出る。門は開かれており、守衛が立っているということもなかった。
「随分無警戒なんだな」
「今は平和なんでしょうね」
それもそうか、戦時でもないのに門を閉じていたら不便すぎる。
「驕虫が帰ってきた。どうやら御在宅らしい」
石橋がそう言って空に浮かぶ城を指さす。
「そうか。どうにかしてあそこに行かないとな」
「城に降りてきてもらう方法はないのかしら」
冬美がそう言って閃いた。
「そうだ。物資の補充とかあるんじゃないか? そのタイミングでいけるだろ」
「確かにそうね、食料とか、必要な物資を補充するため、降りてくるか、あそこに行く方法があるはずよね」
神子戸さんが町のほうを指す。
「降りてくることがあるか村の人に聞けないかな?」
「あ、私アラム語わかるから聞いてくる」
そう言って冬美は町の大通りに並ぶ露店に走って行き、声をかけた。俺たちは遠くから見守る。
やがて村人と会話を終えた冬美が帰ってきた。
「どうだった?」
俺が訊くと冬美は頷く。
「やっぱり月に一回くらいお城が下りてくるそうよ。その時に物資を積み込むんだって。あと、『賢者』を募っているそうよ」
「『賢者』?」
俺が訊き返すと冬美は城を見上げながら言う。
「さっきのダニエル書の話、覚えてる? ネブカドネザル二世は悪夢に苦しんでいて、賢者に救いを求めているのよ」
「それは好都合だな。俺達がつけいる恰好の隙だ」
「そうね。由井薗君が『賢者』、私が通訳、神子戸さんと石橋君は付き人って感じで行けるかしら」
「よし、その作戦でいこう」
俺の言葉に全員が頷く。俺たちが「賢者」一行を装い、王に謁見する。これ以上ないほど自然な形で、空中庭園に乗り込む口実ができた。
俺たちは、街の中心にある王宮へと向かった。道行く人々は、俺たちの現代的な服装を珍しそうに見る者もいたが、様々な人種が行き交う大都市バビロンでは、異邦人はそれほど珍しくもないのか、特に騒ぎになることはなかった。
王宮の門前で、屈強な兵士に「賢者を求むとの報を聞き、東方の国より参上した」と冬美がアラム語で伝えると、兵士は少し驚いた顔をしたが、すぐに俺たちを中庭へと通してくれた。どうやら、本当に人手に困っているらしい。
中庭で待っていると、やがて神官らしき身なりの良い男が現れ、俺たちを品定めするように見つめた。
「王に謁見を願う賢者とは、お主らか。して、どのような術を心得ておる?」
神官の問いに、俺は冬美の通訳を介して、あらかじめ考えておいた答えを告げる。
「我らは、夢を読み解き、人の心の奥底にある不安を取り除く術を心得ております」
その言葉に、神官はほう、と感心したような声を漏らした。
「王が求めておられるもの、そのものだ。……よかろう。ついてまいれ。王は今、空中庭園におわす」
好都合な展開に、俺たちは内心でガッツポーズをする。
神官に案内され、俺たちは王宮の最上階にある一室へと通された。その部屋の巨大なテラスは、空中に向かって突き出しており、そこから太い蔓で編まれた吊り橋が、遥か上空に浮かぶ空中庭園へと繋がっていた。
「すげぇ……」
俺は思わず声を漏らす。物理法則を無視した、まさに神の夢ならではの光景だ。
吊り橋を渡り、ついに俺たちは空中庭園の内部へと足を踏み入れた。そこは、外から見た印象以上に壮麗な空間だった。見たこともない植物が自ら光を放ち、小鳥のさえずりが聞こえ、心地よい風が吹き抜けている。
庭園の中心、大理石でできた東屋のような場所に、玉座が設えられていた。
そして、そこに一人の男が座っていた。
古代バビロニアの王族が着るような、豪奢な刺繍が施された白い衣。日に焼けた肌に、長く編み込まれた黒髪と豊かな髭。その顔立ちは精悍で、瞳には王としての威厳と、しかしその奥に、悪夢に苛まれる深い疲労の色が浮かんでいた。
彼こそが、この夢の主――『天呉』こと、ネブカドネザル二世。
俺は『水』に関する多くの因果をネブカドネザル二世から感じる。これは間違いなく太古の反地球人の一族だ。
そして、その隣に控えるユダヤ人の男。この男からも異様な因果を感じる。彼が側近のダニエルか。
「面を上げよ」
王の威厳に満ちた声が響く。俺たちは跪いていた姿勢から、ゆっくりと顔を上げた。
「東方の国より、我が悪夢を祓うために参った賢者と聞く。……して、汝に、我が悩みを取り除くことができるのか?」
その瞳は、俺たちの魂の奥底まで見透かすように、鋭く俺を見つめていた。
俺はゴクリと唾を飲み込み、冬美の通訳を通して、はっきりと告げた。
「――お任せください、偉大なる王よ。必ずや、あなたの安眠を取り戻してみせましょう」
神を欺くための、俺たちの世にも大それた芝居の幕が、今、上がった。
俺は大袈裟な身振りで話し出す。俺は古城戸からもらった『孟婆』の資料を読んでいて、三回目までの悪夢の内容を知っている。まずはそこで王の信用を得に行こう。
「王が最初に見た夢は、煉獄の夢。そこには背の低い草むらがただ広がり、誰もいないのに鳴き声だけが聞こえつづける。空は赤黒く、この世の終わりを示すような悪夢でございましょう」
俺の言葉を冬美が通訳すると、王は椅子から腰を上げ、俺を凝視した。そんな王の様子を見て、隣のダニエルも俺の言葉に興味を強める。
「王はそんな場所を一週間、いや十日から二週間近く、彷徨われた」
ネブカドネザル二世は頷いた。
「そ、その通り! これまでこの夢を言い当てられたものは一人たりともおらぬ。そなたこそ本物の賢者だ」
ネブカドネザル二世がそう言うと周囲の大臣や側近たちはみな声を上げる。偉大な王の悪夢を言い当てる賢者はこれまでおらず、王はずっと不機嫌だった。いつ自分たちに飛び火し、理不尽な罰を賜ることになるやもしれない不安があったが、これでその危険は大幅に減ったのだ。
一方で俺達も軽はずみなことは言えない。ネブカドネザル二世が一番警戒しているのは自分を封印しようとする神の手の者だ。『天呉』は過去に神族の間で揉め事を起こし、罰として夢に封印され、今はネブカドネザル二世として生きている。しかし、その封印が弱まり、ネブカドネザル二世は『天呉』としての自我と記憶を取り戻しかけている。「天界」や「反地球」などの言葉は絶対に使えない。
さぁ、このまま神を騙せるのか?
しばらく激務続きで書けませんでしたがようやく終わりました。
マイペースで続けます!




