二章 五 全てわかりました。『天吳』の正体も
「キリがない!」
俺は舌を打つ。『影喰い』本体に近づかなければ、この悪夢は終わらない。
「冬美、天花寺を頼む! 俺が道を作る!」
俺は『雷沢帰妹』を発動。日本刀を召喚する。刀身が淡い光を放ち、周囲の亡霊たちがわずかに怯んだ。
さらに俺は『火地晋』で炎の壁をキャンバスから出た亡霊たちに向けて放射。本家の炎よりも劣化はしているが、広範囲にまとめて攻撃できる。
俺達は『影喰い』を殺すのが目的ではない。『影喰い』の夢から『天吳』の夢に侵入することなのだ。そのためには天花寺が『影喰い』を見て、十年前に『天吳』と出会うところを引き出す必要があった。先ほど天花寺は『風天小畜』で一瞬『影喰い』を見たが、ごく短時間だったしそこまで到達はできていないだろう。なんとか『影喰い』の動きを止め、天花寺が見る時間を確保しなければ。
俺は反地球人である亜門の因果、『水天需』で動きを止めることを狙っているが、影喰いの周囲を飛び回る亡霊たちに邪魔され、攻撃のタイミングが取れなかった。
「石橋! 亡霊を頼む!」
「数が多すぎるんや!」
石橋は懐から四匹の驕虫を放ち、亡霊たちに応戦するが、倒しても倒してもキャンバスから新たな亡霊が湧き出してくる。
冬美と天花寺は戦闘向きの能力ではないし、神子戸さんは戦えるが二人を守ってもらわなければならない。となると俺がやるしかない。
「小賢しい奴らめ! 占い師をも打ち砕く力、見せてやろう!」
影食いの周囲にただならぬ気配。その時、背後の天花寺から声が届く。
「”カレル・ファブリティウス”です! その男の本当の名前!」
カレル・ファブリティウスはレンブラントの弟子として有名な人物である。アトリエ近くの弾薬庫が爆発し、三十二歳の若さで亡くなったはずだが、実は『雷天大壮』で夢の世界にいたのだろう。
『影食い』、いやカレル・ファブリティウスと呼ばれた男は顔を顰める。
天花寺は俺達の戦いの中、隙を見て『風天小畜』を使い、少しづつ影食いの真実に迫っていた。
「それ以上は許さん!」
カレルはドス黒い因果を発動。こ、これは!俺は前に出て手を横に広げる。
「下がれ! 『沢風大過』だ! 喰らったら即死だぞ!」
『沢風大過』は神使である太歳が使った「この世全ての凶」をぶつける因果だ。古城戸の兄、古城戸延行を死に至らしめた恐ろしい因果。
カレルは両手をこちらに向け、気合とともに禍々しい因果を放つ。轟音と共に押し寄せた闇に対し、俺は『水火既済』を発動。劣化した俺の能力では子涵のように完全に反射はできずベクトルを曲げる程度になってしまうが十分だ。
暗黒の渦が逸らされたのを見て、カレルは驚愕。
「き、貴様・・・何者だ。まさか神の手の者ではあるまいな」
カレルの動揺は一瞬。彼はすぐに憎悪に満ちた表情に戻り、再びキャンバスに手をかざす。
「小賢しい真似を……! だが、我が集めた因果の前に、貴様らは塵芥にすぎん!」
キャンバスから湧き出す亡霊の数が倍に増え、俺と石橋に襲い掛かる。石橋の四匹の驕虫も、数の暴力の前に押し返され始めた。
「くそっ、これじゃジリ貧だ!」
俺は舌を打ち、思考を巡らせる。『山沢損』のような強引な手は、読まれた場合のリスクが高すぎる。もっと確実な方法で、天花寺の時間を作らなければ。
その時、広場の入り口から、俺たちが予想しなかった人物が現れた。
「――カレル。いい加減にしないか」
そこに立っていたのは、壮年の日のレンブラント・ファン・レイン本人だった。彼はアトリエにいた時と同じ服装で、その瞳には深い悲しみと、弟子への失望が浮かんでいた。
「師匠……! なぜあなたがここに……いや、ここはあなたの夢の中……当然か」
カレルは一瞬だけ動揺を見せたが、すぐに嘲るような笑みを浮かべた。
「ちょうどいい。あなたにも見せてやろう。私が、あなたの光を越える瞬間を!」
「お前の光は偽物だ。他人の魂を喰らって輝く光など、闇よりも昏い」
カレルは高らかに笑う。
「偽物だと!? いつもそうだ! あなたは私の絵を、私の才能を、いつも『レンブラント』の名で塗りつぶしてきた! 私が描いた絵にあなたがサインをし、それが傑作として売られていくのを、私がどんな思いで見ていたか!」
この話が本当なら、レンブラントは弟子の作品にサインだけしてそれを売っていたということになる。そんなことが許されるはずがない。
レンブラントは苦い顔で俯く。
「……お前の才能は認めていた。だが、お前は光の先にあるものを見ていなかった。ただ、名声という光ばかりを追い求めていた」
「何を偉そうに! 私の才能を横取りし、自分の名声を高めたのはあなたではないか!」
レンブラントは顔をあげる。
「ならば、何故あの絵にお前がサインをした! 光で満ちた絵に影を落とした!」
あの絵とは、冬美がモデルの絵に違いない。
「黙れ! 私がサインをしたのは夢の中での話だ! 夢であなたが書いた作品にサインしたからなんだというのだ!」
その時、天花寺が俺に近寄る。
「由井薗先輩、全てわかりました。『天吳』の正体も」
「『天吳』の正体? 反地球人なんだろ?」
「そうなんですが。新バビロニア国二代目の王、ネブカドネザル二世です!」
その話を耳にしたカレルは激昂した。
「小娘が! 『天吳』様への道は教えん!」
カレルは全力で、天花寺に向かって『沢風大過』を放とうとする。天花寺は悲鳴を上げた。
だが、その瞬間、彼の目の前に静かに石橋が立ちふさがる。
「貴様もまとめて食らうがいい!」
カレルは『沢風大過』を発動、しない。石橋が『雷水解』で止めた。凶悪な因果が、発動する前に霧散。
「な、なぜ・・・発動せん?」
愕然とするカレルの眉間に、これまで姿を見せなかった五匹目の驕虫が衝突。強烈な脳震盪によりカレルは昏倒。
「結局美味しいところはお前が持っていくのかよ」
「お前がヘボすぎるんや」
石橋はここまでの戦いで一度も『雷水解』を見せず、驕虫も五匹目は見せなかった。だからこそカレルの裏を突けたのだ。
天花寺は俺の背中から顔を出す。
「アトリエの壁に、バビロニア時代の矢じりや弓の木片が混じっています。そのせいでネブカドネザル二世の夢とつながったんだと思います」
「じゃあ、アトリエから『天吳』の夢に行けるのね」
「だと思います」
俺は天花寺の頭を撫でる。
「いいぞ、よくやった」
「えへへ」
レンブラントはカレルを背負い、アトリエに向かう。
「儂はこいつだ。こいつは儂の影だったのだ。儂の娘を殺したのもこいつだ。だから儂はこいつの作品にサインをした。だが、儂がこいつを追い詰めていたのかもしれん・・・」
恐らくは、レンブラントとカレルの間の確執があったのだろう。
俺たちはレンブラントを追い、アトリエに行く。天花寺はアトリエの一角を指差す。
「あそこのひび割れにナイフを差し込んでください。扉が開かれると思います」
「わかった。お前はここまででいい。あとは俺たちに任せろ」
「・・・最後まで行けなくてすいません・・・」
「いいんだ、十分働いてくれた」
俺がそう言うと天花寺は深くお辞儀をし、それと同時に姿が薄れていく。現実で覚醒しているのだろう。
俺は『雷沢帰妹』でレンブラントのナイフを出し、ひび割れに突き立てると部屋が光に包まれた。
「さぁ、次が本番よ」
冬美が俺の腕にしがみつき、共に光の奥へ一歩進む。
『雷水解』・・・石橋の因果。発動直前の因果を打ち消す。
石橋の戦闘スタイルとして、「これを打ち消せば勝てる」という状況でしか使わない。
『雷沢帰妹』・・・由井薗が使用(劣化)。夢の中で入手したものを現実に出すことができる。あまりにも重い物は数秒で消えてしまう。
『火地晋』・・・由井薗が使用(劣化)。炎の壁を出す。
『水天需』・・・反地球人亜門が使用。相手の因果を封印する。由井薗も使用(劣化)。
『雷天大壮』・・・レンブラントの絵の因果。夢と現実を入れ替える。
『風天小畜』・・・天花寺が使用。相手の人生ダイジェストを見る。由井薗も使用(劣化)
『沢風大過』・・・太歳が使用。この世全ての凶により即死する。由井薗も使用(劣化)
『水火既済』・・・子涵が使用。ベクトル反射。由井薗も使用(劣化)
『山沢損』・・・古城戸延行が使用。相手を支配する。由井薗も使用(劣化)
驕虫・・・神使。本来は数千匹いるが、石橋が使えるのは5匹だけ。