一章 一 鑑定なんて鑑定士にさせればいいだろうが
過去作「特別国庫管理部」の続編ですが、前作を知らなくても大体わかると思います。
「八卦」という占いに起因する異能を持つ者達によるドラマです。
古城戸冬美の兄、古城戸延行が反地球に行って半年が経過し、三月を迎えた。あれからこちらの地球は平穏な日々を過ごしている。冬美は何も言わないが、相当寂しいだろう。しかしまぁ、死に別れたわけではない。もしかしたら再会することもあるのだろうか。
俺は事務所の席で窓から見える曇り空を眺めながら、新人の児玉都に声をかける。
「児玉、今日は雨降るか?」
児玉は「またか」と露骨に顔をしかめ、俺を犬の糞を見るような目で見た。
「降らないし~! ウチはアレクサじゃないですよ!」
そうか、降らないか。今日は傘を忘れたから良かった。俺は礼も言わずに仕事に戻る。
「由井薗先輩もわかるっしょ~?」
児玉は「私イラついてます」という口調で言う。
児玉の因果は「兌為沢」だ。これは「晴れたり曇ったり」を暗示し、良いことも悪いことも重なっていることを示している。また、口は災いの元であることを示す。
児玉はこの因果を使って「二分の一を百パーセントの精度で見通す」ことができる。いわば簡単な未来視だ。先ほどのような「雨が降るか降らないか」という質問に対し、正しい答えを得ることができる。ただし、雨が降らなくても雪が降ることはあるし、雷が鳴る可能性もある。あくまで質問に対する二分の一がわかる、というものだ。
俺の因果は「風雷益」であり、他人の因果の力を劣化コピーで使えるが、俺が兌為沢を使っても的中率は七十五パーセント程度であり、それなら普通の天気予報と大差ない。(気象庁の発表によると的中率は七十八パーセント~八十五パーセント)
「俺だと劣化するから天気予報と変わらないんだ。アレクサ児玉なら安心安全の百パーセントだからな」
児玉の能力は天気だけでなく、あらゆる二択に有効だ。つまりルーレットをやれば赤か黒かを外すことはない。しかし、競馬のような複数選択肢があるものについては有効ではないようだ。「この馬が勝つか負けるか」という二択にはならないらしい。なぜなら「この馬には勝つが、この馬には負ける」という二択以外の状況があるからだ。
「アレクサ児玉じゃないし!」
「じゃあSiri児玉でもいいよ」
「同じじゃん!」
それを見ていた天花寺が呆れた感じで言う。
「みやちゃん、すっかり由井薗先輩のオモチャにされちゃってるね」
「ゆりちゃん助けて。ウチ、由井薗先輩に遊ばれてるの」
そこに外出からコートに身を包んだ冬美が帰庁してきた。マズい。
「……由井薗君に遊ばれたってどういうことかしら」
児玉は泣きそうな顔で、天花寺は満面の笑みで冬美に振りかえる。マズい。
「由井薗先輩がウチを弄んだんですぅ~」
「オモチャにしたんです!」
児玉はさらに服をめくって肩を露出させる。何故か天花寺も露出する。二人とも完全に悪乗りしている。
冬美は俺を睨みつけた。マズい。
「待て。騙されるな。俺は何もしてないぞ」
「したんですー!」
「ウチを泣かせたんですー!」
こいつらガキかよ。
冬美は一つ息を落とす。大体のことは察したのだろう。物分かりのいい奴で助かる。コートを脱ぎ、グレーのスーツを整えながら呆れたように言う。
「……二人ともそれくらいにしなさい。 由井薗君もすぐ人で遊ぶんだから。それより仕事よ。」
冬美は俺の恋人だが、職場では俺の下の名前である雄太と呼ばずに由井薗と苗字で呼ぶ。そこはTPOというやつだ。俺も冬美のことは職場では古城戸と呼ぶ。
冬美が真面目な顔になったので、新人の二人もおふざけは止めた。
「『東京国立近代美術館』って知ってる? あそこからの依頼なの」
冬美が言うと天花寺が続けた。
「知ってます。竹橋駅の近くにあるんですよね」
「そう。永田町から皇居を挟んで反対側ね。その東京国立近代美術館に、一通の予告状が届いたのよ」
児玉と天花寺は顔を見合わせると声を揃えて言った。
「「予告状!?」」
そう。六月一日から始まるっていう「ナイフ展示会」というものがあるんだけど、その中でも秘蔵の品である『レンブラントのナイフ』が展示される予定でね。それが狙われているらしいのよ」
「そんなにすごいナイフなんですか?」
天花寺が言うと冬美が説明をする。
「レンブラント、というのはオランダのバロック絵画を代表する作家の一人よ。フェルメールとかベラスケスとか聞いたことないかしら?」
「あ、フェルメールって画家は知ってます! 『真珠の耳飾りの少女』で有名な人?」
「そう、そのフェルメールね。このレンブラントって画家は『夜警』とかで有名ね」
俺は冬美の言った『夜警』を手元のパソコンで検索してみると油絵が表示される。確かにどこかで見たことがあるな。
「この画家が使っていたナイフ、ということか?」
俺がそう言うと冬美は頷く。
「そう。このレンブラントって画家が最初に”ペインティングナイフ”を使って油絵を描いたと言われているのよ」
現代の油絵はナイフと筆を使って描くことはもはや常識だが、一六〇〇年代では筆のみで描いていたらしい。このレンブラントという画家がナイフを使いだした、ということなら相当歴史的意義のある品だ。
「ウチ、てっきりすごく切れ味のいいナイフかと思った~お絵かき用のナイフなんやね~」
「ナイフ、というよりは道具ね。でも、現代のペインティングナイフとは少し違いって、レンブラントのナイフは小刀みたいな感じよ」
俺はパソコンでペインティングナイフの画像を検索したが、ナイフというよりは左官が使うセメントを固める道具を小さくしたもののように見えた。
「で、俺たちは何をすればいいんだ?」
「このナイフの真偽を鑑定して欲しいそうよ。もし本物なら展示会の警備を倍増するそうよ」
盗むと予告をされているならレプリカでも展示しておけばいいと思ったが、さすがに国立の美術館で偽物を展示するわけにはいかないらしい。
真偽の鑑定については、児玉の能力が使えるのだろうか。
「予告状を出す目的は何だ? そのナイフがものすごい高額なのか?」
冬美は首を振る。
「確かに歴史的なものではあるけど、本人の絵画のほうがよほど高額ね」
「じゃあ目的は別にあるわけだ」
冬美は小さな顎に手をやって考える。
「そうねぇ。そのナイフが偽物である、と裏が取れていて、予告をすることで私たちに鑑定をさせるつもりなのかしら」
もしナイフが偽物だとしたら国は赤恥をかくことになる。東京国立近代美術館の館長は元文部科学省の官僚だ。
「鑑定なんて鑑定士にさせればいいだろうが」
「アレクサ児玉については政府も知っているからね。確実なほうにお願いしたいでしょうね」
「しょ、所長まで!」
児玉が悲鳴を上げる。
「冗談よ、でもここまではいいかしら?」
冬美が全員を見渡す。俺は頷く。
「あぁ、児玉が『兌為沢』でこれは本物か?」と確認すれば終わりか?」
「そうね。ただ、この話には続きがあって、もし偽物なら本物を用意して欲しいって言ってるのよ」
「本物だと? まさか俺が『雷沢帰妹』で本物を出すのか?」
冬美は頷く。
「いや、無理だろ。古城戸も知ってるだろ、『雷沢帰妹』を使って夢から物を持ち帰るには、対象の物を夢に見て、それを所持する必要がある。本物のレンブラントのナイフを手に入れるなら、レンブラント本人の夢に入るしかない。誰がレンブラントの夢を見るんだよ」
冬美は腕を組んだ。
「前にイエス・キリストの夢に入った時は孟婆の夢から煉獄に行って、そこから天国まで行って侵入したのよね」
「あの時は俺は侵入してないが…今回はそんな手は使えないよな。いくら館長でもレンブラントの夢は見ないだろうし」
「他の因果はどう?」
冬美にそう言われて俺は考え込む。
「可能性があるとしたら『火天大有』でレンブラントの夢を見る可能性を上げるくらいだろうな。山路なら百パーセントにできるだろうが、俺が使っても劣化するからな。無いよりマシ、くらいになりそうだな」
『火天大有』 は山路という男が使っていた確率を操作できる因果だが、現在は八卦を封じられて一般人として暮らしているはずだ。
「ダメ元でやってみるしかないのかしらね」
「レンブラントの夢は諦めて予告状の犯人を捜すほうが早い気がするけどな。どうせ内部犯行じゃないのか?」
「私も内部犯行の可能性はあると思うけどね」
「ほら。なら天花寺が『風天小畜』で見ればわかるぞ。館長の自作自演かもしれん」
天花寺の『風天小畜』は見た相手の人生をビデオのように全て見ることができる。俺が『風天小畜』を使っても劣化するせいで直近一時間しか見られないが、天花寺は生まれてから食べたパンの枚数すらわかるレベルで見ることができるのだ。
「私が見ていいなら見ますけどね。あまり気は進まないですけど」
天花寺の能力はあまりにもプライバシーを侵害するので使用を自粛している。昔は面白がって見ていたが最近はほとんど見ていないらしい。あまりにも危険なので、政府にも天花寺の能力は表向きには「嘘発見能力」、ということになっている。
冬美は小さく頷く。
「覗き見はあまり良くないわね。同意があるならともかく・・・」
そう答えた冬美の表情からは感情が読めない。あまり顔に出るタイプじゃないのだ。
「ま、とりあえず館長と話をするか。どうする?四人で行くか?」
「私と由井薗君と、児玉さんで行きましょう。天花寺さんは、必要になったら呼ぶわ」
児玉は小さく手を上げて「は~い」を返事をする。
「由井薗先輩が帰ってきたらどんな話をしてたか全部見せてもらおっと」
天花寺が聞き捨てならないことを言った。
「おい」
「冗談ですよ」
「嘘をつけ。お前がちょくちょく俺のことを”見て”いるのはわかってるんだよ」
俺は両手を伸ばし、握り拳で天花寺の頭を挟む。ぐりぐりと攻撃する。
「あっ! これヤダ! イダダダダダッ!! ダダァ!」
俺はさらに拳を右に、左にと動かす。
「ギブ! アッ! プウウ! ちょ! 痛い!」
「もうしないか?」
「あい!! じばぜん!! ギャ!」
俺が手を放すと天花寺は両手で頭を押さえて悶絶する。
「もう。遊んでないで行くわよ」
冬美は帰ってきたばかりだというのに、もう出発するらしい。
俺も外出の用意をすることにした。児玉も自分のデスクに戻り準備を始める。