地域の中で成長する薬草園
1680年春のある日
ティネツ村の薬草園は、レオナルドの指揮の下で忙しさを増していました。診療所では患者が順番待ちをし、畑では助手や農夫たちが汗を流して薬草を育てています。新たに整備された畑では、彼がヨーロッパ外から取り寄せた薬草の種が植えられ、その成長が期待されていました。
薬草園の発展
この2年間で薬草園は地域社会にとって欠かせない存在となりました。レオナルドが手掛けた薬は、怪我や病気の治療に実際の効果を上げ、多くの人々がその恩恵を受けています。特に彼の作る塗布薬や煎じ薬は評判が高く、近隣の村々からも患者が訪れるようになりました。
薬草園の一角では、助手の一人が新たな薬草の収穫に挑んでいました。レオナルドはその様子を見守りながら指示を出し、収穫した薬草の保存方法を細かく教えています。
「この植物は湿気に弱いから、乾燥させるときは風通しの良いところに吊るしておくんだ。忘れるとせっかくの薬効が台無しになるぞ。」
助手は熱心に頷きながらメモを取っています。
教会との協力
レオナルドは、地元の教会との良好な関係を維持していました。教会で定期的に開かれる礼拝や地域の祭事に積極的に参加し、医療や薬草学の知識を教会関係者とも共有していました。例えば、教会の司祭が祝福する儀式で使用する薬草について助言をしたり、修道士たちのために特別な薬草の処方を考案したりすることで、地元住民との信頼をさらに深めていきました。
かつての名声と遠巻きの憧れ
また、かつての錬金術師としての名声や、チューリップの品種改良で得た成果は、一部の人々にとって神秘的で憧れの対象となっていました。近隣の若者たちの中には、「一度でいいからレオナルドに教えを請いたい」と夢見る者も現れ始めます。しかし、彼があくまで薬師として誠実に働く姿は、そうした憧れの視線を適度に遠ざけていました。
新たな挑戦
この年、レオナルドは薬草園の拡大を計画していました。地元の農夫をさらに雇い入れ、新たな畑を整備して外来種の薬草栽培を本格的に進める予定です。その準備として、彼は地元の土壌や気候条件を細かく調べ、自らの知識を応用していました。
彼は助手たちを前にしてこう語ります。
「この薬草園は、ただの農地ではない。ここは、人々を癒やし、命を救うための場所だ。私たちが手掛ける薬草一つひとつが、誰かの命を支えていることを忘れてはいけない。」
その言葉に、助手たちも気を引き締めて頷きました。
地域の中での受け入れ
当初、よそ者として警戒されていたレオナルドですが、今ではその誠実な働きぶりと医療技術によって、多くの住民から信頼される存在となっています。礼拝の後、地元の人々が彼に体調の相談をしたり、薬草園で働きたいという若者が訪ねてきたりと、その存在感は地域に深く根付いていきました。




