9、みみっちい意地悪をされるユリアーネ
あれから三か月、ちょっと歩み寄れたと思ったテオドールとの関係は元に戻った。
またまただんまりのお茶会が数回続いたが、今回のお茶会は少し様子が違った。
「嫌がらせを止めてくれないか?」
珍しく遅れてサロンに入ってきたテオドールはソファーに座るなり、ユリアーネを睨んでそう言ったのだ。
「嫌がらせ……ですか?」
きょとんとした顔でユリアーネがテオドールを見るとテオドールははあ……とため息をついた。
「しらばっくれなくてもいいよ。イゾルテ嬢に嫌がらせをしているだろう。まったく……」
「私が? ガルドゥーン様にですか?」
「言っただろう? イゾルテ嬢は秘書だと。僕は毎回君とのお茶会に必ず出席している。忙しいにもかかわらずにだ。だからイゾルテ嬢と一緒に居る時間が君より長くても嫉妬しないでくれ。彼女とは仕事で一緒に居るんだからね」
「ちょ、ちょっと待ってくださいませ。私は嫉妬などしておりませんし、嫌がらせなどしておりませんわ」
(何があったかわからないけれど勝手に人を犯人にしないで欲しいわ。嫉妬なんてする訳ないじゃない!)
ふざけんなよ! と言いたい気持ちを押さえてユリアーネは穏やかに反論する。
(私は淑女ですからね)
「だから、しらばっくれなくてもいいと言っているだろう? 僕を盗られそうで焦る君の気持ちは分かっているつもりだ。嫌がらせを止めてくれればこれまでの事は不問に付すよ」
(私があんたを好きだというその前提条件を何とかしてくれ!)
そう思いながらユリアーネは努めて冷静な声を出す。
「本当に心当たりがございませんの。テオドール殿下は私が何をしたとお思いですか?」
強情だな、とでも言いたげにテオドールは目を瞑って眉間を押さえた。
「イゾルテ嬢のペンを盗んで壊した。ぶつかったふりをしてイゾルテ嬢を噴水に落とした。靴の中に泥を入れた。ドレスにインクを掛けた……どれも君のメイドがしたことだよ。君に指示されて……ね」
(みみっちい!)
ユリアーネは唖然として声も出なかった。
「君は何が望みなんだ? もっと僕にかまって欲しいのか? 僕も忙しいからお茶会の時間を捻出するだけで精一杯なんだよ。それもイゾルテ嬢や僕の側近が頑張ってくれているからここに来れるんだ。ああ、ドレスでも贈ればいいか?」
ユリアーネはすっくと立ちあがった。
「私は何もしておりません。でも信じてくれなくても結構ですわ。それからお忙しそうですからこのお茶会は今後取り止めてくださって結構ですわ。もちろんドレスもいりません。それではこれで失礼いたしますわね、お忙しいようですから」
ユリアーネは静々とサロンを出た、あくまで静々と。
(私は淑女ですから)
後ろでテオドールが何か言っていたけど聞こえなーい。
数日後、ユリアーネのメイドが全員配置換えになった。
十二歳でこの王宮に来て以来、ユリアーネの世話をしてくれていたメイドたちだ。最初はよそよそしかった彼女たちも年月が経てば馴染んでくる。近頃は関係も良好で、ヴァルツァー領から唯一ついて来てくれたマルゴットも最初は隅に追いやられていたが、近頃は彼女たちに教わって王宮の作法を色々と学んでいたのだった。
新しいメイドたちはまたもやよそよそしい……いや、明確な悪意を持ってユリアーネに接していた。
「あっ! 申し訳ありません!」
よろけたふりをして熱いお茶をユリアーネにかけようとしたメイドはその場に平伏した。
「ああ! ユリアーネ様に火傷を負わせるなんて! って……かかってない? あっあっ……あのっ態とではないのです! どうかご容赦を!」
「……かからなかったからもういいわ。ここ、片付けておいてね」
「この食事、冷たいわ」
食事をとりに行ったままなかなか戻らなかったメイドはその場に平伏した。
「も、申し訳ございません。鞭打ちでも何でも罰を受けます」
「……鞭打ちなんてしないわ。冷めても食べられるから熱いお茶を入れてくださる?」
「ちょっと待って」
ドレスを着せようとしていたメイドの手をユリアーネは押さえる。
「ほらここ、針がついているわ。あら、ここも。それにここも」
「ああっ! 気が付きませんでしたわ。どうかどうかご容赦を!」
ドレスを放り投げてメイドが平伏する。
「……次からよく見てちょうだい」
全てがこの調子で凄く疲れる。
(ん? これって私がみみっちい意地悪をされているんじゃないの?)
そうは思ったがわざわざ罰を与えるのもめんどくさい。それに謝り方が一々オーバーだ。このことを告げ口するのも……告げ口って誰に? とユリアーネは考え込んだ。
(テオドール殿下? ないない。信じてもらえないに決まってるわ。えーとメイド長? って誰だっけ?
宰相閣下? げ、ボンキュッボンのお父様だわ。まあもともと告げ口する気も無いしね)
そんなこんなで二か月、ユリアーネはストレスが溜まりまくりだった。
「ユリアーネ様、もうすぐお茶会の時間ですわ。あなたたちもお支度急いでね」
グラッぺ夫人が手をパン! と打ち鳴らした。
何と今日は王妃様からお茶のお誘いがあったらしい。そしてそれをメイドがついさっき、本当についさっき告げたのだ。
「王妃様からのお託をうっかり忘れておりまして申し訳ありません!!」
例のごとく平伏して謝り倒すメイドをグラッぺ夫人が忌々しげに見る。
「とにかく今はお立ちなさい。ユリアーネ様のお支度を急いでちょうだい、それからあなた、このことはメイド長に報告いたしますから」
「はい……」
メイドはしおしおと立ち上がった。が、ユリアーネは気が付いた。彼女が俯きながらニヤッと笑ったのだ。
(ああ、メイド長もグルなのね。じゃあ訴えても無駄ってことね)
「とにかく今は急ぎましょう」
ユリアーネはため息を一つ落として言った。本当にため息をつく回数が多くなった。
(これでいくつ目の幸せを逃したのかしら。早朝の鍛錬が激しくなるばっかりだわ)
毎朝、犬舎の犬たちを激しく構い倒して思いっきり鍛錬をして何とか心の平穏を保っているユリアーネだった。
王妃様がいる東の庭園の東屋を訪れるとそこにもう一人の人物がいることに気が付いた。
「やあだあ、ホントイゾルテちゃんってばお上手なんだからあ」
「いいええ、お世辞じゃありませんわ。王妃様はいつまでもお若くて美しくて。私、お友達ともいつも話しておりますのよ、王妃様の美容法をお教えいただきたいと」
キャラキャラと笑う親子ほども歳の違う二人。
でも王妃様は歳より十歳は若く見え、イゾルテの姉のようにしか見えなかった。
「本日はお招きいただきありがとうございます。ユリアーネ・フェア・ヴァルツァーが参りました」
挨拶をしながらこのお茶会の意味を考える。十二歳の時の顔合わせ以来まったく無関心だった王妃様がここに来て急にユリアーネを呼び出した意味を。
「まあ! ユリアーネちゃんお久しぶりねえ、さあ座って座って!」
王妃様は屈託なくユリアーネに席を勧める。
だけどユリアーネはその言葉使いが王妃として全く威厳がないのではないかと首を傾げた。将来の身内として打ち解けた口調でお話ししてくださったのだろうか。
しかし、王妃様の紅茶を飲む仕草、椅子の座り方、その全てがユリアーネは気になってしまう。顔合わせの時は分からなかった。でもグラッぺ夫人に厳しく指導された今ならわかる。
(私も王宮に来たばかりの時は似たようなもの、いえ、もっとひどかったから人の事は言えないわね)
「ねえユリアーネちゃん、これ食べてみて。イゾルテちゃんが持って来てくれたの! 王都で今一番流行っているんですって!」
王妃様は目を輝かせてケーキを勧めてくる。ユリアーネは一口食べて「とってもおいしゅうございますわ」と微笑んだ。
「それにしても毎日退屈よねえ、夜会もあれ一回きりだし。エドがね、街にも遊びに行っちゃいけないって言うの。せえっかく素敵なネックレスを買ったのに付けて行く場所もないのよー」
頬杖を突きながら王妃様がちょっと口を尖らせて言う。
(エドって誰?)一瞬考えたユリアーネはハタと思い浮かんだ。
(国王陛下だわ! エドヴィン・フラン・シュヴァルツ国王陛下!)
王妃様だから国王陛下の事を愛称で呼ぶのはあり? でも国王陛下と二人っきりの時ならともかく今は違うような気がした。
(って、そうじゃなく呼び方よりも今の話って突っ込みどころ満載よね。前国王陛下が亡くなられてまだ十か月じゃない。それに暇って王妃様は公務とかないのかしら。テオドール殿下はあんなに忙しそうなのに)
「そうですわねえ、王妃様はのお気持ちもわかりますわ。パーッと華やかな事をしたいですわね」
イゾルテの相槌にユリアーネは目を剥いた。
「そうよそうよお。ね、ユリアーネちゃんもそう思うわよね」
王妃様に問いかけられてユリアーネは引きつった笑みを浮かべた。
「あ、そうだわ! 王都がダメならバーセルフェルに出かけましょうよ。きっと今は紅葉が綺麗よ。湖のほとりに王家の別荘もあるしー」
「あの、王妃様、今は時期が悪いと思いますわ」
ついにユリアーネは口に出してしまった。前国王陛下の喪が明ければすぐにテオドールの立太子の式典だ。その準備で忙しくなるはずだ。それにバーセルフェル地方は……
「バーセルフェル地方は先月の大雨で災害が起こったと聞きましたわ。今は復興に忙しいのではないのでしょうか」
復興地の慰問で王妃様が訪れるのならありだと思うけど。
「ウッウッ……酷いわあ!」
ユリアーネが恐る恐る進言するといきなり王妃様は顔を覆って泣き出した。
「え? あの?」
「そうやってユリアーネちゃんも私を馬鹿にするのね! 自分の知識をひけらかして私が何も知らない無能王妃だって馬鹿にするんだわあ!」
(その通り!)と言いそうになってユリアーネは急いで口にチャックした。
だってユリアーネは王宮から一歩も出ない生活を送っている。成人前なので入る情報も少ない。婚姻して王家の人間になったわけでもないので王子妃としての仕事もない。そのユリアーネでさえ知っていることをどうして王妃様が知らないのだろう。
結局、王妃様はいつまでもグズグズと泣き止まずお茶会はなし崩しにお開きとなった。
ユリアーネは言いたかった。
「王妃様はおいくつですか?」と。
次話予告『孤立無援になるユリアーネ』です。