6、決心
最終話です。
目を覚ますと見知らぬ天井が見えた。
孤児院ではありえない豪華な天井に、ベアトリクスは一瞬ファラーの家に帰って来たのかと思ったが、それにしても見覚えのない天井だ。
「ああよかった、目を覚まされましたか? お嬢様」
「セイラ」
ファラー家からついて来てくれた唯一のメイド、セイラの声が聞こえてベアトリクスはホッとする。
「お嬢様は丸一日以上眠っておられたのです、心配いたしましたわ。今スープをお持ちします。それからすぐにお医者様も見えられますから」
セイラに水を手渡されて一息に飲むとベアトリクスは喉が渇いていたことを実感した。冷たい水が喉を滑っていく感触は心地よく、意識がやっとはっきりしてきた。
「セイラ、ここはどこ?」
部屋を出ていこうとするセイラを呼び止めて質問する。
「ここは王宮ですわ、お嬢様」
「王宮……」
セイラが出ていってやっとベアトリクスは気絶する前の事を思い出した。
(ああ、私ったらあのまま気を失っちゃったのね)
優しいアルベルトはベアトリクスを放ってもおけず王宮で保護してくれたのだろう。そろそろと手足を動かしてみる。うん、問題ないわ。熱も無さそうだ。
立ち上がろうとしてふらついた。ポスンとベッドにお尻を付きながらベアトリクスは早く王宮を出ていかなくてはと考える。
そう、ここには居られない、居たくない。あの時は非常時だった、ベアトリクスも必死だった。だからアルベルトの力強い腕に勇気を貰った。でもあの腕を知ってしまった今ではアルベルトを拒絶できる自信がない。
一刻も早く、アルベルトに会う前にここを出なくては。
「お嬢様! 起き上がったりして大丈夫ですか?」
ワゴンを押して部屋に入ってきたセイラが驚いて駆け寄ってくる。
「大丈夫よ、セイラ。あら、いい匂いね」
スープと果物を口にするとベアトリクスは大分身体に力が入るようになった。もう立ち上がってもふらつくことはないだろう。
食べ終わるころに医者が来てあと二日ほど安静に過ごせば問題ないだろうと言う。
なんとか今日中に帰れないかと医者に聞こうとした時、ドアの外が騒がしくなった。
「あっ、殿下、お待ちを!」
制止の声も空しくドアがバンと開かれる。
「トリー! 目を覚ましたと聞いた! 大丈夫か!?」
ズカズカと部屋の中に入ってくるアルベルトにベアトリクスは真っ赤になった。
「あの、恐れながら殿下、お嬢様は夜着でいらっしゃいますので……」
「すまん!」
アルベルトは慌てて後ろを向くが部屋を出ていってくれそうもないのでベアトリクスはガウンを持ってきてもらって急いで体裁を整えた。
「トリー、辛いところはないか? 熱は?」
アルベルトはベアトリクスの支度が整うと直ぐにベッドに近づき先ほどまで医者が座っていた椅子に腰かけた。
そのままベアトリクスの手をぎゅっと握る。
「はははい、どこも異常はございません。ご迷惑をおかけしました。すぐに辞去いたしますので——」
手を握られて首を横に振られてはベアトリクスはそれ以上言い出せない。
だから会わずに去ろうと思ったのに、とベアトリクスは密かにため息をついた。
「すまない、少しの間二人にしてくれないか?」
アルベルトの言葉に部屋の中にいたセイラや、医者、アルベルトについて来ていた従者たちが部屋を出ていく。
(ああ、待って)と情けない目でベアトリクスはそれを見送った。
「トリー、いや、ベアトリクス・エア・ファラー嬢」
手を握られたまま呼びかけられてベアトリクスは目の前の赤髪の美丈夫を見つめる。
「俺は君に惚れている。君を妻にしたい。どうかこの願いを聞き届けてはもらえないか」
制止する間もなく直球で思いを告げられてしまった。嬉しい。涙が出るほど嬉しいストレートな告白をベアトリクスは無かったことにしなければならない。
「アルベルト殿下、今の有難いお言葉は聞かなかった事に致しますわ。どうかそんな軽はずみな事はもう仰いませんように」
声が震えないように注意しながらベアトリクスは慎重に言葉を紡ぐ。こんなことが広まってはアルベルトに傷がついてしまう。
「なあトリー、俺は自惚れることにしたんだ」
そうっと抜こうとしたベアトリクスの手をもう一度しっかり握りながらアルベルトが言う。
「トリーは俺に惚れている。…………違うか?」
握った手をぐいっと引かれて瞳を覗き込まれながらそんなことを聞かれたらベアトリクスは嘘をつけない。正確には見破られないほど上手な嘘をつけない。
「狡いですわ」
それだけ言ってベアトリクスは顔をそむける。
「ではどうして俺を拒絶するのか……前ファラー公爵の所業の所為か」
ベアトリクスは諦めて口を開いた。
「私は罪人の娘です。アルベルト殿下には相応しくありません」
「やっぱり……」
アルベルトはため息をついた。
「俺はそんな事を気にしないし、何なら王族でなくなっても貴族でなくなっても気にしない。……と言ってもトリーは気にするんだろうな」
「あ、当たり前ですわ! アルベルト殿下はこの国に無くてはならない御方です。テオドール陛下も頼りになされていると聞きました。たった二人の王族ではありませんか。私如きの為にそんなことはさせられません」
ベアトリクスがむきになっていい返すがアルベルトは穏やかにそれを受け止める。
「二人じゃない。この春にヘレーネ嬢と、おっとヘレーネ王妃と結婚されただろう。そのうちに王族は三人にも四人にも増えるだろう。それにな、あの事件から一年半、それぞれの処分は済んでいる」
「まだたったの一年半ですわ。それに……」
ベアトリクスは俯きながら続ける。涙が溜まったこの瞳をアルベルトには見られたくない。
「本来なら父の犯した罪は家名の断絶、親族もろともの処刑。それほどの罪だと存じております。五人の魔導士の末裔、土の魔術の伝承者、それゆえに私は生かしていただけたのです。ですから私はこれからは生かしていただいた恩を人々に返しながら生きていこうと……そう思っておりました」
「そうか、では俺は生涯かけてそれを手伝おう」
「どうして!」
思わず顔を上げたベアトリクスの目じりに溜まった雫を片手で拭いながらアルベルトが微笑む。
「許されるわけがありません! あんな大罪を犯した父の娘が王族で誰からも信頼の厚いアルベルト殿下と結婚するなんて! アルベルト殿下が我を押し通せば殿下の評判に傷がつきます。ですからこの話は無かったことに……」
アルベルトは拭っても拭っても溢れてくる雫を吸い取ってあげたい衝動と戦いながら(トリーに変態だと思われたくない。いや、べつに恋人同士なら普通の感情だとは思うが……違うか? そうだよな)パッと立ち上がった。
「え?」
立ち上がるとシーツでベアトリクスを包んでそのまま横抱きに抱き上げる。
「え? え? あの?」
横抱きに抱き上げながらアルベルトはズンズンと歩き出した。
「アルベルト殿下! どちらへ?」
「アルベルト殿下、何をなされるおつもりですか?」
「アアアルベルト殿下、お嬢様をお下ろし下さいー!」
後ろに従者やメイドを引き連れながらアルベルトがやって来たのは王宮の東大門だ。
今は美しく装飾された真鍮の門扉は閉じられ、前に衛兵が立っている。
その東大門の外には多くの王都民があふれていた。
「え? アルベルト殿下、あの方たちは? やはりどこかで被害が? どうして王宮に入れてあげないのですか? 避難されてきた方たちですよね」
なんとかアルベルトに下ろしてもらおうとジタバタと奮闘していたベアトリクスは必死に王都民を止めている衛兵を見て驚きの声を上げた。
その東大門の真ん前に仁王立ちしアルベルトは大声を張り上げた。
「王都を水害から守った土の女神は先ほど無事に目を覚ました!! もう心配はいらない、各々家に帰って豪雨の後始末に専念するがいい!」
「おお――!!」
東大門の向こうからどよめきが上がりベアトリクスはびっくりした。
「金色の女神様ー! 身体にいいという薬草を持ってきました受け取って下せえー!」
「俺の店は流されないで済んだんだ、これは俺の店のパンだ。食べて下せえ!」
もう一度アルベルトが大声を張り上げる。
「女神の名前はベアトリクス! ベアトリクス・エア・ファラーだ! ベアトリクスに届けたい物がある者は衛兵に預けてくれ! 俺が責任もって渡そう!」
「ベアトリクス様ー! ウチの野菜を食べて元気になってくれー!」
「あたしは何にもあげられるもんはないけどベアトリクス様に感謝してるんだ。子供たちが寝る場所が無くならなくて良かったー! ありがとうございますー!」
「トリー、彼等の声援に手を上げて答えてあげてくれ」
アルベルトが囁くとベアトリクスは頷いた。
「アルベルト殿下、私を下ろしていただけませんか」
今度は素直にアルベルトはベアトリクスを下ろした。
ベアトリクスは門の外の民衆に向かって深々と頭を下げた。
今度はあふれる涙を拭ってくれる手はベアトリクスの後ろで黙って見守っている。
零れ落ちた涙が王宮の石畳を濡らしたけれど久方ぶりの夏の日差しが綺麗に拭い去ってくれた。
「アルベルト殿下無茶ですわ、お嬢様は先ほど意識を取り戻したばかりですのに」
もう一度横抱きにされて部屋に戻ったベアトリクスだったが驚きの連続だったせいか少々発熱してしまった。
という訳でアルベルトはセイラにジト目で睨まれている。
本来ならメイド風情がとても気安く口を聞ける身分ではないのだが、そこは何度も孤児院に通ったアルベルトなのでセイラとも顔なじみなのだ。
「すまない、辛いか? トリー」
シュンとしてアルベルトが訊ねるのでベアトリクスはおかしくなった。なんか感覚が少し麻痺しているのかもしれない。先ほどまでの辛い気持ちは霧散していた。
「いいえ、大丈夫ですわ」
「ではもう少し話せるか?」
アルベルトの言葉に頷く。
「トリー、ファラー公爵は君が言う通り大罪を犯した。彼はあの夜会で貴族たちに恐怖を植え付けたかもしれない。でも君は今回の豪雨で王都の人々に希望を植え付けたんだ」
そう言ってもらえることは本当に嬉しい。ベアトリクスがおぼろげながら考えていたこと、それはせっかく習った土の魔術を使って人々の役に立ちたいという事。
「君はこれからも人々の為に君の魔術を使っていきたいんだろう?」
ズバリ、アルベルトに言い当てられてベアトリクスは息を呑む。
「俺はそんな君を一生守っていきたい。なあ、今回みたいな水害からの復興や、難航している道路の建設、未開地の開墾など、俺と結婚して王族になった方が出来ることが広がると思わないか?」
「…………狡いですわ」
確かにそうなのだ。一民間人や貴族令嬢だとしてもいけるところは限られてしまう。今回の事だってアルベルトが支えてくれて騎士団の情報を教えてくれたから的確に決壊しそうな場所を補強することが出来たのだ。
「俺と結婚してくれるね、トリー」
(ああ、もう、いいのかしら、幸せになるなんて罰が当たらないかしら?)
迷いながら頷くと、ベアトリクスが何か言う前にセイラの「おめ゛でどうござい゛ま゛ずう」という鼻の詰まったような声が聞こえた。
ハッとしてベアトリクスは辺りを見回す。
さっきみたいに人払いがされていない今は部屋に沢山の人がいた。
セイラは顔をくしゃくしゃにして鼻をかんでいるし、アルベルトの従者の人達はニコニコと微笑んでいた。
部屋の隅の護衛の騎士たちが小さな声で「アル元団長万歳!」と言っているのまで聞こえてしまった。
ベアトリクスの顔が真っ赤に染まるとアルベルトはまたベアトリクスをシーツでくるんだ。
「あの?」
「さあ、早速テオドール陛下に許可を貰いに行こう!」
ベアトリクスを抱き上げようとするアルベルトを今度は室内の全員で止めた。ベアトリクスは発熱しているのだ。それにこんな大事な話をいきなり行って話す訳にはいかない。
後日場を設け、体調が回復したベアトリクスはアルベルトと一緒にテオドールに拝謁した。
罪人であるファラー公爵の娘だという事で難色を示されると覚悟していたベアトリクスだったのだが——
「ベアトリクス嬢、叔父上の事をよろしく頼む。君がいてくれれば叔父上は王族としてずっと残ってくれるそうだ。君のやろうとしていることも王家として大変助かることだ、僕は君を歓迎しよう」
テオドールの横でヘレーネが嬉しそうに手を叩く。
「ベアトリクス様が王族になってくださるなんて嬉しいですわ。仲良くしてくださいね」
はっきり聞こえる声でヘレーネが言うとその後ろに控えた護衛騎士のユリアーネがニッと笑ってベアトリクスに見える角度で親指を立てた。
宰相は涙を流さんばかりに感謝して「やっとアルベルト殿下が結婚する気になってくださった」とベアトリクスの両手を掴んでぶんぶんと振った。
数年後、
王国の東の地で山崩れが起こったと聞いてアルベルトとベアトリクスは最小限の供の者を連れその地を訪れていた。
災害が起こるのを止めることは出来ないが、二次被害が起こらないように尽力したり、いち早い被害者の救済にあたることは出来る。
王国中を飛び回って尽力するベアトリクスと常にそれを全力で支えるアルベルト。
当初は貴族からの反発が大きかったベアトリクスの結婚だが、アルベルトは宣言通りベアトリクスを守り抜いた。そしてベアトリクスは平民からの支持が高い。
領地の災害援助に駆け付けてもらったりして貴族の反発もかなり無くなって来た昨今である。
「ふう、死者が出なくて良かったわ」
ベアトリクスが額の汗を拭うとアルベルトは頭をポンポンと叩く。
「今回も頑張ったな、トリー」
「あなたのおかげよ、アル」
先ほど救出された怪我人は既に運ばれて行った。辺りの騎士や村人にも安堵の表情が広がっている。
「あら、朝焼けよ」
夜通しの作業を可能にしたのはアルベルトの炎の魔術ゆえだ。
山の上が藍からオレンジに徐々に変化し、やがて一条の光が差す。
ベアトリクスは数年前の王都の水害の際の朝焼けを思い出した。初めて自分の魔術が人の役に立ったと実感できたあの時。
あれが魔力無しと言われて育ってきたベアトリクスの朝焼けだった。
「さあ、帰ろうトリー」
「ええ、子供たちが待っているわね、アル」
————(おしまい)————
最後までお付き合いいただいてありがとうございました!
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