1、変化
「ふう……」
椅子に座ったアルベルトは息を吐いた。
「さすがに疲れるな」
クスクスと笑い声が聞こえてアルベルトの前にそっと紅茶が置かれた。
「ベアトリクス嬢ありがとう。子供たちの無尽蔵の体力についていけなくてな、さすがに歳だ」
「まあ、殿下はお若いですわ」
「いやいや三十も半ばを過ぎるとな、持久力が無くなる。それとも鍛錬不足かな」
騎士団の任を離れて久しい。最近は書類仕事や会議ばかりで鍛錬不足は否めなかった。それともう一つ……
「殿下が鍛錬不足なら子供たちを二人も三人も腕にぶら下げて振り回したりできませんわ。あの子たちすっかり味を占めてしまってすみません」
「いやいいんだ、俺も楽しいからな、気分転換になるし」
「そうですわね、殿下は他の事でお疲れのように見えましたわ」
ベアトリクスの言葉に憮然となる。
そうなのだ、アルベルトは最近業務の合間に頻繁に入れられるあることで疲れ切っていた。
ある事とは令嬢とのお茶会である。お見合いともいう。
王都にある孤児院の一室、夏の盛りを過ぎて涼しい風が吹き始めた孤児院の小さな庭を子供たちが駆けまわっている。先ほどまでアルベルトは子供たちの相手をして、剣術を教えたり小さな子を肩車したり腕にぶらさげて遊んでやっていたのだった。
「ベアトリクス嬢も一緒にお茶を飲まないか」
「ありがとうございます、失礼しますわ」
ベアトリクスが一気に飲み干してしまったアルベルトの紅茶のお代わりと自分の分を用意してアルベルトの対面に腰掛ける。
二人は窓から見える子供たちを眺めながらポツポツと世間話をした。
テオドールの婚約も決まり即位の儀も滞りなく終えた。
次はアルベルトの結婚だ、とばかりに宰相が張り切っている。
アルベルトとしてはテオドールの子供が生まれれば再び臣籍降下するつもりなので結婚しなくてもいいと思っている。というか、自分は結婚に向いてないのではないかと近頃は思い始めている。
十代、二十代を異国の地で過ごした。他国の王族である身分を隠し平民として生活していたアルベルトは恋愛に慎重だった。
ほのかに恋情を抱いた女性もいなくはなかったが、平民として生活しているアルベルトの周囲にいるのは平民の女性ばかりだ。ただの恋愛ならともかく結婚となると本国の父に連絡しなくてはならない。それが億劫だった。母のように慣れない貴族生活を強いて挙句に命を落とさせるようなことはしたくなかった。
異国に居てもアルベルトは母の実家で高位貴族にも劣らない教育を受けさせてもらっていた。母の実家のあり余る財力と、父である当時の国王がその国の王に頼んでくれていたおかげだ。もちろん見返りにその国からの輸入品の関税を他の国の三分の一にするなど外交上の便宜を図っている。
当時の国王からすればアルベルトをそんなに長く他国に預けるつもりは無かったのだろう。エドヴィンがフリーデリーケと順当に結婚すれば王位を譲ってもいいと考えていたのだ。
しかしエドヴィンはソフィーに現を抜かし、あの婚約破棄が起こった。
その当時、父の国王陛下から再三の帰国要請があったがアルベルトは全て突っぱねていた。まだアルベルトも幼かったのだ。
国王陛下はエドヴィンを廃嫡する訳にはいかず、かといって王位を譲る気にもなれず、兄上が王位に着くまで帰国しないと宣言したアルベルトは中途半端なまま異国の地で暮らしてきたのである。
そんなアルベルトが三十も近くなって盲目的な恋をした。身分も背景も関係なかった、しかしそれは作られたものだった。まやかしの恋情だったのだ。
なんとか立ち直ってこの国に帰国した。帰国したばかりの頃は新たな総騎士団長という地位に慣れるのに必死だった。総騎士団長という仕事はアルベルトの性に合った。騎士たちとの飾らない交流は楽しかった。
そうしてアルベルトはゴリアスという少年に出会った。
お茶会で対面する令嬢はアルベルトよりはるかに年下の令嬢である。それはそうだ、三十代半ばのアルベルトに釣り合う年齢の令嬢などとっくに夫人になっている。下手したら令嬢の母親の方がアルベルトに釣り合う年齢だ。
そんな令嬢との一対一のお茶会はアルベルトを物凄く疲弊させた。とにかく何をしゃべっていいかわからん! なのである。
ゴリアス、いやユリアーネも同じような年齢ではあるがアルベルトは彼女に対しては気負うところが全くなかった。それは出会いから少年だと思い従者として接していたからなのか、ユリアーネの資質なのか。
アルベルトはユリアーネに癒され、ユリアーネに惹かれた。ユリアーネと過ごす時間は心地よく、こんな時間がずっと続けばいいと願った。
しかし最後までアルベルトは己の心を伝えることもなく玉砕したのだ。恋愛に関して臆病で不器用なアルベルトらしく。
まともに恋愛をすることもなくこの歳になって今更若者のように己の本心をさらけ出すことは気恥ずかしい。相手を真摯に恋願うことも理性や大人の分別とやらが邪魔をする。
一生一人でもテオドールを支え、王国を支え、そして時折酒を酌み交わす友がいれば十分なのではないかと思うアルベルトだった。
宰相はそれを許してくれそうに無いが。
「カイは随分落ち着いて来たな」
「ええ、小さい子の面倒もよく見てくれますわ。最近、家具職人さんの仕事場に出入りさせてもらっているのですよ」
ベアトリクスが穏やかに微笑みながら言う。
その髪が初秋の日に照らされてきらりと光った。
「ベアトリクス嬢、失礼だが髪の色が少し変わったのではないか?」
まじまじとベアトリクスを見つめアルベルトが言った。
「そうでしょうか……自分では毎日見ているので逆に気づかないのですけど」
ベアトリクスは自らの髪をひと房手に取り日に透かして見る。
「最近偶に言われるのです。少し色が薄くなったようだと」
やはり、とアルベルトは思った。以前のベアトリクスの髪は漆黒と言っていいほど黒かったような気がしたのだ。
「髪の色が変わることなんてあるのでしょうか?」
その質問はアルベルトもわからなかった。加齢により白髪になることはあるがベアトリクスはもちろんそんな年齢ではない。第一今のベアトリクスの髪はダークブラウンのような色だ。
その結論は出ないままアルベルトは「また来るよ」と孤児院を後にした。
その一月後、アルベルトが久しぶりに孤児院を訪れるとベアトリクスの髪色はまた変わっていた。
「ベアトリクス嬢、その髪は……?」
「はい、日に日に色が薄くなりましたの」
困ったような顔でベアトリクスが言う。今の髪色は金茶というべきだろうか、もうベアトリクスの髪を黒髪だという人はいないだろう。
「何か他に体調の変化とかは?」
アルベルトが心配げに訊ねるがベアトリクスは首を横に振った。
ひとまず安心するが、髪色が変化した理由はわからない。しかしアルベルトはあることに思い当たった。
「もしかして金髪になるのではないか?」
ファラー公爵は見事な金髪だった。ファラー公爵家は代々金髪の家系だ。それは土の魔力に密接に関係があるらしい。しかしベアトリクスは夫人と同じ漆黒の髪色で魔力が無いという事だった。
五人の魔導士の子孫はその魔力を持った子供が生まれることが多い。魔力持ち同士の婚姻では父親の魔力を引き継ぐことが多いが、ごく偶に母親の魔力を引き継ぐことも、母が魔力無しの場合は魔力無しの子供が生まれることもあった。
「まさか……ありえませんわ」
ベアトリクスは否定するがまさに今そのありえないことが起ころうとしているとアルベルトは感じた。
「魔力は? 魔力を感じることはないか?」
その問いにベアトリクスは首を横に振る。
「わかりません、私にはどういうものが魔力なのか判断がつかないのです」
黒髪で生まれたベアトリクスは魔力無しと判断された。だから魔術に関して父であるファラー公爵に教えられたことはない。五人の魔導士の子孫からしか魔力持ちが生まれることの無いこの国ではそれぞれの魔術を教えることが出来るのは当主だけである。縁者の家に魔力持ちが生まれた場合も教えるのは王家を含めた五家の当主だ。
だからファラー公爵はベアトリクスに早々に見切りをつけ、自らが教えた親戚筋の子供の中で一番優秀な者をファラー公爵家の養子にするつもりだと思っていた。
ファラー公爵が妹の為にあのような事件を引き起こした今は本当にそうだったのかベアトリクスは分からなくなっている。あのような事件を引き起こせば公爵家だとて家の存続は危うい。父はもしかしたら三大公爵家も王家も何もかもを壊したかったのではないかと考える時がある。
フリーデリーケの事だけでなく五人の魔導士の子孫に生まれた自分、魔力を有するがゆえにこの国やファラー公爵家という特別な鎖に縛られた自分を壊したかったのではないかと。
本当のところはわからない。父はもう何も答えてくれない。
関心がなかったはずの娘をどうして庇ったのかも。
「君さえよければある筋に相談しても良いか?」
アルベルトの提案には了承した。
自分のこの変化が何なのか知りたかった。本当に、今更魔力があるなんてことがあるだろうか。
「本当に今更……よね」
アルベルトが帰った後、ベアトリクスは一人呟いた。
それから更に二か月、冬の真っ盛りに鼻の頭を真っ赤にして孤児院を訪ねてきたアルベルトは一通の手紙を持っていた。
「アルベルト殿下寒い中、わざわざ訪ねてくださってありがとうございます。子供たちも大層喜んでおりますわ」
毛糸の手袋やマフラーを子供たちの人数分持ってきてくれたアルベルトにベアトリクスは謝辞を述べ温かい紅茶をそっと置いた。ブランデーを少したらしてある。アルベルトには物足りないかもしれないが、孤児院には酒類はほとんどない。これは先日訪ねてきた義弟が、寒くて眠れない夜に少しでも温まるようにと置いていってくれたものだ。
ファラー公爵家改めファラー侯爵家の養子に入ったのはベアトリクスの又従兄妹のローラントという十七歳の青年だ。元は伯爵家の三男で今年成人したばかりではあるが穏やかで周りに気を配ることのできる好青年である。家を出たベアトリクスの事も気にかけてくれていて偶に訪ねてきてくれるのだ。
「ああありがとう、これは温まるな、紅茶は抜きでもいいが」
「すみません少ししか無くて、私が寝酒で飲んでしまいましたの」
ベアトリクスが謝るとアルベルトは大仰に手を振った。
「いや、冗談だから気にしないでくれ」
「ふふっ、私も冗談ですわ」
アルベルトはびっくりして「ベアトリクス嬢も冗談を言うんだな」と呟いた後に手紙を差し出した。
「君の事を俺が育った国に相談したんだ。そこに書いてある通り、後天的に魔力が顕現する事例は少ないがあるそうだ。後天的にと言っても本当は魔力があるのだが、何かの理由でそれがせき止められていた、という事らしい。彼の国の研究では魔力は通常では常に身体の中を巡っているそうだ。その魔力が髪にもいきわたると魔力特有の色に髪色が変化するらしい。炎の魔力なら赤に、土の魔力なら金に、というようにな。彼の国ではほとんどが子供の頃に発覚するために適切な治療がなされてせき止められていた魔力がちゃんと流れるようになるという事だ」
「せき止められていた、という事は私にも元から魔力があったという事でしょうか?」
不安げなベアトリクスを励ますようにアルベルトは力強く頷いた。
「ああ、専門家に診てもらわなければならないが俺はそうだと思っている。それでな、彼の国から専門家を呼ぼうと思っているのだが」
アルベルトの提案にベアトリクスは狼狽えた。
「いえ、私如きにそこまでしていただくわけには……」
「俺がしたいんだ、俺の頼みを聞いてくれるか?」
アルベルトの頼みと言われれば断るわけにはいかない。それでもベアトリクスは躊躇った。
「アルベルト殿下、ご厚意はとてもありがたいのですが、たとえ今更私に魔力があったとわかったところでファラーの家はもうすでに義弟のローラントが継いでおります。それに父亡き今は魔術を学べる環境でもありません。どうか私の事はこれ以上お気になさらないでくださいませ」
アルベルトはベアトリクスの言葉を了承しなかった。だが、気を悪くした様子もなく慈しむようにベアトリクスを見た。
「ベアトリクス嬢、君はまだ若い。もう少し自分の可能性を試してみないか?」
「可能性、ですか?」
「ああ。専門家というのは俺の友人でな、土の魔導士なんだ。君に土の魔力があれば土の魔術を教えることもできる。そのうえでこれからの事を考えても良いのではないか?」
ベアトリクスはもう二十二歳、貴族令嬢としては完全な行き遅れである。それでもアルベルトはベアトリクスの事をまだ若いという。
「私はもう若くありませんわ」
「俺に比べれば十分に若い。そんな君が一生ここで過ごすのは勿体ないと思う。もちろん君がここで子供たちの世話をするのが生き甲斐だというのならそれでいいのだが」
そう言われてベアトリクスは自分が何をしたいのかを考える、このままここで子供たちの面倒を見て一生を終える? 会った事は無いが叔母のフリーデリーケのように。
それは自分のやりたい事と違うような気がした。かといって何がしたいのかはわからない。公爵家の一人娘として生まれてファラー公爵家を守り生きていくのだと思った。でも魔力無しのベアトリクスに父が期待をしていないのを知った。それでも公爵家の娘としての矜持を捨てきれずせめて魔術以外では完璧であろうと努力した。
そして亡くなった婚約者に会ってからはそれらが全て吹き飛んだ。彼の笑った顔、照れた顔、拗ねた顔、その全てがベアトリクスの生きていく糧になった。
そして今……ベアトリクスは何を糧に生きていけばいいかがわからない。彼が亡くなったことはゆっくりとゆっくりと胸の中に沈んでいき、やっと胸の底の方にストンと落ち着いた。あれからも様々な事があり、皮肉にも父が亡くなった今、ベアトリクスに変化がありどうやら魔力があるらしい。
本当に今更なのだ。……だけど、
何かが変わるかもしれない。
そんな予感がベアトリクスに芽生えた。生きる目標を失った自分に新たな何かがやってくるのかも。
「その……期待はずれかもしれませんが魔術の専門家という方にお会いしてみたく存じます」
ベアトリクスがそう言うとアルベルトは「そうか、それは良かった」と相好を崩した。




