61、騎士として出勤するユリアーネ
最終話です。
「陛下……しお時間……ても……ですか」
執務を続けるテオドールの前に影が差し、顔を上げるとヘレーネが立っていた。
ヘレーネの声は相変わらず小さいがテオドールは何と言ったかわかるようになってきていた。彼女は「陛下、少しお時間を頂いてもいいですか」と言ったのだ。
「ああ構わないよ。丁度休憩したいと思っていたんだ」
テオドールは書類を置いて立ち上がる。
ユリアーネに失恋しても執務は待ってくれない。正直何も手に着かない気分だったが、茫然と談話室に暫く座り、侍従に促されて執務室に戻るとテオドールは書類を手に取っていた。書類を吟味し、部下に指示を与える。夕刻から会議に出席する。
僕には失恋の余韻に浸る時間もないのかと苦笑した。
ユリアーネには騎士団入団の許可を出した。近衛になるまでにはまだしばらく時間がかかるだろうが、この先もユリアーネは近くにいることになる。それは苦しい事なのか嬉しい事なのか。恋心を別にすれば最も信頼できる者に身を守ってもらえるのは安心できる。
執務は滞りなく進んでいるが、お妃選びの方はまったく順調ではない。テオドールはユリアーネに失恋したばかり、他の女性など全く目に入らない。それなのにお妃選びの期限は迫っている。先日宰相に言われた。
「陛下がお決めになれないのであれば私の方から何人か内々に打診をさせていただきます」
よろしく頼む、とテオドールは返しておいた。正直ユリアーネでないなら誰でも同じという気持ちだった。ほとんどの高位貴族の令嬢は既に婚約者持ちだ。残っているのは何か瑕疵がある令嬢か、まだ幼い令嬢。しかしお世継ぎを一刻も早くと望まれている状況ではあまり歳が若い令嬢は候補から外されるだろう。
執務室の隣りの応接スペースにヘレーネを誘導しようとしたが、ヘレーネは「庭園を……ませんか」と言った。
本宮の南にある庭園をヘレーネと歩く。
初めての経験だった。イゾルテは庭園の散歩にテオドールをよく誘ったし、ユリアーネとも散歩したことがある。そう言えはユリアーネは花の名前なんかまったく覚えていなかったな、テオドールはクスリとした。
「…………した」
ヘレーネに話しかけられてテオドールは意識を隣の女性に引き戻した。
「すまないヘレーネ嬢、もう少し大きな声で話してもらえると助かるんだが」
ヘレーネは慌てた顔をしてから息を吸い込むとはっきりした口調で言いなおした。
「昨日、テオドール陛下との婚約の打診をいただきました」
「ああ、そうか……」
盲点だった。ヘレーネはずっとハンネスの婚約者だと思って接していたから。考えてみれば当たり前なのだ。ハンネスとの婚約は当然解消されている。ヘレーネに瑕疵はない。侯爵家以上の令嬢で婚約者がいないのはヘレーネとイゾルテ、ベアトリクスの三人しかいないのだ。罪人の娘となってしまったイゾルテ、ベアトリクスではなくヘレーネが選ばれるのは当然のことだろう。それにヘレーネはテオドールの秘書として有能であることが既に証明されている。
「その、すまない、ヘレーネ嬢に迷惑をかけた」
「いいえ陛下、私このお話をお受けしようと思っています」
ヘレーネの言葉にテオドールはびっくりした。本来、王家からの申し込みは断れないが、今回は王家からでなく、宰相から内々の打診があったそうだ。ケーニヒ侯爵に強要されたのだろうか。
「違いますわ。ハンネス様との婚約を結んだのは父でした。そのことで傷ついた私を見ているので父は私の気持ち次第だと申しました」
「では何故?」
ヘレーネはテオドールの近くに居ただけにテオドールの気持ちが誰にあるのかを知っている。権力欲はヘレーネに無縁のものだ。
「そうですね……陛下なら支え合っていけると思ったからじゃないでしょうか」
ヘレーネは考えながら話す。
「私も侯爵家の娘なのでいずれ政略でどなたかに嫁ぐことになるでしょう、それならこの一年一緒に働かせていただいた陛下がいいと思いましたのが一つ。不遜な言い方ですけれど」
ふふっと笑ってヘレーネは続けた。
「陛下のお近くで働かせていただいておりましたので、陛下の誠実さも勤勉さもよく存じております。陛下は信頼に足るお方ですわ。それから……」
ヘレーネはあるものを取り出した。
そのペンダントには何かの文字が刻んである。
「私、ユリアーネ様が大好きですの。普段はユリアーネお姉様とお呼びしているのです。これはユリアーネお姉様のファンクラブの会員の証ですわ」
テオドールは面食らった。ファンクラブとは何だ?
「陛下と私、ユリアーネお姉様が大好きな者同士寄り添える部分があるかと思いますの」
「そうか……」
テオドールはヘレーネの言葉を噛み締めた。
今はヘレーネに愛情や恋情を感じているわけではない。ヘレーネの方もそうだろう。でもヘレーネは同志として寄り添っていけるのではないかと言ったのだ。
高位貴族の政略結婚としてそれは重要な事ではないかと思った。
「ヘレーネ嬢、僕からも求婚させてくれ」
テオドールは立ち止まり、ヘレーネの前に膝をついた。
丁度満開の薔薇園の薔薇のアーチの下でテオドールは真っ赤な薔薇を一本手折りヘレーネに差し出した。
「ヘレーネ嬢、結婚する以上僕は貴方に常に真摯に向き合うことを約束する。これからあなたのことを少しずつでも教えてもらいたい。燃え上がるような恋にはならないかもしれない。でも僕は貴方と穏やかな愛情と信頼を育てていけるように尽力することを約束する」
ヘレーネはその薔薇を受け取って微笑んだ。
「はい、私も同じことを陛下にお約束いたします」
ヘレーネは昔、ユリアーネに語ったことを思いだした。
『ダメダメ、ダメです。私はとても国母になるような度胸はありません』
『私はそこそこのお家で旦那様と仲良く暮らせればよいのです』
運命なんてわからないものね、とヘレーネは思った。後悔はない。この先も後悔しないように努力していこうと。
半年が過ぎた。
テオドールの即位の儀は見事だった。
若いながらも堂々とした落ち着きある態度で儀式に望んだテオドールを皆は絶賛した。即位の儀まで三か月、その仕事ぶりの評価も高い。
横に寄り添うヘレーネは愛らしく二人は仲睦まじく見えた。
一年後とされていた市民へのお披露目はテオドールの婚約者が決まった為もあり、即位の儀の後すぐに行われた。
神のごとき麗しい美貌の新国王とそれに寄り添う愛らしい令嬢に平民たちの興奮は最高潮に達し、国王と未来の王妃の絵姿は飛ぶように売れたそうである。
ディルクは王宮警備に駆り出されていたが、ユリアーネはヴァルツァー辺境伯令嬢として父と一緒に祝典に出席して惜しみない拍手を二人に贈った。
その後も様々な事があり、新人研修を終え、今日は晴れてユリアーネが白の騎士としての初めての出勤日である。
ユリアーネが騎士団に入団したときはちょっとした騒動だった。
女だてらに、という声は驚くほど聞こえてこなかった。騎士たちはユリアーネの強さを良く知っている。それに陰口なんか叩いたらディルクにどんな報復をされることか。挨拶に行った時、ドミニクは多少目が泳いでいた。
ユリアーネのファンクラブ会員は熱狂して毎日団舎の入り口で出待ちをされる事態だった。現在はファンクラブの上層部によって規制されている。
ユリアーネとディルクは結婚して既にユリアーネはユリアーネ・アルトマン子爵夫人でもある。
結婚自体は簡単に書類にサインをしただけだ。
ああ、黒の騎士団の面々に煮込み料理と骨付き肉の炙り焼きが自慢の店でお祝いをしてもらった。その席になぜマルゴットとアルベルトがいたのかはわからない。アルベルトは騎士たちにしきりに肩を叩かれていた。
結婚式とお披露目は二か月後に長期休暇を取ってヴァルツァー辺境伯領に帰り、そこで行うことになっている。辺境伯夫人が嬉々として準備を進めているらしい。
結婚はしたが住んでいるところは変わらない。
せっかく購入した元グラッツェル侯爵邸をヴァルツァー辺境伯はユリアーネ達の新居にとポンとプレゼントした。正直、子爵風情には過ぎた屋敷ではあるが、ユリアーネは王都でのヴァルツァー辺境伯代理人という権限を賜った。それにヴァルツァー辺境伯一家が王都に出て来た時の滞在場所にもなるからと説得されて有難く受け取ったのだった。
伸びてきた髪を高い位置で一つに縛り、純白の上着に袖を通す。
「ユリアーネ、支度できたか?」
こちらは漆黒の騎士服に身を包んだ夫のディルクが声を掛けてきた。
「うん、ばっちりよ」
二頭の馬に颯爽と跨る。
「「行ってらっしゃいませ」」
フォルカーやマルゴット、他の使用人に見送られて愛するディルクと共にお屋敷を出発する。
「いってきます!」
ユリアーネは元気に手を振った。
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