59、恋について考えるユリアーネ
お屋敷に帰りドレスを脱いでユリアーネは楽な格好に着替える。
このお屋敷の使用人はもうゴリアスがユリアーネだったことを承知している。夜会出席後はユリアーネとしてドレスを着ることも多いためマルゴットのほかに専属のメイドも二人増えた。
しかし必要のない時はユリアーネは男装で過ごすことが多い。孤児院やスラムもゴリアスの時とあまり変わらない服装で出かけた。髪色は銀髪のままだ。最初はユリアーネの姿に目を丸くした人々も徐々に慣れてきている。
着替えをしている時にマルゴットの首に見慣れない紐がかかっているのを見てユリアーネは質問した。
「マルゴット、それなあに?」
よくぞ聞いてくれましたとばかりにマルゴットはその紐をズルズルと引くと胸元からメダルの様なものが現れた。
「これ、『月光の髪の戦乙女、ユリアーネ様ファンクラブ』の会員証です。私は平民会員番号一番です」
二ッと笑って親指を立てるマルゴットに脱力した。それにヘレーネは言わなかったがユリアーネのファンクラブにそんな恥ずかしい名前がついているとは知らなかった。
他の二人のメイドが羨ましがってキャーキャー騒ぐのを尻目にユリアーネはこそこそと部屋を出た。
本人がここに居るというのにあれは何なんだろう。理解できないユリアーネだった。
夕刻になり、ヴァルツァー辺境伯とアルベルトが王宮から帰って来た。
近いうちにアルベルトは王宮に引っ越し、ヴァルツァー辺境伯は領地に帰る。ヴァルツァー辺境伯家のタウンハウスになったこのお屋敷にはユリアーネだけが残ることになる。
もちろんマルゴットをはじめ使用人はいるし、フォルカーが来てくれる。ヴァルツァー辺境伯領から夫人やクリストフも遊びに来るそうだ。それでも少し寂しくなるなとセンチメンタルな気分でユリアーネが夕食後部屋に戻ろうとするとアルベルトに呼び止められた。
「ユリアーネ嬢、少し話さないか」
食堂からサロンに移動してソファーに落ち着く。
ユリアーネはハーブティーだが、アルベルトはワインをゆっくり傾けている。
「あー、ユリアーネ嬢……」
「ゴリアスでいいですよ」
「そうか、ではゴリアスと呼ばせてもらう。ユリアーネ嬢と呼ぶとどうも身構えてしまってな」
ユリアーネとしてもアルベルトにはゴリアスと呼ばれた方がリラックスする。口調もなんとなくゴリアスに戻ってしまうのだった。
ハンネスとの面会を報告してアルベルトの王宮での話を聞いて少し経った時だった。
「今日、テオドールと会ったそうだな」
アルベルトの言葉にユリアーネは頷いた。
テオドールの事もアルベルトは人前では『陛下』と呼んでへりくだった態度をとるが、ごく内輪では以前のように『テオドール』と呼んでいる。その方がテオドールが喜ぶからだった。
「求婚されたか?」
アルベルトの言葉にぐっと詰まる。
「いいえ、でも近いうちに正式に話をしたいと言われました」
「そうか……テオドールと結婚するのか?」
その言葉にはどう答えていいかわからない。正式に話をされてはユリアーネに選択肢は無くなる。今度、王宮から書状が届くときはヴァルツァー辺境伯とユリアーネ二人が王宮に出向くことになる。国王であるテオドールの求婚ならばユリアーネに拒否権はない。ユリアーネとの婚約が以前解消になった事や王宮を出て市井で暮らしていた(実際はアルベルトの屋敷にいたが)事を問題視されるかもしれないが、それを話し合うのはユリアーネではない。ユリアーネは決まったことに頷くだけだ。
でもテオドールが事前にユリアーネに知らせてくれたという事はユリアーネに考える猶予をくれたという事だった。
「私は今でも自分が王妃に向いているとは思いません」
「そうだな、ゴリアスには王妃という肩書は窮屈に感じるだろう。俺は向いていないとまでは思わないが」
「そうですか? でも……」
「別に型にはまった王妃になる必要はないだろう。まあそれでも制限は増えるが。要はテオドールを支えてテオドールに支えられて共に生きたいかという事だ。その気があればゴリアスなりの王妃になっていくんだろう」
「テオドール陛下の支えになりたいという気持ちはあるんですが……」
ユリアーネは煮え切らない。テオドールを支えたいというこの気持ちが恋や愛に結びつかない。
ユリアーネが恋を知らないだけなのだろうか、テオドールと夫婦になってしまえばそういう感情が育つのだろうか。
コホンと咳払いをしてアルベルトが口を開いた。
「テオドールと結婚するつもりがなければ回避する方法はあるぞ。正式に話を出される前に他の者と婚約してしまえばいい」
「え? そんな事……」
たしかに話を出される前に婚約しましたと言ってしまえばテオドールは無理は言わない。でも……そんな……
「ゴリアスが良ければな、俺が婚約してもいい。俺も王族という立場だが、俺の妃なら王妃よりは自由がきくし二人でテオドールを支えることが出来る。ちょっと歳は食っているが……」
照れくさそうに言うアルベルトの言葉をユリアーネは即座に否定した。きっぱりと否定してしまった。
「え!? アル団長、ではなくアル殿下にそんな迷惑かけられないですよ」
「いや、迷惑ではない。俺もこの歳だ、今更嫁の来ても無いだろうが、今現在王族は俺とテオドールの二人だ。俺も早く妃を決めろとせっつかれているんだ」
「いやいやいやアル殿下はお若いですよ。若々しいけど大人の魅力もあって包容力もあって、アル殿下のお嫁さんになりたいご令嬢は沢山いますよ。知ってます? アル殿下のファンクラブがあるそうです」
ユリアーネは一生懸命アルベルトを励ましたつもりだった。なぜか目の前のアルベルトはしょぼくれて見えるが。もっと励まそうとユリアーネは再び口を開いた。
「そうですね、僕の考えではアル殿下は落ち着いた大人の雰囲気の女性が似合うと思います。理知的で物静かででも芯の強い女性……うーん、そういう人がいたら是非アル殿下に紹介しますね」
「わかった、わかったからもう口を開かないでくれ。ダメージが大きすぎる。それに俺よりゴリアスの方の問題が先だろう」
そう言われてユリアーネは口を閉じた。すっかりゴリアスの時の気分に戻ってしまい口調も一人称もゴリアスに戻ってしまっている。何か失礼な事でも言っただろうかとユリアーネは不安になった。
そんなユリアーネを見てアルベルトは苦笑した。
「ゴリアスが心配することは何もないよ。ただ、覚えておいてくれ、俺はお前を可愛いと思っている。傍に置いておきたいと思っている。だからお前の力になりたいという事をな」
「はい、僕もアル殿下が大好きです。ありがとうございます」
ユリアーネが去った後、アルベルトは部屋の隅に控えていたハーバーに言った。
「ハーバー、そんな白い目で見ないでくれ」
「ご主人様があまりにヘタレなので呆れているところです。何故素直に求婚しないのですか、テオドール陛下より幸せにすると言えばいいじゃないですか」
「俺はあいつが可愛い。断られても気まずくならない予防線なんだ、大人の狡さなんだよ」
「大人でも何でもありませんよ、ご主人様がヘタレなだけです」
ハーバーは辛辣だった。
部屋に戻ってユリアーネは考えた。
以前マルゴットに恋ってどんなもの?と聞いたとき、マルゴットの答えはこうだった。
「そりゃあいいものですよお嬢様。恋をすると世界が薔薇色に見えるんです。その人に会うと胸の真ん中がきゅんとして、その人の周りだけ輝いて見えるんです。話をしたらその人の言葉がずっと頭の中で廻っていて、指が触れたりなんかしたら、もう、その指を洗いたく無いですね」
未だに独身、浮いた話を聞かないマルゴットのいう事だから本当のところはわからないけれど、世界が薔薇色に見えた事なんか無いし、誰か一人が光って見えたこともない。手は毎日洗いたいと思う。
だけど、さっきアルベルトと話していて思ったことがあったのだ。
アルベルトに話したようにアルベルトの隣には落ち着いた大人っぽい令嬢が似合うと思う。アルベルトが選んだのであればどんな令嬢でも全力で応援するつもりであるが、ユリアーネはさっき思い描いた令嬢がアルベルトと寄り添っているのを想像して胸の中がきゅんとした。
このきゅんはマルゴットが言っていたきゅんと違うと思う。ステキな二人を見たいというきゅんだ。
きゅんにもいろいろあるらしい。
そしてユリアーネは考え続けた。薔薇色や光り輝くのはわからないけれどユリアーネなりの恋がきっとある。
次話予告『お願い事をするユリアーネ』です。
残り二話。




