57、罪人に会いに行くユリアーネ
その日ユリアーネは王宮に向かった。
テオドールに会いに行くわけではない。ヘレーネに会いに行ったのである。
夜会の後、数日で辺境伯夫人とクリストフ、ラウレンツは領地に帰った。しかし、ユリアーネとヴァルツァー辺境伯は未だアルベルトの屋敷に厄介になっている。ヴァルツァー辺境伯は王宮での諸々の会議に出席するためであり、今回の事後処理の為にまだしばらくは王都を離れることが出来ない。
いっそ王都にタウンハウスを買ってしまおうかと話していたら、アルベルトが近く王宮に居を移すのでこの屋敷を譲り受けることなった。執事長のハーバーはアルベルトの専属侍従として王宮に上がるが、他の使用人はそのまま譲り受けることになる。ハーバーの代わりはフォルカーが当面の間勤めることになった。
「ユリアーネお姉様」
王宮本宮の馬車寄せで馬車を降りるとヘレーネは既に待っていた。
「お久し振りね、ヘレーネ様」
ユリアーネが意識して明るく笑いかける。というのもヘレーネの顔にやつれが見えたからだ。ハンネス・ヴェーゼはヘレーネの婚約者だった。彼女もまたあの夜会で運命を狂わされた一人だった。
ハンネス・ヴェーゼの取り調べで彼の動機もわかってきている。
ハンネス・ヴェーゼ、ヴェーゼ伯爵家の嫡男という事だが、実は彼は養子である。
ハンネスは物心つく前に両親を亡くしファラー公爵領のバーセルフェル地方の孤児院で育った。そしてそこにやって来たのがファラー公爵令嬢、傷心のフリーデリーケだった。ハンネスは子供のころから感情があまり外に出ない方だったが、フリーデリーケにはよく懐いた。フリーデリーケも殊更ハンネスを可愛がった。フリーデリーケはハンネスの頭の良さに気づき、持てる知識を余すところなく教え、ハンネスも期待に応えた。子供がいなかったヴェーゼ伯爵に口利きをしたのはファラー公爵だが、フリーデリーケに頼まれたからである。ハンネスにとってフリーデリーケは母親であり、初恋の人であり、恩師であった。誰よりも特別な存在だったのである。フリーデリーケに恥じないようにと研鑽を重ね王太子の側近に選ばれた時はフリーデリーケからお祝いの品と手紙を貰った。テオドールはフリーデリーケに婚約破棄を突き付けたエドヴィンの息子である。ハンネスは複雑な気持ちだったがフリーデリーケの手紙はただただハンネスの出世を喜び、努力をねぎらうものだった。
いつか、ヴェーゼ伯爵家の当主になり、フリーデリーケが年老いたら呼び寄せて一緒に暮らせないだろうか、それがハンネスのささやかな望みだった。
だからフリーデリーケが亡くなり、最期の様子をファラー公爵に聞いて、復讐の片棒を担がないかと相談を受けた時、一も二もなく同意した。
ユリアーネの悪評を流したり、ユリアーネが離宮に行くときに使用人にユリアーネを虐げるように手紙を書いたのはハンネスだ。テオドールの意識もさりげなく誘導した。ユリアーネが訪ねてきたときに追い返したのも、西の門衛に許可なくユリアーネを通さないように指令を与えたのもハンネスだ。その一方で横領の証拠を集めたり、上手くテオドールが気づかないようにその案件を遠ざけていたのもハンネスだ。
「後悔していないか?」
ソフィーは王妃である。王妃を殺したハンネスは極刑が決まっている。
夜会の前日にヴェーゼ伯爵には離縁状を送ってあったそうだが、ヴェーゼ伯爵家も降爵を免れない。
取り調べ官のその問いにハンネスは笑って答えた。
「そうですね、あの女を三日も生き永らえさせたことですかね。ああそれとニクラウス・アイベルクは生きているそうですね、奴を殺せなかった事でしょうか」
ヘレーネとユリアーネは馬車に乗った。
目指す場所は王宮内ではあるが王宮の北西の果て、西の離宮を雑木林を通って北の端まで行ったところに立っている罪人の収容所だ。貴族牢、一般牢、取調室、拷問室などが入っている。ここには普通の犯罪者ではなく重篤な犯罪を犯した者が収監される。
東の大門を出て王宮の塀に沿ってぐるりと回り馬車は北東門から入って収容所の前で止まった。
ヘレーネはハンネスに面会に来たのだ。既に解消されているが婚約者だったヘレーネだからこそ面会許可が下りたのだった。
馬車の中でヘレーネはユリアーネに話した。
「あまり眠れないんです、色々考えてしまって。どうしてなのか考えました。私……腹が立っているんです、あの人に。だから一言文句を言おうと思いましたの。身勝手なんですけど……本当に身勝手なんですけど死にゆくあの人に一言文句を言いたいのです。でも勇気が出なくて……ユリアーネお姉様が傍に居てくれたら言えるんじゃないかと……勝手なお願いをしてすみません」
ヘレーネの声は小さいが耳が良いユリアーネにははっきり聞こえる。
へにゃっと泣き笑いの表情を浮かべるヘレーネの手を握ってユリアーネは言った。
「何も迷惑じゃないわ。ヘレーネ様、あなたは私の唯一の友達ですわ。王宮暮らしで出来た唯一の同性の友達。私があなたの役に立てるのならこんなに嬉しい事はないわ。それにね」
ユリアーネは一旦言葉を切って迷った末に言った。
「私もあの人に言いたいことがあるの」
面会室に入ってきたハンネスは意外だという表情を浮かべた後、ヘレーネに向かって微笑んだ。
後ろ手に縛られているハンネスは穏やかな様子で椅子に座るとその足も椅子に括り付けられた。
「これはこれは元婚約者殿、極刑になる男を憐れんでいらしたのですか?」
ハンネスはヘレーネに向かって優雅に頭を下げる。といっても手も足も括り付けられた状態なので出来る限りではあるが。
「ハンネス様が笑ったところを初めて拝見いたしましたわ」
ヘレーネの声は冷ややかだった。
「憐れんではおりません。だってあなたはとっても満足そうだわ」
ヘレーネの声は普段より大きい。彼女は距離を開けて座っているハンネスに届くようにはっきりと喋った。
「ハンネス様、ハンネス様は私の事をどのくらい知っておられますか? 私の好きな物、苦手な事、何に喜び何に悲しむのか、何を頑張っているのか」
予想外の質問にハンネスは面食らったようだった。
「ヘレーネ嬢?」
「名前ぐらいはご存じでしたか」
「それはもちろん、私の婚約者ですから」
「婚約者であることもご存じでしたのね」
「いや……その……」
ハンネスはばつが悪そうに口ごもった。
ヘレーネはじっとハンネスを見つめると口調を改めて質問した。
「エドヴィン前国王陛下が憎いですか?」
「当たり前だ!! あの人はフリーデリーケ様を……ああ、前国王もピンピンしているんだな。あいつも殺したかった……」
今度の質問に対する答えは素早かった。ハンネスの瞳に憎悪が灯る。
「どうしてですか?」
「どうしてだって? あいつは……あいつはフリーデリーケ様を捨てた男だ。ずっと努力してきたフリーデリーケ様を……公衆の面前でぼろ雑巾のように捨てた。フリーデリーケ様が失神してもあいつは何も気にしなかったと聞いた。あいつの目にはあの阿婆擦れ女しか映っていなかった。薬物の所為だからと許すことは出来ない!」
急に饒舌になったハンネスをヘレーネは冷静に見つめた。
「あなたと同じなのに……ですか?」
「同じだって!?」
食って掛かるハンネスを刑務官が抑える。
ヘレーネは一瞬ビクッとしたが気丈にハンネスを見返した。
「私にとっては同じです。あなたの心の中にはフリーデリーケ様という一人の女性しかいませんでした。他の女の人に現を抜かして婚約者を顧みなかったのは貴方も同じではないですか? 私はどうにかしてあなたに歩み寄りたいと考えていました。でも最後まで私は貴方にとって蚊帳の外でした。こんなことを仕出かせば当然婚約は解消でしょう。でも私との婚約は貴方にとって何の意味もなかったんですね。犯行を躊躇う動機になりようもないちっぽけな存在、それが私です」
ヘレーネは涙を流していた。ユリアーネはそれにそっと寄り添うが一切口は挟まなかった。
ヘレーネは吐き出してしまった方がいいのだ。それによってハンネスがどう思うかは関係ない。ヘレーネがけじめをつけることが大事だとユリアーネは思っていた。
ハンネスは愕然とヘレーネを見ていた。彼は今初めて自分の婚約者だった女性と向き合ったのかもしれない。
「帰ります」
ヘレーネは立ち上がった。
ユリアーネも付き添って一緒に面会室を出るが、すぐに一人で戻って来た。
ハンネスは微動だにせず、椅子に座ったままだ。
「ハンネス・ヴェーゼ様、私も一つ言いたいことがございましたの」
ユリアーネが話しかけるとハンネスは虚ろな瞳を向けた。
「フリーデリーケ様は事故で亡くなったと思います」
「………………え?」
ハンネスはユリアーネの言葉が理解できないようだった。
「この一か月、私なりにフリーデリーケ様の亡くなった時の状況を調べてみたのです。フリーデリーケ様はソフィー王妃様が帰ったその日の夜、孤児院を出たそうですね。雨がまた激しく降り出した時だった。孤児院の職員がやめた方がいいと止めたそうですが、湖とそこに流れ込む川の水嵩が心配だからと言って。職員は昼間の出来事を知っているから心配だった、でもフリーデリーケ様はちょっと見てくるだけだから大丈夫よ、と笑って出ていった。雨はますます強くなり職員は心配しながらも外に出ることは叶わず、修道院の方に直接戻ったのだろうと無理矢理自分を納得させたと聞きました」
「そうだ。孤児院の職員というのは私がそこにいた時からいるエルマ院長だ。院長が止めてくれていればと何度思った事か……でもきっとフリーデリーケ様は止められても出ていったに違いない。フリーデリーケ様の心は絶望でいっぱいだっただろう。やっと塞がって来た心の傷をまた抉られたんだ。あの女に! ただ面白くない、退屈だというあの女の腹いせの為に!!」
「エルマ院長も深く後悔している様でしたわ。私が話を伺いに行った時も涙を流されて……もっと足元に注意するように言えばよかったと……川や湖にあまり近づきすぎてはいけないと言えばよかったと……」
「そんなことは無意味だ、フリーデリーケ様は死に場所を求めていたに違いないのだから……」
「私はフリーデリーケ様は事故で亡くなったと思っていますと最初に申し上げましたわ」
ユリアーネの言葉にハンネスは食って掛かる。
「あなたに何がわかる! フリーデリーケ様に会ったこともないあなたに!」
「確かに私はフリーデリーケ様に会ったことはありません。でも孤児院の、エルマ院長でしたかしら、その方にフリーデリーケ様の事を聞きました。亡くなる前の孤児院での日常の様子、どんなことが楽しみで何に生きがいを感じていらしたのか。……私は思ったんです。ソフィー様やアイベルクの仕打ちはフリーデリーケ様に大してダメージを与えなかったんじゃないかと」
「そんなことはない。フリーデリーケ様はいつも寂しそうで……心に傷を負っていて……」
ハンネスは激しくかぶりを振った。
「修道院に来たばかりの頃はそうだったと思います。でもハンネス、あなたがヴェーゼ家の養子になった頃は? 心からの笑顔で祝福してくださったのではないですか?」
「それはもちろん——」
「エルマ院長が仰ってました。フリーデリーケ様は孤児院の子たちが独り立ちするとそれはそれは嬉しそうに見送ったと。巣立った子たちから手紙が来るととてもはしゃいで喜んで……特にハンネス、あなたの事はフリーデリーケ様の一番の自慢だったと。フリーデリーケ様はもう婚約破棄の事も、エドヴィン前国王陛下の事も、ソフィー様の事も過去のものとして乗り越えていたのだと私は思ったんです。だから、湖の様子を見に行ったのは本当に水嵩が心配だったから。昼間の事に気を取られていたとしたら、子供たちが何か罪に問われないかと心配だったんじゃないかしら」
ユリアーネの見解をハンネスは納得できないようだった。
「そんな……そんなことはない。私はフリーデリーケ様の無念を晴らそうと……」
「そうね、そうかもしれないわ。今言ったのはあくまで私の考え。私が聞いたフリーデリーケ様の印象から私が感じた事。その時のフリーデリーケ様の心情なんて誰もわからないんですもの」
そう言うとユリアーネは踵を返し、今度こそ面会室を後にした。
「そんな筈はない……私は……私はフリーデリーケ様の無念を晴らしたんだ……フリーデリーケ様はきっと褒めてくださる……ハンネスありがとうと言ってくださる……」
刑務官に促されて立ち上がってもハンネスはブツブツと呟いていた。
次話予告『ファンクラブが出来たユリアーネ』です。




