50、社交界デビューしたユリアーネ
大夜会が開かれる王宮の一番大きなホールにヴァルツァー辺境伯一家が姿を見せると周囲がにわかに騒然となる。滅多に王都に出てこない辺境伯が夜会に姿を見せたからばかりではない。辺境伯とその夫人の後ろで精悍な若者にエスコートされている銀髪の美しい令嬢は誰だろうと人々の関心を集めたからだ。
ちなみにクリストフは成人前なのでお留守番である。今日ユリアーネをエスコートしているのはディルクだ。
婚約を解消したテオドールがエスコートする訳にはいかない。そしてアルベルトはある役目があるためにまだこのホールに姿を見せていない。しかしアルベルトの不在を不審に思うものがいたとしても辺境伯一家の登場に興味をそそられ、そんなことは頭の片隅に追いやってしまっただろう。
役得のディルクは美しく着飾ったユリアーネを横目で眺め、ニヤつく頬を引き締めながらエスコートする。
「あれは誰だ?」
「美しい……あんな美しい令嬢は見たことが無いぞ」
「辺境伯と同じ銀色の髪だ。もしやあの方は……」
「いや、ありえない。かのご令嬢は攫われて亡くなったという話だぞ」
「私はテオドール殿下との仲がこじれて自らお命を絶ったと聞いた」
「違う違う、さるご令嬢の陰謀で攫われて他国に売り飛ばされたんだよ。辺境伯が見つけて連れ戻したんじゃないか?」
「そもそもあのご令嬢は本当にユリアーネ様なのか?」
「僕は遠目にお見かけしたことがある。よく似ているぞ」
人々の話は尽きることがない。ユリアーネの失踪について様々な噂が流れていたようでそれも人々の興味をかきたてる。ユリアーネの耳にはいろいろな声が飛びこんできていた。ムッとするような話や思わず笑ってしまいそうな荒唐無稽な噂話。それらを聞き流しながらすました顔で歩く。
その一家の前に現れた人物にヴァルツァー辺境伯は歩みを止めた。
「ボンキュッボン……」
ユリアーネの口から小さな呟きが漏れた。
「ヴァルツァー辺境伯様、御無沙汰しておりますわ。イゾルテ・ヴァッサ・ガルドゥーンでございます」
カーテシーをしたイゾルテの全身は細かく震えている。イゾルテとてヴァルツァー辺境伯の前に出るのは勇気がいるのだろう。それでも彼女はユリアーネの存在を確かめずにはいられなかったのだ。イゾルテに付き添っていたはずの藍鼠と薄茶は遠く後ろに下がってしまっている。
「謹慎は解けたのかガルドゥーンの小娘」
「あの、もしや後ろのご令嬢はユリアーネ様でしょうか、ご挨拶をさせていただいてよろしいですか」
辺境伯の言葉に顔をゆがませたイゾルテだったが、震える声で話しかけると辺境伯は「ああ、構わない」とあっさり脇に避けた。辺境伯の恐ろしさは一年前によく知っている、ユリアーネの失踪が明るみに出た時散々脅されたのだ。それなのにユリアーネは生きてここに澄まして立っている。
「ユリアーネ様、ご無事だったのですね」
「ガルドゥーン様、お気遣いありがとうございます。おかげさまでピンピンしておりますわ」
ボンキュッボンに名前で呼ばれるのは初めてね、と思いながらユリアーネは挨拶した。『おかげさまで』はちょっとした嫌味だ。
「今までどちらに? 私、とても心配しておりましたの」
「まあ、ガルドゥーン様に心配していただけるなんて。安心のお間違いじゃないかしら」
ユリアーネの立て続けの厭味にイゾルテの本来の性格が頭を持ち上げてきた。
ユリアーネは女性同士の厭味の応酬などは本来好きではないが久しぶりの感覚に少しワクワクしていた。
「あらあ、本当に私心配しておりましたのよ。ユリアーネ様はテオドール殿下に酷く嫌われておりましたでしょう? てっきり世を儚んでいらっしゃるかと。まさか図々しく王宮の夜会にお顔をお出しになられるとは」
「私はヴァルツァー家の娘ですわ。昨年で成人も致しました。この夜会に出席するのに不都合はございませんでしょう?」
「勿論ですわ。ああでもお可哀そうに、ユリアーネ様が市井でどんな生活をされていらしたのかは存じませんが既にテオドール殿下とのご婚約は解消されておりますのよ」
「勿論存じてますわ」
イゾルテはユリアーネが少しも悲しそうでも残念そうでもないことに苛立ちを覚えた。
「それならもうお分かりでしょう? どこの馬の骨とも知らない輩に誘拐されたあなたはもうテオドール殿下に相応しくないのですわ。今更のこのこ出てきたって——」
ここでイゾルテは自分を見ている辺境伯の冷たい視線に気が付いたようだ。ユリアーネの隣に立つ精悍な若者の鋭い視線にも。
「ま、まああなたにはテオドール殿下も手を焼いておられましたから。婚約が解消されてホッとしていらっしゃることでしょう。これからは私がテオドール殿下をお支えして差し上げますわ」
ユリアーネはふふっと笑って爆弾を落とした。
「よろしくお願いいたしますわ。ところでガルドゥーン様は今日はテオドール殿下のパートナーではありませんのね」
謹慎が解けてから社交界に復帰したイゾルテだが、秘書に返り咲くことは叶わなかった。イゾルテの謹慎の理由も秘匿していたのだが、ユリアーネに意地悪をして王宮から追い出したのだと広まってしまっている。イゾルテがユリアーネを密かに害したらしいとか、他国に売ったとかの噂は躍起になって打ち消したが根強く残っていた。父のガルドゥーン公爵にも見捨てられ、ガルドゥーン公爵は今やイゾルテのみならず夫人やイゾルテの弟妹にも興味を示さない。しかし婚約解消後、テオドールに新たな婚約者は決まっていない。高位貴族の令嬢は既に嫁いでいるか婚約者持ちである。唯一の例外がイゾルテと、婚約者と死別したファラー公爵家のベアトリクスだ。しかしベアトリクスはテオドールより年上で婚約者と死別して以来滅多に夜会などに出てこない。その為イゾルテは一縷の望みをかけているのだ。周囲の人間も王太子妃になるかもしれないイゾルテに阿ってイゾルテの耳に入るところでは陰口を控えた。
「それは——」
イゾルテが口を開いたときに王族の登場が告げられ、人々は口を閉じて登場を見守った。
いつものように国王陛下が真っ赤なドレスのソフィー王妃をエスコートして歩いてくる。ドレスに縫い付けられた宝石が光り輝き、一際目を引くのは首元の豪奢なネックレスだ。小さいダイヤを連ねたクジャクの羽根模様の金細工の羽根の一つ一つには赤みがかったダイヤモンド、ネックレスの中央に光り輝くのは見たこともない大きさのルビーだ。先代の国王陛下が亡くなってからじわじわと傾いてきた景気、災害が起こっても満足な救済をしてもらえない下級貴族たちは恨みがましい目で国王夫妻を見つめる。一方で様々な恩恵にあずかり崇拝の目で国王夫妻、及び付き従う宰相のガルドゥーン公爵を見つめる者たちも少数だが存在する。
国王夫妻の後ろを王太子のテオドールは澄ました顔で一人歩いて登場した。着ている服はいっそシンプル過ぎる夜会服だがテオドールの美貌の前ではそれすらも素敵に見えてしまう。テオドールを目にした令嬢や夫人でさえもそろって顔を赤らめた。
ありきたりな挨拶を国王陛下が述べ、本格的に夜会がスタートした。
春の大夜会と秋の大夜会は王都にいる貴族がほとんど出席する。そこで今年十七歳を迎えた令嬢令息が国王陛下に挨拶し、社交界デビューとなるのである。
ヴァルツァー辺境伯一家はデビュタントの挨拶が一段落するまで後ろに下がって待っていた。本来なら一番家格の高いヴァルツァー家は一番に挨拶するべきである。それを一年遅れだからと理由をこじつけて一番最後にしたのである。
トップで挨拶をしたのはケーニヒ侯爵家のヘレーネである。一年以上も会っていない王宮でできた唯一の友の姿をユリアーネは遠くから温かく見守った。
挨拶が一段落したと国王陛下が一息ついたとき、最後にヴァルツァー辺境伯がユリアーネを伴って国王陛下とソフィー王妃の前に進み出た。
国王陛下は口をあんぐりと開け、ハッと気づくと威厳のある顔を取り繕った。
型通りの挨拶が終わった後に国王陛下がヴァルツァー辺境伯に呼びかける。
「そちらはもしやユリアーネ嬢か?」
「はい、一年遅れではありますがデビューさせたいと思い辺境から罷り越しました」
「行方不明と聞いていたが辺境に帰っておったのか」
「いえ、娘は王都で暮らしておりました」
「そうか、元気そうで何よりだ」
実際はユリアーネが勝手に飛び出した訳だが、預かっていた令嬢が居なくなるなど王家の失態ともいえることを他人事のように話すものだと辺境伯は呆れて国王陛下を見つめた。
「ユリアーネ・フェア・ヴァルツァーでございます。王国の太陽であらせられます国王陛下にご挨拶申し上げます」
ユリアーネが見事なカーテシーを披露すると国王陛下は「うむ、その、テオドールとのことは残念であったが、今後良い縁に巡り合うこともあるだろう」ともごもご言った。
ユリアーネは国王陛下からこんなに長い言葉を掛けられたのは初めてだ。一応私がテオドール殿下の婚約者だったのは認識していたのねと感心した。感心するようなことではないのだが。
「ユリアーネちゃん? ユリアーネちゃんなの? まああ! あなた、攫われて酷い目にあったのですって? 可愛そう……」
突如隣りからソフィー王妃の声が上がって国王陛下やヴァルツァー辺境伯一家のみならず周りで成り行きを注視していた貴族たちもギョッとしてソフィー王妃を見た。
「あなた、他国に売り飛ばされたんでしょ、お父様に助けていただいたの? 怖かったわよねえ。ねえエドもそう思うでしょ」
同意を求められた国王陛下は「そうだね、可哀そうだ。ソフィーは優しいな」などと返している。
「ソフィー王妃殿下、娘は攫われたりはしておりません。王宮で酷い扱いを受けたために知人の家に避難していたのです」
ヴァルツァー辺境伯の言葉に周りの者が騒めいた。ユリアーネ失踪の真相が明かされるかもしれないからだ。ヴァルツァー辺境伯がユリアーネの醜聞を隠しているのかもしれないが。
「あら、でも噂では——」
「王妃殿下」
ソフィー王妃を制してテオドールが立ち上がった。
「ユリアーネ嬢、王宮でのことは全て僕の不徳の致すところ、許して欲しい」
テオドールはユリアーネの前に歩いてくると深く頭を下げた。
ホール中の人々は今や誰もがこのやり取りに注目している。王太子殿下がユリアーネに頭を下げた。それはユリアーネの失踪に関して王家の失態があった事を意味する。
人々は固唾をのんで成り行きに注目した。
次話予告『大混乱の夜会Ⅱ~断罪の始まり』です。




