5、お茶会に出席するユリアーネ
「ユリアーネ様、お支度が整いましたわ」
メイドの声にハッとしてユリアーネは鏡の中の自分を見た。今日は初めてのお茶会だ。春の若草を思わせる薄緑の可愛いデイドレスを着た華奢な少女が鏡の中からこちらを見ている。
「ユリアーネ様の銀の御髪はどんな色のドレスにも似合いますわ」
「ええ、とても可憐でいらっしゃいます」
メイドたちは口々に褒めてくれるがなんか社交辞令のようでいまいち心に響かない。貼り付けたような笑顔の所為だろうか? 鏡の隅に映ったマルゴットが満面の笑みを湛え親指をグッと立てているのを見てようやくユリアーネの頬もほころんだ。
最悪の顔合わせから一か月、結論からいうと婚約は取り止めにならなかった。
今、ユリアーネは奥宮の一室を与えられ、王子妃教育を受けながら王宮の暮らしに馴染もうと必死である。
一室といっても寝室、居間、勉強をする部屋、衣装部屋など数部屋あり、専属メイドの部屋もある。
両親が王都を去り、ここに残されたのはユリアーネとメイドのマルゴットだけ。父はヴァルツァー家のメイドや従者、護衛など数人を残してくれようとしたのだがそれは認められなかった。
唯一残ってくれたのはマルゴットでユリアーネの専属として共に暮らしてくれているが、平民出身のマルゴットは上級メイドとは言え王宮では身分が低いようで、日中他のメイドたちが来ている間は隅に追いやられているのだ。
「ユリアーネ様、お時間ですわ」
眼鏡を掛けた女性が入って来てユリアーネを見た。
「ふむ、よろしいでしょう。立ち居振る舞いはまだまだですけどね」
彼女はアガーテ・グラッぺ伯爵夫人。肩書はユリアーネの専属侍女だが、実際はマナーや社交術の教師でもありお目付け役でもあった。
ユリアーネは侍女がどんな存在なのかも知らない。ヴァルツァーのお城には上級メイドと下級メイドしかいなかったし、その大半は平民だった。また、基本自分の事は自分で出来たのでこんなに沢山のメイドに着替えさせてもらったりお風呂で磨かれるなんてこともほとんど無かったので戸惑うやら恥ずかしいやらで慣れるまで大変だった。
お茶会が開かれているサロンに着くと数名の少女がテーブルを囲んで歓談しているのが見えた。彼女たちはユリアーネが近づくと一斉に席を立った。
「初めましてベアトリクス・エア・ファラーと申しますわ」
最初に挨拶をしてきたのは一番大人びた雰囲気の少女だ。ベアトリクスはユリアーネより四歳年長の十六歳、漆黒のストレートの髪を持つ落ち着いた雰囲気の少女だった。
ユリアーネが挨拶を返すと他の少女たちも口々に挨拶をしたが、ユリアーネは彼女たちの口調に少し引っ掛かるものを感じた。
しかし王宮で暮らし始めてから初めての同じ年頃の少女たちとの交流である。誰か気が合う方がいればいいな、友達が出来るといいなとユリアーネは密かに期待していたのである。このお茶会は王都に知り合いの居ないユリアーネが同世代の少女たちと交流するために国王陛下が配慮してくれたものらしい。その為、招かれているのは公爵家の令嬢が二人、侯爵家の令嬢が三人だった。
「ヴァルツァー様は今まではご領地でお暮しになられていらしたと伺いましたわ」
紅茶で喉を潤した後、早速声を掛けてきたのは正面に座る真っ青な髪の少女だ。たしか歳はユリアーネより二つ上、テオドールと同い年だ。でもユリアーネよりだいぶ大人びて見えた。特に胸の辺りが。
(んー! このお菓子美味しい! それに見た目もとっても綺麗だわ。流石王宮ね、クリスにも食べさせてあげたい!)
故郷に居る弟の事を考えながらお菓子をパクパクと頬張っていたユリアーネは急いで口の中のお菓子を飲み込んで答えた。
「はい、一か月前に王都に参りました」
「ぷっ! そんなに急いでお食べにならなくてもよろしいのに。辺境にはお菓子なんて無かったのかもしれませんけど」
青髪の少女、イゾルテ・ヴァッサ・ガルドゥーンが馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
(辺境にだってお菓子くらいあるわよ。もうちょっと素朴だけど)
ユリアーネが反論する前に藍鼠色の髪の少女が声を上げた。
「まあ、ヴァルツァー様は辺境からいらしたの? 辺境って恐ろしいところだと聞きましたわ」
「魔獣がその辺を歩いていると聞きましたわ。魔獣ってどんな姿をしているのでしょう」
もう一人の薄茶の髪の少女も大袈裟に震えてみせる。藍鼠の方はロジーネ・ヴァッサ・ヒルデスハイマー、薄茶の方はエリーザ・アルニムと名乗った。歳はユリアーネと同じ。
「魔獣の姿など想像するのも恐ろしいわ。 そんなところで暮らしたら私など一日中気絶していなくてはならないわね」
「イゾルテ様は繊細でいらっしゃいますもの」
三人で怖い怖いと言いながらクスクス笑う。最初に挨拶したベアトリクスともう一人の薄緑の髪の少女は話に加わらず静かにお茶を飲んでいた。
ユリアーネはにっこり笑った。
「ヴァルツァー領はそんな怖いところではありません。お父様を始め優秀な騎士様たちが魔獣を退治して下さりますもの。魔獣が街まで来ることなどありません」
自分も魔獣を退治していたなんて口が裂けても言えないな。とユリアーネは密かに拳を握りしめた。
藍鼠と薄茶はイゾルテの取り巻きという奴だろう。藍鼠の方は名前にヴァッサが入っていたからイゾルテのガルドゥーン公爵家にかなり近い家柄だ。ガルドゥーン公爵家、最初に挨拶したファラー公爵家、今ここにはいないハイツマン公爵家がこの国の三つの公爵家だ。それにユリアーネのヴァルツァー辺境伯家、王家を加えた五家がこの国を創った五人の魔導士の子孫だ。その五家は強力な魔術の継承者であり豊富な魔力を持っていると言われている。現在、この国で多少なりとも魔術が使える者はこの五家の血を引いた先祖を持つ者たちである。
シュヴァルツ王家は五人の魔導士のリーダーであった火の魔導士の末裔、彼は炎のような赤い髪をしていたらしい。ガルドゥーン公爵家は青い髪の水の魔導士、ファラー公爵家は金髪の土の魔導士、ハイツマン公爵家は緑の髪の風の魔導士の末裔だ。
五人の魔導士は、魔獣がはびこり荒れ果てたこの地で怯えながら暮らしていた人々の願いにこたえるように現れ、魔獣を退けて人々を救い、土地を豊かにしてこの地に国を築いた。火の魔導士が王になり、三人の魔導士は王を近くで支えたが、銀髪の魔導士だけは魔獣を封じ込めた森のある国のはずれに居を構え、魔獣を監視する役割を担ったと言われている。それは銀髪の魔導士が一番火の魔導士に信頼されていたからだとも一番疎んじられていたからだとも言われている。
「まあ! ヴァルツァー様のお父様は魔獣と戦われるのですか?」
イゾルテが目を丸くすると黙ってお茶を飲んでいた年長のベアトリクスが静かに口を開いた。
「ヴァルツァー様のお父様は先の戦争の英雄ですもの。当たり前でしょう」
ベアトリクスを一瞬睨んだイゾルテはまた意地の悪い笑みを浮かべてユリアーネに視線を戻した。
「ああ、そうでしたわね。それで厚かましくもテオドール殿下の婚約者の地位をいただいたとお父様にお聞きしましたわ」
「テオドール殿下もお可哀そうですわ。手柄を立てた者のご褒美として婚約者を決められてしまうなんて」
「案外それを狙って手柄を立てたのかしら。いいですわね、辺境は手柄を立てるチャンスがあって」
イゾルテと取り巻き二人の言い草にユリアーネは必死に拳を押さえている。ここに居るご令嬢は領地の男どもと違う。ユリアーネが殴ったら死んでしまうかもしれない。
(さすがに殺人はいけない!)その一心でユリアーネは拳を押さえているのだ。ユリアーネが弱っちいテオドール殿下の婚約者に強引になったような言い草も気に入らないのだが、隣国との戦争を、傷つき、住む処を荒らされ、大切な者を失い、または失うのではないかと不安な夜を幾度となく過ごしたあの戦争を彼女たちが軽く見ているのが許せなかった。
(ヴァルツァー領に帰りたい)やはり自分は貴族社会に馴染まないのだとユリアーネはふいに泣きたくなるほどの郷愁に駆られた。
「イゾルテ様のお父様は優れた水の魔術の使い手だと伺いましたわ。ガルドゥーン公爵様なら隣国の軍勢などあっさりと倒してしまったのではないかしら」
薄茶の言葉にイゾルテが大きく頷いた。
「ホホ、エリーザ様ったら。でもそうね、お父様なら敵の軍勢など簡単にやっつけてしまったかもしれないわ。そうしたら今頃テオドール殿下の婚約者は……」
言いながらユリアーネをチラッと見る。
(そんなに力を持っているならさっさと戦場に来たら良かったのに! そうしたらヴァルツァー辺境伯領は一年半も苦しむことは無かったわ。手柄なんていくらでもくれてやる)
ユリアーネは椅子をガタンと鳴らして立ち上がった。
(うん、やっぱり殴ろう。大丈夫、力を加減すれば顔が変形するくらいで済むはずよ)
「楽しそうだな、何を話しているんだ?」
まさに拳を振り上げようとしていたユリアーネの背後から突然声がかかった。
(どこがっ!? どう見たら楽しそうに見えるのよっ!)
ユリアーネがキッと振り向くと立っていたのは顔合わせ以来久しぶりに見るテオドールだった。
次話予告『淑女宣言をするゴリアーネ』です。