38、一喝したアルベルト
魔獣が王都に出現した事件は既に王宮に知れ渡っていた。
王宮に戻ったソフィー王妃、アイベルク師団長と共にテオドール、アルベルト、ドミニクも本宮の会議室に向かう。ユリアーネとディルクは騎士団の団舎で待機することになった。
会議室には既に国王、宰相をはじめ、各庁の長官など主だった者が揃っている。ファラー公爵とハイツマン公爵の家には使いを出してあるので、もうすぐ駆けつけてくるだろう。
会議室の手前で、二人の側近がテオドールに駆け寄ってきた。
「テオドール殿下、お怪我は?」
「僕は無事だ。どこも怪我していない」
「殿下はグラッツェル侯爵のお屋敷に行っていたのではなかったのですか?」
眉を顰めるハンネスにテオドールは苦笑した。
「すまん、叔父上と話をしていてお忍びで庶民の生活を見に行こうという事になったのだ。叔父上と騎士たちが一緒に居てくれたので危険はないと思っていたしな。まさか魔獣に出くわすなどと」
ハンネスはまだ何か言いたげだったが結局何も言わなかった。
二人の側近を従えてテオドールが会議室に入るとアルベルトが既に魔獣について説明を始めていた。
「……という訳で、魔獣ヒュドラは我が騎士たちが見事討伐を果たした。ざっと見回したところ、逃げる際に転倒などをして軽傷を負ったものはいるが重傷者は見当たらなかった。しかし我々は『魔獣だ』という人々の叫びを耳にしてから現場に駆け付けたので魔獣がどのようにして出現したのかは目撃していない。我々が駆け付けた時に既に現場に居られました王妃殿下、目撃されましたか?」
アルベルトがソフィー王妃に目を向けるとソフィー王妃はウルウルとアルベルトを見上げた。
「アル君、言い方が冷たいわあ」
「それはすみません、これが普通です。それでどうなのですか?」
ソフィー王妃の戯言に付き合っていても疲れるだけだとアルベルトは素っ気なく促した。
「ん、もう! あっ、あの怪物はね、土の中から出てきたの。土の壁がガラガラって崩れてその中に入ってたのよ」
ソフィー王妃では要領を得ないのでアルベルトはアイベルク師団長にも同じ質問をした。
アイベルク師団長は渋々ではあったが、状況を説明する。
「その土壁というのがいつからそこにあったかが問題ですな」
「その土地は誰の持ち物だ? どうやってそんなものを運び込んだんだ?」
会議室の面々がざわざわと話し出す中で一人がポロッと言った。
「王妃殿下はどうしてそんなところにいたのですか?」
人々の視線がソフィー王妃に集中する。
「ソフィー様はお忍びで街の様子を視察なさっていたんだ。先ほどテオドール殿下もアルベルト総団長と視察に出ていたと言っただろう」
焦ってアイベルク師団長が説明したが人々の失笑を買っただけだ。王妃が仕事など何もしていないことは周知の事実だったのだから。
「それにしても護衛がアイベルク師団長一人とは。二人きりでどこに行くつもりだったのです」
誰かの言葉にアイベルク師団長は顔を真っ赤にし、ソフィー王妃は横にいる国王に縋りついた。
「ごめんなさいエド。ちょっと庶民の暮らしを覗いてみたかっただけなの」
「ああ、王妃殿下には懐かしい風景なのですな。今でも庶民感覚でいらっしゃる」
聞こえた小さい声は国土庁の初老の長官の声だったか。ソフィー王妃が元々は平民だったことを忘れていない者も多いのだ。
その声を無視して国王は愛する妃を抱きしめた。
「ソフィー、街に遊びに行くなとは言わないが護衛を沢山連れて行っておくれ。君が今回みたいな騒ぎに巻き込まれて怪我でも負ったらと思うと私は夜も眠れないよ」
国王にそう言われてソフィー王妃もしおらしく頷く。
「そうねエド、怖かったわ。これからは沢山護衛を連れていくから許してね」
また茶番が始まったとテオドールとアルベルトをはじめ会議室の半数以上の人々は冷ややかな目でそれを眺めていた。
魔獣が入っていたと思われるその土壁については王都の行政庁が調査を続行することになった。
そしてもう一つ、見過ごせない問題がある。アイベルク師団長については叱責だけで済ますわけにはいかなかった。
アルベルトはアイベルク師団長の前に立った。
「ニクラウス・アイベルク第一師団長、三か月の謹慎、師団長は解任、身分を一騎士に戻す」
「そんな! どうしてですか!?」
アイベルク師団長は悲鳴のような声を上げアルベルトを睨みつけた。
「貴様は自分のしたことを自覚していないのか!?」
アルベルトの一喝にアイベルク師団長がビクンと身をすくませる。歳から言えばアイベルク師団長の方がアルベルトより十歳ほど年長である。その中年のアイベルク師団長は威厳も度量も何一つアルベルトに敵わなかった。
「貴様はこともあろうに自分が逃げるために無辜の平民を犠牲にしようとしたな。あの場で蹲っていた幼子を抱えた母親を魔獣に向かって突き飛ばしたではないか!! 見られていないとでも思ったか!!」
再度会議室にざわめきが広がる。人々の非難の目に耐えかねてアイベルク師団長はソフィー王妃を縋るような目で見た。
「ソフィー王妃様、ソフィー様、私は貴方を守ろうと必死だったのです!」
そんなアイベルク師団長に向かってソフィー王妃は言った。
「ニック、ただの騎士になっちゃうの? じゃあ私の護衛は無理? あ、じゃあ私、今度の護衛はあの子がいいわ。今日怪物を倒した騎士の子よ、黒髪の。彼、カッコ良かったわ」
「ソフィー様!!」
悲鳴のようなアイベルク師団長の声が響いた後にアルベルトが言った。
「王妃殿下、彼は第四騎士団なのであなたの護衛は出来ません」
「そう? アル君もカッコよかったからアル君でもいいんだけどアル君はダメよねえ?」
「駄目です」
「ソフィー様!!」
再度悲鳴のような声が聞こえてソフィー王妃はアイベルク師団長の方を向いた。
「ニック、いっぱい手柄を立てて出世して早く私の護衛に戻って来てね」
既に中年に差し掛かり、日々の鍛錬もしていないアイベルクには酷な要求である。アイベルクはがっくりと項垂れた。
「くそ! くそ! アルベルトめ! このままでは済まさないぞ!」
馬車に揺られながらアイベルクの口から出るのは呪詛の言葉だけだ。辺りはもう暗い。あれから団舎に帰り、身の回りの物を整理させられた。三か月後に戻ってきたときにはこの席はもう自分の席ではないのだ。騎士たちが蔑んだ目でアイベルクを見る。アイベルクが何をしたかもう知れ渡っているのだ。
冷たい視線を浴びながらアイベルクは団舎を出た。
道が一際暗い一角に差し掛かった。貴族の屋敷が多いこの辺りは暗くなる時間には人通りがまったくなくなる。丁度この辺りの道はどの屋敷も庭に面しているので明かりもほとんどない。
馬車に付けられたランタンの灯りを頼りに馬車が走る。
と、急に物陰から何かが出てきて馬車が急停車する。
「おい! どうした!」
アイベルクが怒鳴ると「ぐわっ」とくぐもった悲鳴が返って来た。
変事を悟り、アイベルクは剣を引っ掴んで一気に馬車の扉を開け外に飛び出した。
「アイベルク師団長が賊に襲われ瀕死の重傷」
翌日アルベルトと共に出勤したユリアーネの耳にとんでもない知らせが飛び込んできた。
「何? アイベルクが? 状況は」
アルベルトの問いにドミニクが報告書を読み上げる。
「場所は南の貴族街、大通りから二本南に入ったあたりです。時刻は昨夜八時頃。御者の証言によりますと団舎からの帰宅途中を襲われたそうです」
「賊だと判断した根拠は?」
「アイベルクは複数の切り傷を負っておりました、剣による傷です。特に酷いのは眉間から左耳下までの切り傷と左わき腹の刺し傷、右上腕の切り傷だそうです。それから、御者は昏倒させられておりましたが、気絶する前に覆面の二人組の男を目撃しております」
「二人? たった二人にやられたのか?」
アルベルトはため息をついた。アイベルクは気の毒に思う。賊が余程の手練れだったのかもしれない。しかしたった二人に白の師団長だったアイベルクがやられるとは……
白の騎士たちの実力を早々に確かめねばならないと思ったアルベルトだった。
「それと……これは無関係かもしれませんが」
「何だ? 言ってみろ」
「現場の道が酷く荒れていたそうです。御者は夜が白み始めるころ息を吹き返し、慌てて衛兵の詰め所まで走ったのですが、その時酷く道がデコボコしていると気が付いたそうです。ちなみに帰宅途中はそんなことはなかったと報告書には書いてあります」
「道がデコボコ?」
「はい、その一帯だけ何度も掘り返したようだったと」
大通りは石畳、他にもメインの通りは石で舗装されていたり、レンガ敷だったりするが、そのほかの道は土を固めて整地しただけである。それでも貴族街の道路は庶民街に比べ格段に綺麗に整地されていた。
「訳が分からんな」
「アイベルクが意識を取り戻せば状況がもう少しわかるかと思われますが」
「危ないのか?」
「五分五分だそうです。いえ、七分三分、だいぶ血が流れたそうで」
「……そうか、何か変化があったらまた教えてくれ」
アイベルク師団長が襲われた……その意味をユリアーネも考えていた。魔獣が出現したその日にアイベルク師団長が襲われた。そもそも滅多に街へ行かないアイベルク師団長が偶然魔獣に遭遇するなんてことがあるのだろうか? 王都には魔獣は出ないとアルベルトが以前言っていた。つまり、今回の魔獣出現は意図的に引き起こされたもの。それに偶然ソフィー王妃とアイベルク師団長が居合わせるなど考えにくい。むしろソフィー王妃かアイベルク師団長を狙っての犯行と考えてよいのではないか。
アイベルク師団長は誰かに恨みを買っていた? それもそれなりの力を持つ誰か。でなければ魔獣を捉えて王都に放つようなことが出来る筈はない。
……それは誰?
次話予告『心配するユリアーネ』です。




