35、もう少しあがきたいテオドール
「それで……ゴリアスはどうしたいんだ?」
口に出した後アルベルトは言いなおした。
「ああ、ヴァルツァー嬢だった。くそ、どうも言い辛いな。ん? 俺の態度は令嬢に相応しくないか?」
ユリアーネは急いで首を横に振った。
「ゴリアスで構いません。いえ、その方がいいです。アル団長には態度も変えないでいただけると嬉しいです」
「そうか、じゃあ俺は今まで通り接するぞ。それでゴリアスはどうしたいんだ? 俺は以前の事は知らないが今のゴリアスとテオドールの関係は悪くないように見える。もう一度婚約者になりたいのか?」
「そんな! 今更——」
「俺はゴリアスに聞いている」
アルベルトは抗議の声を上げたディルクを黙らせた。
「いえ、戻りたくはないです。貴族の娘として甘いのかもしれませんがやっぱり私はテオドール殿下と生きていく未来が想像できません。その、虫のいいお願いなんですけど」
一瞬言い淀んだユリアーネは一気に言った。
「もう少しこのままではいけませんか?」
「このままとはゴリアスのままってことか?」
「はい。いつまでもゴリアスのままじゃいられないのは分かっています。でももう少し……今の問題が解決するまではゴリアスとしてここに置いていただきたいんです」
「いいぞ」
「アル団長の立場もわかっています。緑の騎士たちにも……え?」
「俺としても有能なお前を手元に置いておきたいからな。ヴァルツァー嬢の捜索に関しては規模を縮小したと言っておけばいいだろう。その後の事はまたゆっくり考えればいい」
「え……いいんですか?」
「ああ、このことはここに居る者だけの秘密だ」
アルベルトは部屋の隅に控えたハーバーを振り返る。ハーバーが頷くのを見てにんまり笑った。
「アル団長!! ありがとうございます!」
感激してアルベルトに飛びつきそうになったユリアーネをディルクが押しとどめた。
受け止める体制だったアルベルトは一つ咳払いをして言った。
「コホン、あーー、ゴリアスは令嬢だったな。あんまり簡単に触れる訳にはいかないか」
頭をわしゃわしゃと撫でるのもいけないか? とアルベルトは自身の手を見ながら寂しく思った。
どうやって帰って来たのかまったく覚えがない。
テオドールは自身の部屋に入るとソファーに身を鎮めた。侍従やメイドを追い出していつぞやの夜のようにソファーに寝転んで顔を両手で覆った。
夕刻、アルベルトの屋敷に向かった。シュテファンと会う約束の日時の変更を告げるためである。秘密を要する話であるが、以前のテオドールならそんな些末な事でわざわざ出向くなど考えられないことだ。ゴリアスに一目だけでも会えるかもしれないと考えている自分に苦笑した。
(僕はそんな趣味はない。ゴリアスは……そう、弟みたいなものだ。僕には兄弟がいないから可愛いと思ってしまうんだ)
誰に弁明する訳でもないのにそんな言い訳をしながらアルベルトの屋敷に向かった。
用事自体は直ぐに終わってテオドールはエントランスホールで待っている護衛の下に引き返した。
屋敷を出ようとした時に、入れ違いに入ってくる人物に気が付いた。
(あれは……第四騎士団のディルクとか言ったな)
ゴリアスとやけに親しそうだった男だ。何か気になって護衛たちにその場で待っているように告げるとテオドールはふらっと屋敷に引き返した。
ディルクは先ほどまでテオドールがいたサロンに案内されていく。
身を隠しながらテオドールはその後ろをついて行った。サロンにディルクが入るとメイドたちは引き返していく。辺りには誰もいない、人払いでもされているのだろうか。
テオドールがドアに近づこうとした時、足早にやってくるメイドが目に入った。
(危なかった……)バクバクする心臓を押さえテオドールは物陰に身を潜める。
(!! あれは……あのメイドは……)
メイドの顔に見覚えがあった。いつもユリアーネの傍で控えていたメイドだ。
もう好奇心を抑えられなかった。メイドが入っていったドアに近づくと音がしないように注意しながらそっと少しだけ開けた。
(ユリアーネ!!)
叫び出しそうな口を必死で押さえた。眩い光が消えるとそこにユリアーネが立っていた。
いや、あれはゴリアスだ。でもあの髪色は……
十四歳の時、初めてユリアーネと会った。
祖父である当時の国王が決めた婚約だ。テオドールは何の関心も無かった。祖父の事は尊敬していたので祖父の決めた事なら受け入れるつもりだった。ただ美しく優秀な自分の隣に立ってあまり見劣りしない令嬢だといいなと思っただけである。
まず銀色の髪が目に入った。
月の光のような銀色の髪、整った顔立ち。見ようによっては儚げにも見えるその印象は目の前の少女が顔を上げてテオドールをまっすぐ見ると一変した。強い意志を秘めた真っ直ぐな瞳。媚も恐れもない瞳がテオドールをまっすぐ見ていた。なぜか身体の中がカッと熱くなりテオドールはそれを胡麻化すために居丈高な態度をとった。
祖父と辺境伯が話をしている間、ユリアーネという少女は興味深そうに周囲を見回していた。部屋の飾りに興味を示し、お菓子を頬張ってにっこりし、サロンの窓越しの風景を見て今にも腰が浮きそうだ。
それを見た祖父が、温室を案内してあげろとテオドールに告げた。
途中までは良かった。ユリアーネに花の名前を教えたりしてテオドールは得意満面だった。あの犬が飛びかかって来るまでは。
咄嗟にユリアーネを盾にしてしまい、しまったと思った。ところがユリアーネは怯えるどころかいとも簡単に犬を押さえ込んだのだ。恥ずかしさで頭に血が上った。憎まれ口を聞いてその場を後にした。
それでもその時はユリアーネが悪いと思っていた。王子であるテオドールに向かってユリアーネは『ケツの穴の小さい男』と言ったのだ。そんな事を言われたのは生まれて初めてだった。
あれからテオドールは毎日ユリアーネが謝りに来るのを待っていた。テオドールの方からユリアーネを訪ねるという発想はなかった。今まで同じくらいの歳の令嬢だけでなく年上も幼女も全てがテオドールに会いに来たがった。何かと理由を付けてテオドールに会えることを願っていた。だから待って待って一か月、とうとうテオドールはユリアーネが出席しているというお茶会に乗り込んだ。
お茶会に出席していた令嬢たちはテオドールの出現に頬を染めまとわりついた。……ユリアーネを除いて。
ユリアーネの冷めた目が気に入らなくて、彼女を貶めた。そしてユリアーネは宣言したのだ、王国一の淑女になると。
部屋に戻ってテオドールは気が付いた。王国一の淑女になるという事は僕に相応しいレディになってみせるという事じゃないか、と。
(なあんだ、ユリアーネは僕の事が好きなのか。だけど意地っ張りでそれを表に表せないからあんな宣言をしたんだな)
テオドールはやっと安心してその夜はぐっすり眠れた。
ユリアーネとのお茶会はそれから定期的に行われることとなった。その当時のテオドールの一番の楽しみである。ユリアーネは意地っ張りなのでなかなか話しかけてこない。それでもテオドールは楽しかった。揺れる木々や小鳥のさえずり、色々なものにユリアーネの表情は動く。それは見ていて飽きないものである。壁際に控えた近衛騎士をじっと見つめていた時はつい睨んでしまったが。そんな男より数倍麗しい顔が目の前にあるだろうと言いたかった。
祖父が亡くなり父が即位した頃からユリアーネの悪評が聞こえてくるようになった。
それでもテオドールはユリアーネとの婚約を止めたいとは思わなかった。ユリアーネは意地になっているのだ。他の令嬢のように僕に媚びればいいと思っていた。
いや、思おうとしていた。とっくに気づいていたことを認めたくなかった。
父に、母に、周りの皆に婚約を止めてはどうかと言われても首を縦に振らなかったのはなぜか。頑なにユリアーネは意地を張っていると思い込み、僕の関心を引きたいからイゾルテを苛めたりメイドを虐げたりするのだと思っていたのはなぜか。
ユリアーネがいなくなりテオドールは打ちのめされた。テオドールの心の中でユリアーネは人々に虐げられ必死にテオドールに救いを求めた少女に変貌した。その事に気づかずユリアーネの手を振り払ってしまった事をテオドールは酷く後悔した。それでもユリアーネは自分の事を好きなのだと思っていた。思い込もうとした。薄々気が付いていたことには蓋をした。
ゴリアスと知り合ってまたテオドールは毎日が楽しくなった。ゴリアスが笑いかけてくる、ゴリアスが拗ねる。それはユリアーネとしたかったことをゴリアスが代わりにやってくれているようだった。
もう、誤魔化せない。
(僕はユリアーネが好きなんだ……ずっとずっと好きだったんだ……)
そして先ほど聞いてしまったユリアーネの本音。
『やっぱり私はテオドール殿下と生きていく未来が想像できません』
やっぱり、とユリアーネは言った。つまりユリアーネは元からテオドールの事を好きでも何でもなかったという事だ。一生一緒に居たいとは思っていなかったという事だ。
(くそ!)
恋心を自覚したと同時にテオドールは失恋を味わった。
(待てよ……)
ユリアーネはこうも言っていた。
『テオドール殿下はちゃんと話を聞ける人だったわ。私がもっと努力をしていたら関係性は変わっていたかもしれない』
(今から関係性は変えられる? 僕がもっと努力してユリアーネとの距離が近くなれば、ユリアーネの信頼を勝ち取ることが出来たら)
それは無駄な努力かもしれない。
だけどテオドールは自覚したばかりのこの恋をまだ諦めたくなかった。今はまだゴリアスがユリアーネだと知ったことは黙っていよう。ゴリアスとテオドールの関係性は悪くない。そうしてユリアーネとの距離をもっともっと縮めたら……
いつかは……
次話予告『話を聞くテオドール……とユリアーネ』です。




