34、告白したユリアーネ
無言のアルベルトの視線を感じながら俯いて固まったまま、五分? 十分? ユリアーネにとって永遠とも思われる時間が経ったころ、不意に執務室のドアが開いた。
「あれ? まだ訓練場に行っていなかったのですか?」
ドミニクの言葉にアルベルトは弾かれたように振り返った。
「あっああ。今から行く。ゴリアス、行くぞ!」
「はっはい!」
大股に部屋を出ていくアルベルトの後ろをユリアーネは急いで追いかけた。
怪我も癒えて調子が復活したドミニクの「ゴリアス坊、今日も可愛いね」の軽口がなぜかホッとした。
訓練場で部下を相手に汗を流すアルベルトをボーッと見ていたユリアーネは自分を呼ぶ声に振り返った。
「ゴリアス」
「ディルク!! 魔獣討伐に行ったんじゃなかったの?」
飛びつくように距離を詰めたユリアーネにたじろぎながらディルクが答える。
「ああ、魔獣が消えたんだ」
「消えた?」
「北部の山裾にヒュドラが出たという知らせで討伐に行ったんだがな、着いたときにはいなかった」
「山奥に逃げ込んだんじゃないの?」
「もちろん捜索したさ」
ヒュドラというのはいくつもの頭を持つ蛇型の魔獣だ。魔獣がその生息域を変えることは滅多にない。もっと強い魔獣に追い立てられたり、餌が無くなれば別だが。
魔獣の森ではない普通の山に住み着いた魔獣はもっと強い魔獣に出会うことはないだろう。人里に下りてきて家畜や人を襲った魔獣は餌があることも認識している筈だ。そう簡単にねぐらを変えるとは思えなかった。
「多分何らかの原因でねぐらを替えたんだろうが原因がわからなくてな。まあ、人里離れた山奥に引っこんだのならすぐに人や家畜が襲われる心配はない。十分注意するように言ってひとまず帰ってきたんだ」
「そうか……ってそれどころじゃないんだ! 聞いてくれ!」
ユリアーネはディルクを引っ張って歩き出した。
その姿を汗をぬぐいながらアルベルトがじっと見ていたのは気が付かなかった。
人気のない団舎の隅で話を聞き、ディルクは暫く思案した後言った。
「アル団長に打ち明けよう」
「え? 駄目よ! アル団長はテオドール殿下の叔父なのよ。それに私の捜索を依頼されている騎士団長なのよ」
「……お前はこのままアル団長をごまかせると思うか? それとも辺境に帰るか?」
どっちも出来ないと思いユリアーネは唇を噛んだ。
「お前から見てアル団長はどういう人間だ? 俺はあの人は信用できると思う。ちゃんとお前の気持ちを打ち明ければ、それを無下にするような人じゃないと思う。もしかしたらお前の正体は公にされるかもしれない。でもちゃんとお前も納得できるような道を考えてくれる人だと思う」
ディルクの言葉にユリアーネは頷いた。
「……そうだね、元々は勝手に王宮を抜け出した私が悪いんだし、その事でみんなに迷惑をかけた」
この半年間は楽しかった。気楽に笑えるようなことばかりではなかったけれど、沢山の人に触れて色々な経験をして考えることも沢山あった。もうその時間は終わりなのだ。
シュンとしたユリアーネの肩を抱き寄せようとしてディルクの手が止まる。その代わりにディルクはユリアーネのおでこをピンと弾いた。
「元気出せ、お前らしくもない。何も心配いらねえ、俺も一緒に謝ってやる。俺だけは絶対にお前の味方だ。今更テオドール殿下の婚約者に戻るという事はないだろう。お前が何か罪に問われるなら一緒に償ってやるし、辺境に帰るのなら騎士団なんて辞めて一緒に帰るぞ」
「あいたっ! そうだね。悩んでいても仕方ないわ。アル団長に正直に話す。できればもう少しゴリアスでいたい。でも叶わないならユリアーネとして出来ることを頑張るわ」
ディルクと話して心が落ち着いた。
今晩、アルベルトのお屋敷にディルクが訪ねてきたら二人で打ち明けることを約束してディルクと別れた。
その夜、アルベルトのお屋敷に帰って夕食が済んだ時点で、ユリアーネはアルベルトに話したいことがあると告げた。
「もうすぐ第四騎士団のディルク副師団長がこのお屋敷を訪ねてきます。そうしたら僕の話を聞いていただけますか?」
アルベルトはじっとユリアーネを見つめたまま答えた。
「わかった。俺はサロンにいる。ディルクが訪ねてきたら一緒に来い」
「はい、ありがとうございます」
その時、執事長のハーバーが急ぎ足でやって来た。
「テオドール殿下が見えられました。サロンにお通しいたしましたが」
「テオドールが?」
アルベルトにが首をかしげるところを見るとアルベルトも予想していなかった訪問らしい。
なんて最悪のタイミングなんだとユリアーネは頭を抱えたくなった。テオドールにバレるにしても先にアルベルトに話を通しておきたかったのに。
「あ、叔父上、先触れもなく申し訳ない」
サロンの扉を開けるとテオドールがすぐに話しかけてきた。
「シュテファンとの約束ですが、一日ずらせないかと連絡がありました。約束した次の日に昼食を共にしたいそうです」
「ああ、俺は構わないが」
「良かった。それでは僕はこれで。ああ、お茶はいらない、すぐ帰るから」
紅茶の用意をしようとしたユリアーネに断りを入れてテオドールはドアに向かう。
「それだけの為にわざわざ来たのか?」
「不用意に誰かに伝言を託すわけにもいかないですから」
テオドールの言葉にアルベルトも頷いた。
「そうだな、わざわざすまなかった」
テオドールは日時の確認をして、見送りはいらないと部屋から出ていった。
こんなところも変わったなとユリアーネは思う。出会った頃のテオドールはもっと高飛車ではなかったか? それともユリアーネに対してだけだったのだろうか?
「ご主人様、騎士団のディルク・フェア・アスマンという方がいらっしゃいましたが」
ノックをしてハーバーが告げてきたのでアルベルトはここに通すように言った。
「それと、メイドのマルゴットを呼んでくれ」
ユリアーネはごくりと唾を飲み込んだ。
ついにその時が来たのだ。
「来たか、まあ座れ」
アルベルトは三人にソファーに座るように言ったが、ユリアーネは首を横に振った。
ディルク、マルゴットより前に一歩出るとアルベルトに深々と頭を下げた。
「申し訳ありません、僕は……いえ、私はアル団長を騙していました」
「何のことだ?」
「私の名前はゴリアスではありません。本当の名前はユリアーネ・フェア・ヴァルツァーと申します」
頭を上げるとユリアーネは呪文を唱えた。ユリアーネの髪が光に包まれる。光が消えるとユリアーネの髪は月光のような銀色に変わっていた。
暫く呆気に取られてそれを眺めていたアルベルトはかすれたような声で言った。
「それは……そうかヴァルツァー辺境伯家の魔術か。ヴァルツァー辺境伯家の魔術は身体強化だと聞いたことがある。そんなことも出来るのか……それにしても惜しいな」
(惜しい?)何が惜しいのかわからなくてユリアーネは首を傾げた。
「見事な銀の髪だ。長かったのだろう? 切ってしまったのか?」
その言葉にマルゴットが食いついた。
「そうなんです、ご主人様!! お嬢様は男に変装するからと言って、離宮を出るときにばっさりと! 腰まであったんですよ! 月の光のような見事な銀の髪でいらしたのに……」
(え? そこはどうでもよくない?)
ユリアーネは興奮するマルゴットを抑えてアルベルトに向き合った。
「アル団長、聞いていただけますか?」
ひと通りの事情を説明すると、アルベルトは腕を組んで言った。
「つまりゴリアスは、いやヴァルツァー嬢は離宮に追いやられ虐げられたことで王宮を出たんだな。テオドールがそんなことをしていたとは……」
「いえ、違います」
ユリアーネはアルベルトの言葉を否定した。
「一番の理由は私の覚悟の無さです。私はテオドール殿下と共にこの国を背負っていく覚悟が無かったんです」
「しかし……」
「ユリアーネ、それは違うんじゃねえか?」
アルベルトと同時にディルクからも否定の言葉が上がったが、ユリアーネは首を横に振った。
「ううん、十二の時に王宮に来てもう六年近くたつわ。私はテオドール殿下とちゃんと向き合ってこなかった。王子妃教育は頑張ったけど、それは自分の意地の為。教師の方々に可愛がってもらって学ぶのが楽しかったというのもあるわ。でもいつも王宮は仮住まいのような気がしていたの」
「お前の家はヴァルツァー辺境伯領にある」
「うん」
ディルクの言葉に頷いてユリアーネは続けた。
「私もそう思うわ。だからテオドール殿下とちゃんと話をしなかった。テオドール殿下が私を嫌っているのをいいことに放置したの。一生ここに居る覚悟がなかったから王宮から一歩も出なかった。王都の、人々のことなど何も知ろうとしなかった」
「外に出してもらえなかったんだろ?」
「うん、外出するのは手配が面倒だと言われて諦めたわ。でもやりようはあったと思う。ゴリアスとしてテオドール殿下と知り合って、初めてまともに話をしたような気がするの。テオドール殿下はちゃんと話を聞ける人だったわ。私がもっと努力をしていたら関係性は変わっていたかもしれない」
ユリアーネの言葉にディルクは不満げだ。
「クソ王子のしたことを俺は忘れていないぞ。騙されていたかなんだか知らねえが、あいつは誰も味方がいない王宮でユリアーネを放置した。他人の言い分を信じてユリアーネの周りからどんどん人を奪った」
ディルクは小さい声で呟いた。その声は十分アルベルトの耳に届いていたが独り言だとしてアルベルトは聞こえないふりをした。聞こえなかったのだから、クソ王子とかあいつとかの不敬発言は咎めない。だけど、ディルクの言葉に大きく頷いているマルゴットを見て苦笑した。
ディルクはヴァルツァー辺境伯の側近の息子でユリアーネを追って王都に来たらしい。再会したのはユリアーネが王宮を出た後だと聞いた。マルゴットといいディルクといいヴァルツァー辺境伯家と家臣の絆の深さにアルベルトは感心した。もっともディルクがユリアーネに抱いている感情はそれだけではないようだが。
「それで……ゴリアスはどうしたいんだ?」
暫く考えた末にアルベルトは口を開いた。
次話予告『もう少しあがきたいテオドール』です。




