30、涙を流すユリアーネ
「ここまで来たんだ、孤児院に寄って行くか」
アルベルトとユリアーネは西地区と南地区の境にある孤児院にやって来た。メーナとカイがいる孤児院だ。今までに二度訪れている。
「にいちゃん!」
孤児院の小さい庭に立つと真っ先に駆け寄ってきたのはメーナだ。随分明るくなって言葉数も増えた。
「何だよ、また来たのか。騎士団って暇なんだな」
きまって憎まれ口をたたくのはカイだ。でもアルベルトに頭をわしゃわしゃと撫でられて「やめろよ―」と言いながら嬉しそうだ。
この孤児院はある高位貴族の庇護を受けているらしく、比較的余裕があると聞いていた。だからアルベルトはここに二人を預けることに決めたのだった。
「差し入れだ、みんなで食べろよ」
アルベルトがお菓子の包みを差し出すと「院長先生に渡してくる」とカイが駆け出した。その後を「わーい!」と二人の子が追いかけていく。
「今日は外に出ている子が少ないんだね」
この場に残ってユリアーネと手を繋いでいるメーナに訊ねるとメーナはこっくりと頷いた。
「きょうはひめさまがきているの」
「姫様?」
「うん、すっごくきれいなひめさま。じとか―いろんなことをおしえてくれるの」
「じとか? ああ、文字か」
ユリアーネが納得するとメーナはユリアーネの手をパッと離して両手を前に突き出した。
「こっちのおててーはいくつーかな♪ こっちのおててーはいくつーかな♪」
歌いながらメーナは右手に三本、左手に二本指を立てた。そうしてパンと両手を合わせる。
「がったーい♪たいたい♪あわせていくつー♪」
ユリアーネはうーんと考えるふりをして「わかった、五つだ」と答えると。メーナはキャラキャラと笑って「せいかーい♪かいかい♪よいこはーごほうびよー♪」と歌った。
メーナが服を引っ張るのでユリアーネがしゃがむとメーナは背伸びをしてユリアーネの頭を撫でた。
「ひめさまがーおしえてくれたの」
ユリアーネとメーナが笑い合っていると建物の入り口から院長が出てきた。
「総騎士団長様! いつもありがとうございます」
深々と頭を下げる院長の後ろに綺麗な令嬢が立っていた。
どこかで見た顔だとユリアーネは思ったが思い出せない。勘違いかな?と思ったが、令嬢の挨拶で思い出した。
その令嬢は綺麗なカーテシーをしてアルベルトに話しかけた。
「お初にお目にかかりますグラッツェル侯爵様、ファラー公爵が娘、ベアトリクス・エア・ファラーと申しますわ。このような場所でのご挨拶、ご容赦くださいませ」
「頭を上げてくれファラー嬢、アルベルト・フラン・グラッツェルだ。これは従者のゴリアス。ご丁寧な挨拶痛み入る」
ユリアーネは頭を下げるが心臓はバクバクだ。思い出した!五年前のお茶会の参加者の一人だ。五年前に一度会ったきりだから覚えていないかもしれない。いえ、そのお茶会で一緒だったヘレーネはユリアーネの事をよく覚えていた。でも、今は髪が銀色ではないし、男の格好だし、とユリアーネは少々パニック気味である。恐る恐る頭を上げるとベアトリクスとばっちり目が合った。
「……あの……何か?」
「あら、ごめんなさい。あなたの顔が知り合いに似ていましたので」
ベアトリクスがにっこり笑ったのでユリアーネは胸を撫でおろした。どうやらバレなかったようだ。
しかし、ベアトリクスの印象は五年前とかなり変わっていた。五年前は十六歳にしては大人びて冷めた印象だった。でも今ベアトリクスの纏う雰囲気はとても柔らかい。それと気になったのは彼女がベアトリクス・エア・ファラーと名乗った事だ。ベアトリクスはもう二十一歳、結婚はしていないのだろうか?
いくつかの疑問を胸にユリアーネはベアトリクスが孤児たちに勉強を教える様を見ていた。途中からは「にいちゃんもー」と言われてその輪に加わる。ベアトリクスは優しく根気強く子供たちに教えていた、その様を見てユリアーネは(本当の淑女というのはこういう人のことを言うのね)と納得した。ユリアーネのは付け焼刃だ。立ち居振る舞いは淑女としての優雅さを身に着けた。それでも心の中は不満でいっぱいだった。
(私には向いていなかったのね。私は王太子妃の器じゃないわ)
だって男の恰好をしている今の方がよっぽど息をしやすい。
勉強が一段落して子供たちは外で遊び出した。アルベルトが男の子たちの相手をしているようだ。意外にもアルベルトは子供好きらしい。
(なのに結婚はしていないのよね。もういい歳なのに)
アルベルトがこの国に帰ってきたのは半年前、その前にいた国で結婚しなかったのだろうか?
(って、そんな事、私が心配する事じゃないわね)
ベアトリクスがユリアーネに近づいて来た。
「お手伝い、ありがとうございますわ」
「いえ、僕なんか何も……」
ベアトリクスは平民に抵抗が無いらしい。貴族は従者風情に話しかけることなど滅多にない。まあ抵抗がないから孤児院に奉仕に来ているんだろう。
「この孤児院はファラー公爵家の庇護を受けているんですか?」
「いいえ、私個人が勝手に支援しているだけですの」
ユリアーネの問いに答えてベアトリクスは少し寂しそうに微笑んだ。
「父は私に全く関心を示しませんから」
ユリアーネはファラー公爵と面識はない。正確に言うと式典などで見かけたことはあるが話をしたことはない。ベアトリクスと顔立ちは似ているが金色の髪を後ろで一つに結わえた温厚そうな人物だった。
「本当によく似ていらっしゃいますわ」
ベアトリクスはまたユリアーネの顔をまじまじと見る。ユリアーネは居心地が悪くなってつい余計な一言を口に出してしまった。
「ファラー公爵令嬢様は結婚は……あっ、失礼なことを申しました。忘れてください!」
ユリアーネが深々と頭を下げると、ベアトリクスは「いいんですのよ」と笑って遠くを見る眼差しをした。
「本当は結婚する筈だったんです、一年前に。彼が亡くなってしまわなければ……」
「すっすみません!! 立ち行ったことを聞いてしまいました!」
もう一度深々と頭を下げるユリアーネの頭を上げさせてベアトリクスは孤児院の粗末な椅子に腰かけた。ユリアーネに隣に座るように促す。
ユリアーネが座るとベアトリクスは話し出した。
「そうね、もうあれから一年経つのだわ。ねえあなた、聞いてくださる?」
ユリアーネがこっくりと頷くとベアトリクスは話を続ける。
「私と彼は十六歳で婚約しましたの。彼はファラー公爵家ゆかりの伯爵家嫡男で私は婚約当時はこの婚約が不満でしたわ。だって私は三大公爵家の一つ、ファラー公爵家の一人娘ですもの。婿を取ってファラー公爵家を継ぐものだと思っていましたから。でもこの髪色を見てお分かりかもしれませんけど私には魔力がほとんどありませんでした。そのせいでしょうか、父は……昔から私にも母にも興味がなく、公爵家は親類の中から魔力の強いものを養子にするから心配するなと言われました」
ユリアーネがベアトリクスに会ったのは彼女が十六歳の時。あのお茶会の時にもう婚約は決まっていたのだろうか?
「直系の私がいるのに……父はそこまで私の事を疎ましく思っているのかと当時は悲しく思いましたわ。でも彼の人柄を知って……強くて優しくて暖かい彼に私は惹かれました。もう父のことも魔力の事も気になりませんでしたわ。私は彼と彼の家を守って生きていく、その事がとても幸せだと思えたんですの」
「その方は……事故で?」
ユリアーネが聞くとベアトリクスは庭で遊んでいる一人の女の子を指し示した。
「あの子を助けて。……一年前に王都で大きな火事がありましたの。彼は第三騎士団師団長、緑の騎士団の師団長を務めておりました。彼が駆け付けた時、もうすでに火はかなり燃え広がっていて炎に包まれていた家に飛び込んであの子を救い出したそうです。脱出するときに屋根が焼け落ちて彼は下敷きに……それでもあの子を庇って他の騎士に渡すまでは息があったそうです。あの子も腕と背中に火傷の跡がありますの。……結婚式の三日前でしたわ」
ユリアーネは何も言えなかった。お茶会の時は分からなかった。だけど彼女は何て強くて優しい人なのだろう。彼女がこんなふうに微笑むことが出来るようになるまで苦しい時間をどれだけ過ごしてきたのだろう。
「しばらくは何も手に着きませんでした。私は毎日泣き暮らすばかりで……そうしてある時、彼が命を懸けて救った子を見て見たいと思ったのです。それがこの孤児院に来ることになったきっかけですわ。今はあの子だけではなくこの孤児院にいる子供たちが健やかに成長するよう見守ることが私の生甲斐ですの」
ユリアーネはいつしか泣いていた。
(どうして泣くの? 辛かったのは私じゃなくてベアトリクス様なのに……)
そう思うけれど涙が止まらない。ぽろぽろ流れるその涙を見てベアトリクスは「ありがとうございます」と微笑んだ。
「にいちゃん、にいちゃんも遊ぼう!」
カイが元気よく部屋に駆けこんで来てユリアーネはグイッと涙を拭うと「今行くよ!」と立ち上がった。
その日、夕刻まで孤児院で遊んだユリアーネとアルベルトは騎士団団舎に帰ってドミニクにこってり叱られた。
次話予告『テオドールを見直すユリアーネ』です。




