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3、説得されたユリアーネ


「父様の馬鹿!!」


 辺境伯の腕を振り払い、伸びてくる腕をかいくぐって辺境伯の顔にいい感じのパンチを一発入れるとユリアーネは走って部屋を出た。後ろで辺境伯が何か叫んでいたがそんな事より頭の中がぐちゃぐちゃでどうしていいかわからなかった。

 走って走って走って――


 居城を出て庭園を突っ切り畑を通り過ぎ小川を飛び越えて広大なヴァルツァー辺境伯の城壁内のその北の端、騎士団訓練所の裏手の厩舎の陰で足を止める。

 厩舎の壁にもたれてユリアーネは考えた。


 父様は一週間後に王都に行くって言った。そして王宮で私は暮らすのだと。父様にも母様にも可愛いクリスにももう会えない。一緒に戦った騎士たちや町に行くと話しかけ食べ物や飲み物をご馳走してくれる領民にも、この厩舎にいる可愛い馬たちにももう……

 じわっと涙が浮かんできた。とりあえず盛大に泣こうと大きく息を吸い込んだ時、後ろから声を掛けられた。


「う、う、わーーー」

「お嬢様」

「ん?」


 涙が引っ込んでしまったのでユリアーネは後ろを向いた。


「ラウレンツ?」


 息を弾ませたラウレンツがそこに立っていた。




 厩舎の壁にもたれながらユリアーネとラウレンツは並んで地面に座っている。お行儀が悪いとか淑女らしくないなんて言う人はここにはいない。もっとも厩舎裏のこの辺りは人影さえない。


「お嬢様、閣下をあまり責めないでいただけますか」


 暫く黙って座り込んでいたラウレンツがポツリと言った。


「だって! でも! テオドンなんとかって王子様なんて見たことも無いし、私の結婚なのに父様が勝手に決めちゃうなんて!」


 ユリアーネは頬を膨らませた。ユリアーネだって貴族の娘だ、貴族の娘には政略結婚と言うものがあると知ってはいた。でも王都から遠く、ここは辺境の地だ。近くにいる貴族はほとんどがヴァルツァー辺境伯家の縁者なのだ。だからその縁者の誰かと結婚してこの地をクリストフと共に守っていくのだろうと漠然と思っていた。


「閣下は目立ち過ぎてしまった……」

「どういうこと?」


 ラウレンツの言葉にユリアーネは首を傾げた。


 今回の戦でヴァルツァー辺境伯は隣国の急襲にもひるまずこの国を守り抜いた。そして『戦場の悪魔』の異名を持つ常勝無敗の隣国の第一皇子を見事討ち果たしたのだ。まさに救国の英雄だった。王都の民も貴族も熱狂して彼と彼の騎士たちを迎えた。

 それをこの国の王はほのかに苦い気持ちを押し隠して見ていた。元よりヴァルツァー辺境伯家は王家に準じた家格の高さである。建国時からの由緒ある家柄、それがヴァルツァー辺境伯家と三つの公爵家だ。王都から遠く離れ監視の目が行き届かないヴァルツァー辺境伯が力を持ち過ぎてしまうことを王は恐れた。

 現国王は今のところつつがなく国政を行っている。今回の戦を除けば国内は平和で豊かで隣国以外の諸外国との関係も良好だ。どちらかと言えば賢王と言っていいだろう。しかし高齢で最近は体調を崩しがちだ。そして今年四十歳になる王太子は平凡、いや平凡以下だった。だから現国王はなかなか息子に王位を譲る決心がつかなかった。そして今回の戦で英雄となった辺境伯が敵に回るより王家に取り込んで身内にしてしまうことを考えたのだ。


「よく分からないわ。父様は勝っちゃいけなかったの?」

「そんなことありませんよ。閣下がいたからこの国は守られた。この地を突破されればどれだけ被害が広がった事か」

「じゃあ王様が勝手なことを言っても父様がバシって断ってくれれば良かったのに」


 ユリアーネが唇を尖らせるとラウレンツは苦笑してユリアーネの頭をポンポンと叩いた。


「内々に婚約の打診をされれば閣下も辞退するかせめて保留にしたでしょうな」

「みんなの前で断ったらダメなの?」

「ダメという訳ではないですが……王家に対する忠誠心を疑われるでしょう。下手をすると今回の戦で力を付けたヴァルツァー辺境伯は王家に反逆の意志ありと言い出す者がいるかもしれません」

「そんな事!」


 ユリアーネは拳で地面をドンと叩いた。悔しくて涙が出そうだ。

 国の為に戦ったのに! 父様もラウレンツもみんなみんな命を懸けて戦ったのに! 畑を焼かれ家を壊され家族を殺されそれでも踏みとどまってみんな頑張ったのに! 


「この領は今回の戦で酷い痛手を被った。戦には勝ったが荒れた土地や失った命も多く復興には時間がかかる。もちろん最大の功労者として王家は多大な援助を約束してくれています。だから、今王家の機嫌を損ねることは得策ではないのです」

「私が王子様と婚約するのはこの領地の為になるの?」


 ユリアーネが訊ねるとラウレンツは深々と頭を下げた。


「お嬢様、申し訳ありません。お嬢様一人を犠牲にして……しかし復興には沢山の資金と人材が必要です。今は王家はそれを約束してくれていますしお嬢様がテオドール殿下の婚約者になれば今後も期待できるでしょう。逆に王家と対立することになれば……またこの地が戦いの舞台になるかもしれません」


 え! それはダメ! 絶対に戦はダメ! 戦が終わってみんなホッとしたところなんだもん。兵士の旦那さんが、息子さんが帰って来て町の人たちはお祝いをしたばかりだもん。このお城の避難所で暮らしている人たちがようやく村に帰れるって目を輝かせていたもの。


「私! テンドン王子の婚約者になるわ!!」


 ユリアーネはすっくと立ちあがった。


「それで、私の魅力でテンドン王子をメロメロにしてヴァルツァー辺境伯領に沢山お金を送って下さいって頼むわね」

「お嬢様……申し訳——」

「ねえラウレンツ、立って? 何にも申し訳なくないわ。テンドン王子様は物凄く素敵なんだって父様が言っていたわ。きっと私は幸せになるわ」


「——は? 何だって?」


 急に聞こえた声にユリアーネとラウレンツが振り返る。

 馬に飲ませる水桶を手から落とし真っ青な顔で立っていたのはラウレンツの息子、ディルクだった。


「お前、テンドン王子なんて変な名前の奴と婚約するのか?」

「ディルク控えろ! ……そしてテオドール殿下だ」


 ラウレンツの言葉は聞こえないようでディルクはただユリアーネを睨みつけている。


「あ……ディルク……そうよ! 私、王子様の婚約者になって王都に行くの! 華やかな王都の宮殿で暮らすのよ!」


 一瞬ひるんだユリアーネは直ぐに明るい声を出した。楽しそうに笑みを湛え両手を握りしめて殊更大きな声を出す。


「王都よ! きっとステキなところだわ! それにテンドン王子様はとっても素敵な方なんですって!」

「テオドール殿下です、お嬢様……」


 ユリアーネもラウレンツの言葉は聞こえないようでその場でララランと踊ってみせる。じわっと湧いてきた涙は気づかれないように袖で拭った。


「はんっ! お前が王子様と婚約? 『鬼ユリ』が? そんなの王子様が気の毒過ぎるだろ!」

「ディルク! いい加減にしろ! お前はいつもお嬢様に対して口の利き方がなってないぞ」


 いつもならラウレンツに口答えなどしないディルクだ。そうでないと怖い怖い父親から拳が飛んでくるから。でも今は押さえられなかった。


「何だよ! 婚約ってなんだよ! 王都で暮らすってここから出ていくのか!? 魔獣退治はどうするんだよっ! せっかく連携も上手くなって親父たちに認められるようになったのに……」


 拳を握りしめて真っ青な顔で叫んでいるディルクを見てユリアーネは踊るのを止めた。


「ごめんなさいディルク。でも戦が終わったからまた父様やラウレンツ達が魔獣討伐はしてくれるわ。急にお別れすることになっちゃったけど元気で――」


 そっとディルクに近づいて触れようとしたユリアーネの手をディルクは振り払った。


「認めねえ! 俺は認めねえ! 鬼ユリなんか王都みたいな都会でやっていける訳ねえだろ。ちょっと頭にくることがあったらテンドン王子をぶん殴ってすぐ追い出されるに決まってる。言葉より手が先に出る凶暴なお前がお上品にオホホなんて笑えるわけねえだろっ! 俺は認めねえぞ!」

「あ……」


 急に踵を返して走り去ったディルクをユリアーネは追おうとした。


 その肩を掴んで引き止めたのはラウレンツだ。


「申し訳ありません、あいつの事はそっとしといてやってくれませんか」

「ええー! ちょっと一発殴らせてくれない? 人の事を凶暴とか先に手が出るとかっ」


「……まあ先に手が出るって言うのは事実だな」という言葉はラウレンツの口の中に消えた。そしてラウレンツはユリアーネの両肩を掴んで背を屈めユリアーネの瞳を覗き込む。


「五年……」

「五年?」

「お嬢様はもうすぐ十二歳、成人の十七歳まであと五年。結婚は成人後となりましょう」

「そうね」

「この地も五年あればかなり復興していると思います。……だから五年後、もしテオドール殿下との結婚をお嬢様が望まなければ……」

「望まなければ?」

「この俺、ラウレンツ・フェア・アスマンがお嬢様をお迎えに上がります」


 五年後に迎えに来る? そんな事出来るの? 王様が決めた結婚を勝手に止めちゃってもいいのかしら? ユリアーネが首をかしげるとラウレンツはニヤッと笑った。


「お嬢様が不幸な結婚をしたら閣下が嘆きます。だから閣下の片翼の俺は何があってもお嬢様を助けに向かいます。それまでは心細いでしょうが王宮でお暮しください」

「ふふっ、ありがとうラウレンツ。でもいらぬ心配かもしれないわよ。テンドン王子に一目ぼれしちゃうかもしれないし」

「……テオドール殿下です。お嬢様」



次話予告『王子と対面したユリアーネ』です。

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