29、スラムの話を聞くユリアーネ
「ロンメル所長の態度が変わったのは……十か月ほど前でしょうか」
コーマックの言葉にユリアーネは思わず身を乗り出した。
ロンメル男爵は毎日出勤するようになり、様々な部署の職員にしきりに話しかけていたという。仕事はまったくしなかったが元からロンメル男爵抜きで廻っているので支障はない。話しかけられた職員が鬱陶しいだけだ。良かったのは所長印を早く貰えるようになったことくらい。
話しかけられた職員の話を総合してロンメル男爵は子供を攫いやすい場所、衛兵とかち合わない逃走経路などの情報を実行犯に流していたのだろう。
「他には? 例えば王妃殿下についてロンメル男爵は何か言っていなかったか?」
「あー……」
コーマックは苦笑して話し出した。
「ロンメル所長の口癖でしたよ。所内で知らない者はいません『私はこんなところにいる人間じゃない』『私は王妃様ととても親しいんだ』『昨日は王妃様とお茶会だった。お前たちは王妃様の顔も見たことがないだろう』『由緒正しいプラール伯爵家の嫡男の私はそのうちに王妃様のお傍に返り咲く。そうなればこんな薄汚いところとはおさらばだ』まあ、プラール伯爵家が名門なのは僕も知っていますが、御次男が爵位を継がれたと聞いています。ロンメル所長が返り咲くなんて誰も思っていませんでしたね」
「普段の暮らしぶりや身なりは? 最近派手になったとか身に着けている物が高価になったとかは?」
その質問にはコーマックは首を横に振った。
「いえ、特に気が付きませんでした。暮らしぶりについては分かりませんが、ロンメル所長は元から貴族らしい装いをしておりました。僕たちから見れば十分高価な装いです。実家からそれなりに援助があるようなことを以前チラッと仰っていましたし」
コーマックの話によってロンメル男爵が誘拐の実行犯に情報を流していたことは確定的になった。
しかしまだわからないこともある。一つは金の使い道だ、といっても想像はつくが。ロンメル男爵はソフィー王妃への貢ぎ物や付き合いに金を使っていたのだろう。問題はソフィー王妃の側がその金が後ろ暗いものであった事を知っていたのか、または何らかの加担をしているのか。
ロンメル男爵は奴隷商人とどうやって知り合ったのか、などである。
夜会の次の日、ドミニクから聞いた話をユリアーネは反芻した。
ドーソンに出張したドミニクによるとロンメル男爵は度々子供を監禁しているアジトにやって来たそうだ。覆面で顔を隠していたロンメル男爵はアジトに来ると鞭などで子供をいたぶったそうだ。日頃のうっ憤を抵抗できない子供で晴らしていたようでその話を聞いたユリアーネは既に死んでいるロンメル男爵をもう一度生き返らせて殴ってやりたくなった。いや、先にアルベルトが壁を殴って穴をあけ、ドミニクに叱られたのでやらなかったけれども。
ドミニクは黒の騎士団を引き連れドーソンに到着すると精力的に調査を行った。アジトの倉庫の商会が実は隣国ソリュージャ帝国のものであることを突き止め、船員や人足達からの聞き込みで他のアジトの場所を調べ上げ急襲、ソリュージャ帝国の奴隷商人は惜しくも逃したもののほぼすべての賊を逮捕。これによって組織は壊滅した。そして捕らえた賊の証言により、この国で誘拐、人身売買を主導していたのはロンメル男爵だと判明したのである。
「ソリュージャ帝国はヴァルツァー領の先ですよね」
ユリアーネが言うとアルベルトが頷く。
「そうだ。ゴリアスはソリュージャ帝国についてどのくらい知っている?」
「五年前、戦争に負けて第一皇子が亡くなってから帝位争いが激化していると聞きました」
「大分情報が古いな。皇帝と第二、第三、第五皇子はお互いに争って死亡、皇帝に一番遠かった側室腹の第四皇子が帝位についた。帝位争いの余波でソリュージャ帝国は荒れ放題、だから闇の奴隷商人も大っぴらに商売が出来るのだろう。陸続きではヴァルツァー辺境伯領を通れないので船で迂回して他の国の商船に偽装していたようだ」
ユリアーネの知識は王子妃教育が中断したときで止まっている。それまでも講師の先生が教えてくれる机上の知識しかなかったユリアーネだが、自分の知らないところで世界は様々な変化をしているのだと改めて実感した。なにしろ王宮の近く、王都にスラムがあった事も知らなかったユリアーネなのだ。
アルベルトとコーマックの話が一段落したので、アルベルトに許可を取りユリアーネはコーマックに訊ねた。
ずっと聞きたかったことを。コーマックは実直な行政官に見えたので。
「すみません、スラムについて聞きたいのですが」
ユリアーネの質問にコーマックは顔をしかめた。これはどういう反応だろうとユリアーネは考えた。『余計な事に首を突っ込みやがって』だろうか。
暫くどんな風に話をするか考えていたコーマックだったが、意を決したように話し出した。
「僕の意見は僕だけのものです。これから失礼な発言をするかもしれませんが、この支所へのお咎めは無いようにお願いします」
アルベルトが頷く。
「一年と少し前、西地区の西端、庶民が暮らす町で火事がありました。元々あまり裕福でない人々が暮らす地域でしたが以前は貧しいなりに活気がある町でした。先王陛下が亡くなってから少しずつ少しずつ物価が上がり始め、富める者に富が集中し始め底辺の者たちは暮らしが厳しくなっていきましたがあの火事までは何とか暮らせていたのです。我々も力の限りサポートを行ってきました」
コーマックは一度言葉を切り目頭を指で揉んだ。
「火事が起こったのは日が暮れてニ、三時間経った頃、我々も急ぎ現地へ駆け付けましたがそれは酷いものでした。周辺の住民が協力して鎮火しようと頑張っていたが、とても手に追えるものではなかった……」
「衛兵は? そんなに酷い火事なら騎士団の出動もあっただろう?」
アルベルトの疑問にコーマックは唾を飲み込んでから答えた。
「王宮で夜会があったのです。後で知ったのですが王妃殿下の希望で騎士が全員集められたのだとか。そして貴族街の警備や王宮警備に衛兵が駆り出され、その日王都の街には衛兵はいなかったのだそうです。かなり遅くなってから騎士と衛兵の方々が駆け付けてくださいました。駆けつけてくださった緑の騎士様たちは必死に働いてくださった。逃げ遅れた者を助け、それ以上の延焼を防ぐために樹木を切り倒し、ようやく鎮火したのは夜が白み始めるころだった。次の日、上機嫌で出勤してきたロンメル所長が『いや、昨日の夜会は壮観だった。騎士たちが色別にこう、勢ぞろいしてな、行進したり展開する様は見ごたえがあったぞ。はは、お前たち庶民は見ることもないだろうがな。ソフィー王妃様の発案だそうだ。流石ソフィー様だ、お前たちは顔を拝むこともないだろうがな』と言った時には殴ろうと思いましたが」
(そこは殴ろうよ!)とユリアーネは思った。いや、ユリアーネなら絶対に殴っている。そして自分も何も知らずに王宮でぬくぬくと生活していたんだと思うといたたまれなかった。少しぐらいの意地悪が何だ、住む処も家族も奪われた人たちよりよっぽど幸せだ。
気を取り直したようにコーマックは話を続けた。
「火事が治まり、焼け出されても頼れる者がいたり、転居の費用があるものは他に移って行きました。どこにも行くあてのない者たちがあそこに残った。燃え残った奥の一角に住み着きました。僕たちは復興と焼け出された人たちの為の費用を本庁に申請しました。でも認められなかった。何度か掛け合いましたが無理でした。何度も本庁に掛け合う僕たちを見てロンメル所長が怒りだした。金を無心するなど卑しいもののやる事だと言われました。僕たちは交代で焼け野原の残骸を整理し、まだ使える木材は奥の住み着いた者たちの家に持っていきました。それくらいしか出来ることはなかったんです。その内に奥の一角には怪しげな者たちも住み着き出した。景気が悪くなって行き場を失った者たちも住み着き出しました。騎士団に相談しようとして追い払われました。緑の師団長様が変わっていたんです。前の緑の師団長様はあの火事の際、子供を助けて亡くなられたそうです。火事の為の費用ばかりかこの支所への予算はどんどん減らされています。騎士団も頼れません。僕たちはせめて今、真っ当に暮らしている人たちを守ることを優先することにしたんです。スラムを……見捨てる選択をしたんです」
重すぎる話だった。アルベルトはガバッと頭を下げた。
「申し訳なかった! 俺は知らなかった。いや、知らなかったのは言い訳にならない。知るチャンスはあった筈だ」
コーマックはあたふたと手を振りながらアルベルトの頭をどうにか上げてもらおうと必死だった。彼は騎士団総団長のアルベルトが半年前に帰国した王弟だと知っていたから。
「まず、緑の騎士たちにはスラム周辺の見回りを徹底させる。それから、これは王弟として、必ずスラムの人々を救うように尽力する。費用を出すように掛け合ってみるのでもう少し待ってくれるか」
固かったコーマックの顔に柔らかい笑みが浮かんだ。
「ありがとうございます。僕は総騎士団長様を、いえ、王弟殿下を信じます」
次話予告『涙を流すユリアーネ』です。




